ときわ路へ

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 撮影履歴を見てみると、この車両に乗車して「海が見える駅カフェ」に出かけたのが昨年3月4日のことでした。

2021.3.4 上野駅16番線

 1年前は上野駅始発で9時00分に地平ホーム17番線から発車する常磐線特急「ひたち5号」いわき行でした。
 編成は画像を改めて見てみるとJR東日本勝田車両センターE657系K5編成でした。

 あのときは茨城県日立市の日立駅で下車。


 昔の日立駅のイメージを抱いたままやってくるとその変貌ぶりには驚かされるでしょう。
 ホームを跨ぐ東西連絡通路は大きな硝子張り。

 ホームから上がって改札口手前から眺める太平洋は陽光に煌めいていました。
 この駅の表玄関ともいえるメインストリート側は西口で、海に面したこちらの東口にはビルも商店もなく対照的です。駅前ロータリーも西口のそれとは違って控えめな造りです。その上に飛び出しているのが硝子張りの東西連絡通路と一体となっている駅カフェです。

 一旦コンコースから階下のデッキに下りてみますと駅カフェを下から見上げる感じに…。

 再びコンコースまで戻って駅カフェへ…。




 そして日立駅から水戸駅まで上りの普通列車で戻ッたのでした。
 水戸駅からはバスで岡山の後楽園、金沢の兼六園とともに日本三名園に選ばれている偕楽園へ向かいました。

 園内の梅はほぼ満開、ただ少し残念だったのは日立では青空が広がっていたのに対し、水戸市まで戻ってくると雲が陽光を隠してしまってきたことでした。




 彼女たちの上空だけは雲がありませんでした。

 と、ここまでが昨年訪れたときの画像です。


 今回は上野駅始発ではなく品川駅始発(上野東京ライン開通以降、朝と夜の一部列車を除いて常磐線の特急列車はほとんどが上野東京ライン直通の品川駅発着となっています)の特急「ときわ57号」勝田行に乗車しました。
 常磐線の昼行特急列車といえば国鉄時代から伝統の「ひたち」。国鉄時代に東北新幹線が開業するまでは常磐線経由で上野~青森間を結ぶ「みちのく」という列車や夜行の寝台特急では「ゆうづる」という列車が国鉄分割民営化以降も青森まで運転されていましたが、やはり本数からしても顔役は「ひたち」といっても差し支えないでしょう。
「ときわ」はかつて急行列車として常磐線に数多く設定されていた列車で、電車だけでなく水郡線にちょくつうする気動車列車も存在していました。しかし、国鉄時代末期に巨額のの累積赤字に圧迫されていた国鉄の増収策の一環として全国的に行われた急行列車の特急格上げにより「ひたち」に転身、列車名そのものも長くお蔵入りしていました。

「ひたち」は国鉄分割民営化で誕生したJR東日本初の新型特急車両として常磐線に颯爽とデビューした651系が勝田電車区(現・勝田車両センター)に集中配置されて停車駅を絞った「スーパーひたち」として運転を始め、後には老朽化していた国鉄型485系特急型車両で残っていた停車駅が多い「ひたち」にはグリーン車なしのオールモノグラスへのE653系を導入して「フレッシュひたち」として運転されていました。
 そしてE657系が開発されると、これも全て勝田車両センターに配置されて651系・E653系を駆逐、列車名も停車駅が少ない速達タイプを「ひたち」、停車駅が多い(かつての急行列車並み)タイプの列車に「ときわ」の列車名が復活しました。
「ひたち」は下り列車では品川始発・上野始発を問わず基本的に国鉄時代から変わらず上野駅を毎時ジャスト発、多くの列車が上野~水戸間ノンストップで走ります(朝晩の一部は土浦駅にも停車)。一方の「ときわ」は品川始発・上野始発ともに多くの列車が上野駅を毎時30分発で運転されています。こちらは多くの列車が上野駅を出ると柏・土浦・石岡・友部にも停車というかつての急行列車並みの多さとなっており、通勤時間帯(朝の上りと夜の下り)には龍ヶ崎市・牛久・ひたち野うしく・荒川沖の各駅か一部駅にも停車する東京への通勤客の着席サービスを図ったホームライナー的な列車もあります。

