明日のダイヤ改正もとい改悪が迫る中、先日は東武鬼怒川線の鬼怒川温泉以南で定期営業運転を終了する6050系に乗ることなどを目的に鬼怒川温泉に行ってきました。


行きは大宮から東武野田線に乗り換えたところ、まだまだここでは沢山走っている割と古めの8000系でした。日比谷線直通車両の置き換えが優先されていたことなどから野田線への新車投入はストップしていますが、もしかしたら年度が変わったら再開するのでしょうか。だとすれば、この車両も今後は急速に数を減らす可能性もありそうです。


その後は春日部で南栗橋行きに乗り換えたら東急2020系が充当されていました。半蔵門線直通列車は東急の車両の運用が最も多く、以前だったら非常に数の多かった8500系が目立ったのですが、この数年で一気に置き換えが進み今や引退間近となってしまったこともあり、すれ違う列車も2020系の比率が高かったです。


そして南栗橋より栃木方面の電車に乗り換え。少し待てば東武日光行きの急行が来ましたが、敢えて東武宇都宮行きの普通ワンマンに乗車して新栃木まで向かいました。
東武宇都宮線直通の列車は全て日比谷線直通から転用した20400系に置き換えられ、日光線方面は極僅かに6050系が残るも、ダイヤ改正後はこれも全て置き換えられます。


乗った車両は1ヶ月くらい前にリニューアルが完了して運行開始したばかりの編成で、先頭車が20050系の元5ドア車で構成される20430番台としてはラストナンバーになる21438Fでした。
そして40分ほどで新栃木に到着。本来であれば新栃木で東武日光行きにそのまま接続すべきかと思うのですが、特急からの接続は考慮されているものの普通→普通の接続が全く考慮されていなく数分差で置いて行かれます。


待ち時間にホームで観察していましたが、上りは東武宇都宮発の普通と東武日光発の区間急行がきちんと接続していました。なお使用車両は全て20400系で、待っている間に3つあるホーム全てが同型車で埋め尽くされたのに時代の変化を感じました。


そして、十数分待ってやって来た東武日光行きの急行もやはり20400系が充当されていました。日光線の急行は6050系が充当されていた快速が廃止になった穴埋めで登場した列車ですが、内装など新車並みにリニューアルされた20400系だと、液晶式の車内表示器が設置されたり設備が近代化されてはいるものの、クロスシートの車両のように旅情を味わえるような車両ではありませんね。


急行は、新栃木を出るとかつての快速と同じ停車駅で新鹿沼、下今市に停車。かつての快速であれば春日部で乗り換えればあとは東武日光も鬼怒川温泉方面も乗り換えなしで直通でしたが、今日はここまでに複数回の乗り換えを強いられました。
下今市駅はSLの運転開始に合わせてレトロ調にリニューアルされたりSL展示室が設置され、単なる途中駅から観光拠点としての魅力を持つ駅に変わりました。


また、昔の国鉄の駅などに多くあったタイル製の洗面台も設置されていて、「エモい!」と感動している人もいましたね。
また、下今市駅といえばかつては昔ながらの駅弁の立ち売り販売員がいたのですが、おじいさんが一人でやっていて高齢を理由に引退し後継者もいなかったことからSLの運転開始を前に過去のものとなってしまいました。昔は窓越しに立ち売り販売員から駅弁を買うのが一般的でしたが、窓が開く車両が減ってそれができなくなったのも一因でしょう。


そして、下今市からは鬼怒川線に乗り換えますが、ここでやって来たのは特急「リバティ会津」でした。下今市から先はほぼ各駅停車になるのでこれ以降の特急料金は不要ですが、ダイヤ改悪後は特急料金不要区間が鬼怒川温泉以北に短縮されるので、下今市から鬼怒川温泉まで特急料金を払わずに特急に乗るのもこれが最後になります。
特急「リバティ会津・けごん」は下今市で日光方面と会津方面に分割して出発。


鬼怒川温泉に到着すると、ちょうど下今市行きの「DL大樹」が出発するところで、あいにく今回はSLの休業日でディーゼル機関車のみの牽引でしたが、新登場の展望車を初めて見ることができました。


改札を出ると改札口そばにひな飾りの展示があり、ちょうど令和4年きぬ姫まつりの最中で展示されているものだと知りました。今年は2月1日~3月31日までの開催とのことです。
ここに展示されている雛飾りは江戸時代~明治時代のもので、歴史を感じさせる重厚感がありましたね。


