肥薩線を走っていた観光向け特急列車「はやとの風」が、本日ラストランを終えました。

 

 

 「はやとの風」は、鹿児島中央駅と吉松駅を日豊本線・肥薩線経由で結ぶ観光列車です。2004年の九州新幹線の部分開業とともに運行を開始し、かれこれ18年運行されてきましたが、近年は利用客も減少していたこともあり、このたび運行を終えることになりました。

 2018年に臨時化されてから、わずか4年で全廃となってしまったのは悲しいですねショボーンショボーン

 

1.肥薩線の観光列車

 肥薩線は主に南北で3つのエリアに分かれており、北側の八代~人吉間は「やませみかわせみ」「SL人吉」、真ん中の人吉~吉松間は「いさぶろう「しんぺい」、そして南側の吉松~隼人間は「はやとの風」が運行されており、3列車を乗り継いで八代から鹿児島まで観光列車で乗り継ぐことができていました。

 北側の八代~人吉間は球磨川沿いに山間をゆく景色が、人吉~吉松間は日本三大車窓にも認定されるほどの絶景が、吉松~隼人間は100年以上前から現存する駅舎があるなど、それぞれの区間で魅力を持っています。

 

2.「はやとの風」に乗って

 私も12年前、サークルのメンバーとの九州旅行で「はやとの風」に乗車しました。ちょうどその日は鹿児島から人吉、そしてくま川鉄道に乗って多良木で宿泊し、翌日に人吉に戻ってから八代を経て、福岡まで北上しました。

 乗車したのは9月の平日のお昼だったので、そこまで混雑はしていませんでしたが、我々以外にもそれなりに人は乗っていました。

 

 車両は国鉄時代のものを改造したものですが、内装も含めて観光特急にふさわしくリニューアルされており、快適でした。

 鹿児島中央を出発すると、右手に錦江湾と桜島が見えてきます。

 海の向こうにどんとそびえる桜島の雄大な風景を、存分に楽しむことができます。乗車日はあいにくのお天気で、雲に隠れていました…ショボーン

 隼人からは肥薩線に入り、北上します。途中の嘉例川駅、大隅横川駅の駅舎は築百年以上の歴史を誇り、国の重要文化財に指定されています。

 

 大隅横川駅は1903年に建てられ、県内で最も古い木造駅舎だそうです。第二次世界大戦中は機銃掃射も受け、ホームの柱に弾痕が残っています。

 

 これらの駅では停車時間が設けられており、「はやとの風」に乗りながら、こうした駅舎を見学することも可能でした。

 終点の吉松駅では、観光列車「しんぺい」号に接続しており、このときはそのまま「しんぺい」号に乗り換えて北へ進みました。

 「はやとの風」は、アテンダントさんも乗車されており、名所案内やみどころの解説、車内販売も充実していました。観光スポットで停車時間が設けられるなど、さながら観光バスのような列車でした。

この後に乗ったしんぺい号とあわせて、「九州にはこんな素敵な観光列車が走っているのか!!」と感動したものです。

 

3.低迷の要因

 しかし、そんな素敵な列車である「はやとの風」も、運航終了となってしまいました。低迷した要因を探りたいと思います。

(1)大都市圏から遠い

 鹿児島は東京や大阪から遠く、そのぶんアクセスがしづらいことが、伸び悩んだ一因ではなかったでしょうか。

(2)令和2年豪雨

 追い打ちをかけたのは、令和2年の豪雨でした。肥薩線沿線で記録的な豪雨に見舞われ、多くの被害が出ました。肥薩線も北側の八代~人吉間で複数個所にわたり路盤崩落や鉄橋流失があり、今でも運転再開のめどはたっていません。また、人吉駅が被災した関係で、人吉~吉松間も運転を見合わせたままです。

 それまでは片道は九州新幹線、片道は肥薩線の観光列車を乗り継ぐことで、熊本~鹿児島を周遊するというのがモデルプランの一つでしたが、それもできなくなってしまいました。

 肥薩線の復旧費用は230億円を要すると、先日JR九州が試算結果を公表しました。

 この復旧費用をどのように工面するかという問題だけではなく、仮に復旧したとして、利用者が決して多くはない肥薩線をどう維持していくのかという問題があり、復旧の見通しが立たないという一面もあります。
 
4.まとめ~肥薩線自体が存続できるかという問題が出てきつつある~
 そうした状況の中、今回の「はやとの風」は運行を終了することとなったため、肥薩線に暗い影を落とすこととなりました。一部のローカル線では沿線の居住者が極端に少ないという事例が出てきており、鉄路の維持の在り方をどうするかの決断に迫られていますが、肥薩線もこれに当てはまっています。廃線ありきで話が進まないことを祈っていますが、存続するにしても、沿線住民の移動のニーズをどのように満たすかが問われるでしょう。