僕のハンドルネーム“青井岳夫”は言うまでもなく日豊本線青井岳駅からとったもので、大学生の頃から使っている。大学鉄研の連絡ノート(まだ携帯やスマホはおろかPCやEメールが登場するはるか前)ではペンネームを使う慣しだったのだ。
青井岳をハンドルネームにするくらいだから、さぞかしここでC57を撮りまくったのだろうと思う向きもあるかもしれない。しかし、僕は青井岳でC57を撮ったことはない。撮ろうとしたことはあるが、ある事情で撮れなかったのである。
それはC57 196号機に出会ってしまったから。先にも書いた1974年2月の宮崎への一人旅の二日目。朝の日向沓掛でC57 117号機を撮影した僕は次の列車を撮影すべく田野に向かった。日向沓掛寄りの鉄橋で下り列車を撮影して田野駅に戻ると、今撮ったばかりの貨物列車が停車していた。この591列車は田野着が11:44、発が12:47と1時間余り停車する。そこで先頭に立つC57 196号機に僕の目は釘付けになってしまった。当時鉄道模型(1/80)をやっていた僕が最も欲しかったのがカツミのダイヤモンドシリーズのC59だったのだが、サイドビューがそのC59にそっくりだったのだ。前日に宮崎駅で同じ4次型のC57 192号機も写真に撮ったし、ホームで急行の先頭に立つ196号機を間近に見たが、そのときは余り印象に残らなかった。おそらく近すぎたのだろう。しかし、田野駅で見た196号機は除煙板がいわゆる小工デフ(門デフ)でより一層スマートに見え、要すれば一目惚れ(二目惚れ)してしまったのである。C57の4次型がそれまでの1〜3次型と大きく変わったことは後になって知るのであって、そのときは知る由もなかった。
↓日豊本線田野にて(4点とも)
当初の予定では田野から青井岳に移動するつもりでいたが、このC57 196号機をじっくり見ようと、列車が発車するまでずっと田野駅周辺にいて同機を観察した。そういうわけで結局青井岳には行けずじまいで帰京する羽目になり、蒸機の走る青井岳駅は永遠に叶わぬ夢となった。
実際に青井岳駅を訪れたのは大学1年の1980年。前年にCTC化により無人駅となり木造の駅舎も取り壊された後のことである。余談だが、拙著『Excellent Railways ー遥かなる鉄路ー』を青井岳駅が所在する都城市役所に謹呈したところ池田市長から丁重なお礼の返事をいただいた。ハンドルネームが地元市長の公認を得られたような気分で、なんかうれしい。
↓最近の青井岳駅(2020年10月に撮影)