次いで駅前のSL転車台などを見学。SL運行中であればここで機回しを見ることができます。
その後は駅周辺を散策していたら、店の前で第一猫発見。カメラを向けても逃げない猫でしたが、寄っては来ませんでしたね。


また、鬼怒川温泉駅前にはバスの営業所があり、現在は社名が「日光交通」になっていますが、昔は「東武ダイヤルバス」という社名で駅から鬼怒川温泉の旅館やホテルへ電話予約(要するに昔はダイヤル式電話だったから)で配車するバスを運行していたのですよね。
近年に同じ東武グループ内の日光交通に吸収合併後も「ダイヤルバス」のブランド名はしばらく残っていたそうですが、2020年頃の時点で「鬼怒川温泉駅・ホテル間循環バス」という名称に変わって「ダイヤルバス」といういかにも昭和な名称は自然消滅したそうです。


今の車両は中型路線車メインで、日野RJといった首都圏では懐かしい車両になりつつあるものも多くいます。これは東武グループ内他社からの移籍車でしょうか?昔のダイヤルバス時代は、レインボーAM、AC系のような中型幅でマイクロ並み全長の「大きいマイクロバス」が沢山あった気がします。
その後は温泉街を散策。鬼怒川温泉といえばバブル崩壊以降の斜陽化で駅から離れた場所のホテルは廃墟化しているものも多くありますが、駅から遠くないところは大江戸温泉物語、伊東園ホテルズなどの新興のチェーンに売却されて再建したところもあります。高校時代に勉強合宿というのがあって、春休みと夏休みに鬼怒川温泉のホテルに数日間缶詰になってひたすら勉強させられるというものに参加させられたことがあり、当時のホテルの名称などはよく覚えていないのですが、立地的に現在のホテルニューさくらの別館だと思い出しました。廃墟とまではいかないまでも空き家状態になっていた頃に前を通ったことがありますが、いつの間にか伊東園の手で復活していたのですね。


その後は鬼怒川の対岸へと渡ることができるふれあい橋に行きました。
ここからは、鬼怒川沿いの両岸に高い建物が立ち並ぶいかにも鬼怒川温泉といった感じの風景が楽しめます。
また、橋のそばで逃げない猫を発見。近くの公衆トイレに猫の餌付けはやめようという貼り紙があったのを見ると、この辺は猫が多いのかもしれません。

温泉街をある程度散策し終えた後は食事にし、駅周辺で食べるところを探して食事とペンションのバンブーという店に入り、チキンステーキ丼を注文。
店先に洒落たデザインの電話ボックスがあり、実際に中にピンク電話もありましたが、携帯電話が普及した今のご時世では需要がないようで、パラソルなどの備品を収納する倉庫と化していました。
食後は駅前にある足湯「鬼怒太の湯」を利用。無料で自由に使える足湯で、電車の待ち時間などの暇つぶしにもよさそうですね。


次いで鬼怒川・川治温泉観光情報センターに入り、きぬ姫まつりの展示を見ました。
こちらの会場は主に吊るし雛が展示されていて、大小様々な飾りを見ることができました。また、吊るし雛というと赤いものが多い気がしますが、ここは大判か小判をイメージしたものと思われる黄色いものが多くあったのも印象的でした。


その後は駅前の「バウムクーヘン工房はちや」が隣でやっている「はちやカフェ」にてバウムソフトの苺&バニラミックスを食べ、鬼怒川温泉から下今市行きの電車で移動。


間もなくここから撤退する6050系にようやく乗ることができました。ちなみにこれは東武所有の車両ではなく野岩鉄道所有の車両です。色も全く同一ですが、車番横のロゴだけが異なります。


東武6050系といえばドア横にロングシートがある以外はボックスシートがずらりと並んだセミクロスシートで、沢山並んだボックスシートはかつての国鉄急行型を彷彿させるものです。300系が登場するまではこれで急行料金を取る快速急行にも使われていましたし。
小さい子供が車内に足を踏み入れるや否やボックスシートを見て「すごい!」と感動していましたが、多分一般的なロングシートの電車の車内に足を踏み入れたところでそういう言葉は飛び出さないでしょう。


