復興をめざして走る!

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生きてると実感した瞬間は?

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 森羅万象…私たち人間はなぜ「喉元過ぎれば熱さ忘れる」のか…?
 しかし、痛い目に遭ったときに「生きている」ことを実感することも事実であり、皮肉なものであります。
 今日は11年目の「あの日」であります。
 太古より書物や言い伝えで語り継がれてきたはずの先人たちの知恵と経験と苦難の歴史…。
 私たち子孫のための教えはたくさんあったはずなのに、リスク管理と危機管理にまるで生かされてこなかったことは残念です。
 近年では平成の大合併や無責任な「開発」のおかげで多くの犠牲者を出してしまう事態が頻発しています。昔から伝えられてきた災害の歴史を隠してしまっているかのような地名の変更…。地名には深い意味が刻まれています。それに蓋をするかのような地名変更には騙されたくないものです。


 さて、東日本大震災発生から11年となった今日…この車両を毎日のように見る機会があります。
 JR東日本E657系
 東日本大震災のあった平成23年(2011年)3月11日の約1年後の平成24年(2012年)3月3日に営業運転を開始しました。
 北海道から関東にかけて甚大な被害と多くの犠牲者を出したこの震災…各地で長期間にわたって交通が寸断され翌日には長野県北部地震(新潟・長野県境地震、信越地震)、その後も静岡県東部地震や長野県中部地震など遠方誘発地震とみられる強い地震が続発して東日本におけるインフラは大きな打撃を受けましたが、JR東日本の主要幹線では最も大きな被害と長期にわたる不通区間が続いていたのが常磐線でした。

 常磐線は東京都台東区の上野駅(正確には荒川区の日暮里駅までは東北本線)から千葉県北西部・茨城県から福島県・宮城県の沿岸部を通って宮城県岩沼市の岩沼駅で内陸部を通ってきた東北本線に合流する主要幹線で、上野駅~仙台駅間においては東北本線のバイパス的な役割も長く果たしてきました。
 とくに茨城県北部から福島県浜通り、そして宮城県南部にかけては海岸線に近いところを通っていることから津波により線路は寸断、福島県内では原発事故による影響もあって全線が復旧したのは近年になってからのことです。

 したがってE657系がデビューしたのは震災直後の混沌とした状況下の最中でした。
 当初の計画では常磐線の特急列車の運転系統を分割して上野~いわき間では新型のE657系に統一し、いわき~仙台間では別系統の地域間特急列車を新設してそれまで「フレッシュひたち」(651系で運転されていた速達タイプの「スーパーひたち」に対して停車駅が多いタイプの列車でした。現在の「ときわ」の前身にあたります)で活躍していたモノクラス編成のE653系を転用する予定だったそうです。
 しかし、震災により計画は大幅な変更を余儀なくされてしまい、E657系の増備により「スーパーひたち」「フレッシュひたち」E657系に統一されると余剰となった「スーパーひたち」用の651系は東日本各地で留置されたのちに交流機器をカットされて形式は変わらないものの事実上の直流電車に改造されて高崎線系統の特急列車に転用、E653系は耐寒耐雪強化などの改造を施されて新潟へ移り、羽越本線や信越本線の特急列車に転用されました。

 上野東京ラインの開業により北へ向かう東北・高崎・常磐線系統の列車と南へ向かう東海道本線の列車との直通運転が開始(既に新宿経由では湘南新宿ラインにより東北・高崎線と東海道・横須賀線の直通運転は行われていましたが…)されると常磐線も品川駅まで乗り入れるようになりました。ただし常磐線の場合は取手以北が交流区間となるので取手以北からの直通列車は交直両用電車であることから品川以西には乗り入れず、東海道本線の列車が常磐線に乗り入れることもありません。 


 梅まつり期間中の土休日、下り線のみ開設される臨時駅の偕楽園駅に到着する特急「ときわ59号」


 臨時駅の偕楽園駅には上り線のホームは設置されておらず、駅が開設する日であっても上り列車は全列車通過します。
 偕楽園駅を通過する特急「ときわ59号」 

 あの大震災の翌年にデビューし、常磐線沿線地域の復興とともに足跡を残してきたE657系
 常磐線の全線復旧に伴って特急「ひたち」の一部列車の仙台直通も復活しました。
 復興にはまだ道のりが長いですが、その歩みとともに走り続けてきた本系列の益々の活躍を願うものであります。