NO.2637 去る3月11日まで営業をしていました、折尾駅「鷹見口」営業終了直前訪問時リポート | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 福岡県北九州市の西側の玄関口であります折尾駅は、鹿児島線・筑豊線の分岐駅として以前から存在しておりまして、多くの方々が利用されている駅である事はこれまでも当ブログでもご紹介しておりました。

 

 この折尾駅は、周辺に学校が多く見られておりまして、主に学生さんが利用する駅でもあります。また、先述のように鹿児島線・筑豊線(「福北ゆたか線」・「若松線」)の分岐駅としての姿もありまして、両線間で乗り換えられる方々も多くいらっしゃいます。

 

 そんな折尾駅は「折尾駅周辺高架化事業」と呼ばれる事業を平成10年代後半より行っておりまして、起工からもすでに10数年もの歳月が経過しております。それほど大掛かりな事業である事が伺えておりますが、やはり歴史的な部分も駅内で見られておりましたので、その分それくらいの年月を要している事に関しましては仕方がないところであると言えるのではないかと思います。

 

 現在は、これからご紹介しますようにすべてが高架化が完了しておりますし、画像1にありますように旧駅舎を模した駅舎も令和3年に完成しておりますので、あとは駅周辺の整備のみという事にもなります。それほど段階も最終段階へ来ている事も伺える所でもあります。

 

 

 さて、今回の全高架化に際しまして、鹿児島線・筑豊線のホームがあります駅舎と離れた所に設けられておりました「鷹見口」と呼ばれる所が3月12日改正前の3月11日で営業を終了しました。私自身も、終了直前に訪問しまして、その姿を収めてまいりましたので、今回はその模様を皆様にご紹介してまいります。

 

 (「鷹見口」の駅名標(駅板))

 

 

 「鷹見口」は、折尾駅の駅舎から200メートルほど離れた所に設けられておりましたホームがある所を称しておりまして、元々は鹿児島線~筑豊線間の旅客・貨物列車が走ります直通列車向けの「短絡線」として以前から設けられていたものを昭和63年に新たにホームを設けたものであります。

 

 (折尾駅駅舎より「鷹見口」の案内図)

 

 この運動は、昭和40年代から運動が起こっていたそうでしたが、結局20年以上経過しましたJR化後の昭和63年にに新たにホームが設けられるに至っておりまして、駅舎も従来の折尾駅舎と別に折尾信号通信区など保線関係の施設が入っていた中に入りまして、改装の上「鷹見口」駅舎が設けられるに至っておりました。

 

 また、「鷹見口」の道を挟んだ所には西日本鉄道(西鉄)北九州線の折尾電停も存在しておりましたが、現在は橋の跡のみが見られております。この「短絡線」と西鉄北九州線とがクロスしていた事がわかりますが、その面影が見られなくなっている事は残念でしょうか。

 

 (左端が西鉄北九州線の部分)

 

 

 今回、この「鷹見口」を通ります2本の列車を収めに来ておりましたが、ここには駅員室・トイレが設けられておりましたし、自動券売機・自動改札機も設けられておりまして、上の画像にあります駅舎と同じような設備が見られてはいましたが、今回訪問時は既に無人化されておりましたし、トイレも使用禁止となっておりました。

 

 (ホーム側より)~その下の画像にあるように、上の画像の券売機から入場券を購入しております

 

 

 「鷹見口」の時刻表です。以前は黒崎駅・八幡駅などに乗り入れていた事もありまして多く存在しておりましたし、門司港~原田間の客車列車もこの「短絡線」・「鷹見口」を通っておりましたが、現在は819系蓄電池電車の存在もありまして、「若松線」~「福北ゆたか線」間の直通列車が多く運行されておりましたので、停車本数は上下合わせて18本(平日、上下各9本)しか停車を行っておりませんでした。そのため、日中には停車する列車は見られず、朝・夕~夜の間がメインであった事がお分かりいただけます。

 

 (平成元年時刻表より)~黒い部分が「鷹見口」停車列車を表します

 

 尚、後述のように改正後も「短絡線」経由の列車は現状を維持しておりまして、「短絡線」が高架に移りましてもほぼ本数は変わらないで運行されております。

 

 

 さて、ここからはホームの姿をご紹介してまいります。かつては番号で6番ホーム・7番ホームと称されておりましたが、末期は、「Aホーム(直方方面)」・「Bホーム(黒崎・小倉方面)」となっておりまして、全国的にも珍しいアルファベットで称しましたホームとなっておりました。

