成宗電気軌道(宗吾電車) | 鉄道資料室

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これまでに収集した鉄道キップやパンフレット、地図などを紹介していきます。主に廃線関連の資料です。

 

千葉県の幻の路面電車 『成宗電気軌道(宗吾電車)』の乗車券です。

 

 片道乗車券

3区乗車券 金16銭

 

路線データ

  • 路線総距離:5.4km
  • 停留所:9(起終点含む)
  • 軌間:1,372mm
  • 動力:電気
  • 開通年月日:1910年(明治43年)12月11日
  • 廃止年月日:1944年(昭和19年)12月11日
  • 会社変遷:成宗電気軌道→成田電気軌道→成田鉄道

 

解説

 成田鉄道(現JR成田線)の成田駅から、成田山新勝寺や宗吾霊堂への路線を敷設する計画は古くからあり、最初は馬車鉄道を敷設する計画が立てられたが、諸種の問題で流れました。

 その後、大阪の資本家 才賀藤吉の援助を得ることによって計画が立てられ、これがようやく実現する見通しになりました。しかし、成田山の門前町が参拝客が通らなくなって衰退することを恐れて反対したため、そこを東に避けてトンネルを掘るなどし、ようやく、1910年(明治43年)に一部区間が開通、翌年に全線が開業しました。

 しかし、開業前に電気軌道の作業場から出た火の手が宗吾霊堂に引火して、堂宇と周辺民家の多くが焼けるなどしたこともあり、電気鉄道に懐疑的な人が多く反対運動も多かったことから、利用者はなかなか伸びませんでした。さらに才賀藤吉が事業に失敗して資産を失い、援助が得られなくなったりするなど苦境も襲いかかりました。

 その後京成電気軌道(現京成電鉄)の傘下に入りますが、バスの登場で客を奪われるようになり、さらには通行の邪魔ということで今度は地元から廃止論が出るようになりました。戦時体制によってガソリンの供給が統制されると、バスの運行もできなくなったことからこのときは存続しました。

 しかしながら、結局、1944年(昭和19年)には参詣路線は戦時柄ふさわしくないことと、京成線とほぼ並行していることから、不要不急路線とされ、廃止されました。

 なお、本路線は2017年(平成19年)に放送された ブラタモリ新春SP「成田山新勝寺」に取り上げられました。

 

更新履歴

2022.3.22掲載