また、現在の車両であれば車内にLEDや液晶の車内表示器を設置すれば済む話ですが、製造当時はまだそれが一般的ではなかったことから車内の乗務員室仕切り上に車外に設置されているものと同様の方向幕式の行先表示器が設置されているのも特徴で、こういった装備のある車両というのはおそらく日本唯一ではないかと思われます。快速として使われていた当時は2両編成を3本繋いで6両で浅草まで乗り入れていましたが、今や2両ないし4両での使用がメインだし、この週末以降はほぼ野岩鉄道線内限定になるので常時2両編成でしか使われなくなると思われます。
余談ですが、6050系は個人的に思い入れのある車両で、先に述べた高校の勉強合宿のときなんかは快速を利用していましたが、ちょうど行楽シーズン真っ只中ということもあって当時の快速はいつも大混雑しており、ただでさえこれからホテルに缶詰めで勉強という苦行が待っているのに、春日部~鬼怒川温泉まで立ちっぱなしという苦行が毎回のようにあったのも今となっては懐かしいです。
また、架空鉄道・燦柊浪漫鉄道の「急行型」は2ドアのセミクロスシート車をメインに据えていますが、クロスシートを転換式にグレードアップさせてしまうアレンジを加えてはいるものの、6050系などの影響を大いに受けての設定です。

普通列車は特急の発車後に発車し、途中の新高徳でDL大樹との交換待ちがありました。


また大桑でも下り電車との交換があり双方とも6050系しかも野岩鉄道所有車でしたが、これもここでは見納めですね。
そして下今市に到着し、駅構内にある「転車台広場」と「SL展示館」を見学。
SL展示館は2階が資料室で、模型や写真などが多数展示されています。写真の展示室は貴重な資料だけに撮影禁止となっていますが、60年以上昔に廃線された矢板線(新高徳~矢板)を走る列車など貴重な資料が多数ありました。
また、「大樹」の編成表が貼られていて、次々と車両を導入し機関車の種類、客車の種類(青と茶の2種類)が増えたことから、編成のパターンは日替わりに近い形で変わっているのも面白いです。そんな訳で、今日は主役のSLが不在でDLのみの日でしたが、それでも十分に楽しめました。


機関庫は3両分あって今日はSLが2両とも稼働していないので機関庫に入っていました。さらに3両目となるSLの「C11-123」の整備が進められておりこれも間もなく完成するそうなので、機関庫にSLが3両集結しているのが見られるようになる日も近いです。
機関庫を見た後はSL展示館の1階を見学。


1階には子供向けに給炭体験や車掌体験ができるミニチュア車両が置かれているのですが、客車の座席が子供サイズのミニチュアながら随分とリアルなのが印象的でした。


その後は金のスペーシア、6050系リバイバルカラー車が来たので撮影。


私が鬼怒川温泉から乗って来た電車の次のものがリバイバルカラー編成だったようで、これを逃したのは迂闊でした。


外装が前身の6000系のカラーを模したものとなっているほか、座席も旧6000系と同じ黄土色になっています。6000系のことはあまり記憶にないのですが、座席は今の6050系と同じくボックスシート主体のセミクロスシートながら背もたれの上部にモケットがなくて板だけだったり冷房がなかったりで晩年の評判は今市もとい今一つだったようで、野岩鉄道開業を前に冷房改造ではなく車体ごと新しく作り直して6050系に生まれ変わりました。
その後は特急「リバティけごん&会津」の発車を見届けてから新栃木行きの普通電車に乗車。
帰りも新栃木、南栗橋と二度にわたって乗り換えを強いられましたし、ダイヤ改悪後は急行が削減されたり区間急行が全廃になるので、ますます特急でないと利用し辛いダイヤになってしまうのではと懸念されますね。


その後は春日部で降りた際に、夕食には少し早かったけど野田線ホームにある「東武らーめん」でラーメンを食べました。
東武名物と言っても過言ではない立ち食いラーメンで、西新井にも同様の店がありますが、春日部駅の高架化工事が始まり完成まではまだまだだいぶ時間がかかるとはいえ、高架化後も立ち食いラーメンが残るのかが懸念されますね。
今回はラーメンを注文しましたが、値段がワンコインの500円というのも大きなポイントです。500円だから具がないとか不味いなんてことは全くないし、今どき500円でこれだけのラーメンが食べられるというのも貴重ではないかと思います。

今回の日記、その他写真は、こちらにもアップしております。
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