 

 (小倉方)~手前がAホーム、奥がBホーム

 

 (直方方)~手前がAホーム、奥がBホーム

 

 このうち、Bホームではバリアフリー面にも優しい所が見られておりまして、車いす向けのスロープも設けられておりました。やはり階段を使わずに行く事ができておりましたので、足の不自由な方・階段が苦手な方には特にありがたい所ではないかとも思います。

 

 また、Aホームへは構内踏切を通って行きます。尚、こちらにはスロープは設置されておらず、車いすの方は介助が必要でありました。正直両ホーム側にありましたらよかったのですが、構造上を思えば仕方がない所でもありましょうか。

 

 

 さて、ここからは「鷹見口」に停車します列車の撮影の模様をご紹介します。この時には817系電車で運行されております黒崎行き、そして折り返しの直方行きの姿を収めておりました。そんなこの「鷹見口」に停車していた列車の最高は4両編成でありまして、この中には復路で下関駅まで運行されております415系電車も含まれておりますが、日中はその817系、及び813系各電車の2~3両編成が主でありました。

 

 (Bホーム入線時)

 

 (Bホーム発車時)

 

 こちらは、折り返し直方行きとしての姿であります。この「鷹見口」はカーブ上に設けられておりますので、内回りとなりますAホーム停車となりますと画像のような姿も見られております。それでも、その下の姿からも2両編成で運行されていたのは良かったのではないかと思う所ではありましょうか。

 

 (折尾駅入線時)

 

 (停車時)

 

 こうして、直方行きは発って行きましたが、10時台の2番目の列車でもありましたので、これで日中は停車する列車はありません。しかし、この日(3月8日)はキヤ141系検測車が日中この「短絡線」を通りまして直方駅まで運行されておりまして、日中お目にかかれない列車がこの区間を通過しておりました。

 

 

 ここで、新たなホームの姿をご紹介したいと思います。3月12日からは「短絡線」も以下画像の駅舎の方に移っておりまして、引き続き直通列車も運行されております。しかし、先述のように本数は「鷹見口」末期時の本数のままでありまして、日中定期列車で「短絡線」を通る列車は引き続き見られておりません。

 

 改札口に入りましてホームへの階段・エレベーターの姿であります。「短絡線」のホームは、1・2番ホームが対象となっておりまして、これは以前は鹿児島線の列車も停車していたホームでもありました。しかし、鹿児島線が新たなホームに移りますと、「短絡線」向けのホームにするために改装されておりまして、画像の姿が現在は見られております。

 

 この撮影時には、駅弁の立ち売りの姿が見られておりました。この折尾駅名物のかしわめしを売られておりましたが、この立ち売りの方の威勢のいい声が駅構内に響いてもいました。

 

 「短絡線」向けのホームです。先述のように、以前は鹿児島線のホームでもありまして、旧3番・4番各ホームが現在の1番・2番各ホームにもあたります。この撮影時は、このホームから停車・通過する姿も見られませんでしたが、現在は鹿児島線~筑豊線間(「福北ゆたか線」)を直通運転する姿が見られるに至っております。

 

 尚、「短絡線」ホームから筑豊線間は、この後画像のトンネルを通りまして、筑豊線の線路と合流する事にもなります。私自身も、以前からこのトンネルの姿を拝見しておりましたが、ようやくここに列車が通る姿が見られておりますので、正直良かったと思う所でもありましょうか。

 

 (トンネル部)

 

 

 所で、この「鷹見口」の営業は3月11日で終了しましたが、その「鷹見口」駅舎内にあります保線関係の施設(折尾信号通信区)は引き続き残るようであります。やはり保線関係は大事なものではありますので、その中心的な施設があるだけでも伊のではないかと思いますので。

 

 

 今回は、残念ながら営業を終了しました折尾駅の「鷹見口」の姿をご紹介しましたが、34年前に設けられましたこの「短絡線」上にありましたホームの存在は、末期は本数は少なくなりましても大きかったのではなかったかと思います。さかのぼりますと、旅客列車に加えまして筑豊炭田で採掘されました石炭や、田川市にあります鉱山からのセメント向けの石灰石などがこの区間を通ってもいましたので、それだけ歴史がある「短絡線」の存在でもあった事には間違いなかったように思います。けれども、高架化事業によりましてその姿が消えてしまう事に関しましては仕方がありませんが、この線路はいつまでも記憶にとがめる所である事には間違いないのではないかと思ってなりません。