 10時30分…品川駅から上野東京ラインを通ってやってきた「ときわ57号」は上野駅8番線ホームを発車しました。
 上野駅を地平ホームから同時発車してきた高崎線普通列車と並走します。
 上野駅での同時発車シーンといえば古くは東北本線の特急「ひばり」、そして東北・上越新幹線開業後は東北本線の特急列車に代わって毎時ジャスト及び30分発となった信越本線の特急「あさま「白山」との並走シーンが思い起こされますが、これも北陸新幹線長野開業後以来昔話となりました。現在では高崎線系統の特急「草津」が数少ない特急列車同士の同時発車。あとは普通列車との並走シーンがほとんどです。
 常磐線の線路は上野駅を出ると日暮里駅までは東北本線と並走するのですが、独立した線路を走るので東北本線及び高崎線系統の列車と同時刻発車して並走するシーンも見られるのです。
 きれいに並走するということはあまりなくて、はじめのうちは常磐線の列車の方が先行する感じで、あとから東北・高崎線の列車が速度を上げて追い越してゆく…これは上野駅の構内構造や日暮里駅の先で常磐線は急カーブとなるのに対し、東北本線は直線的になることや東北・高崎線系統の線路には日暮里駅が設置されていないことも関係しているのでしょう。

 日暮里駅通過時に大宮総合車両センターを出区してきたのであろう伊豆への特急「サフィール踊り子号」E261系の回送列車とすれ違いました。上野東京ライン経由で始発駅である東京駅へ向かうのでしょう。
 日











 日暮里駅を通過すると東北本線と分かれて右へ大きくカーブしていきます。
 常磐線は開業当初は日暮里駅より北の田端駅へ向かって建設されました。後に上野駅へ繋がる線路が敷設されて現在の常磐線のかたちとなったわけですが、そのため日暮里駅の次の三河島駅までは南東方向に急カーブを描いています。
 この動画の冒頭に見える進行方向左側の下の方に見える線路が開業当初の線路で、現在でも田端駅方向へ向かって東北本線と繋がっており、貨物列車などが通ります。
 鉄橋を渡っているような音がする部分が三河島駅を通過しているところですが、島式ホームなので進行方向左側のこの動画の車窓では見えません。
 乗車したのは先日…3月5日土曜日です。
 水戸市の偕楽園では毎年恒例の梅まつりが開催されており、期間中の土曜・休日には赤塚駅と水戸駅の間の偕楽園に隣接して下り線のみに設置されている臨時駅の偕楽園駅が営業、9時30分頃~15時30分頃の間に偕楽園駅を通過する下り列車は特急列車も含めて全て臨時停車します(上り列車はホームが設置されていないので通過)。この列車も車内放送で偕楽園駅到着時刻が案内されています。

 この旧線路はこの先で勾配となっており、三河島駅の辺りで本線と同じ高さの高架となって三河島駅の先で本線に合流します。

 三河島駅を通過した特急「ときわ57号」は速度を上げて直線区間に入ります。
 斜めにアンダークロスする道路は都心部を囲うように半環状道路となっている明治通り。
 明治通りを過ぎると今度は左方向(北方向)へ急カーブするため速度を落としながら国道4号線・日光街道を跨ぎます。そして南千住駅を通過しますが、一旦ここで撮影をやめました。
 というのは、スマホの内部ストレージに入っていた動画などを外部SDカードに移動させておくのを忘れていて残り時間が無くなってしまったからです。
 一旦撮影を中止して外部SDカードにどうがや画像を移動させて撮影を再開したのは北千住駅を通過直後からです。
 この先は次回以降に時間を見つけながらゆっくりアップしていこうかと考えています。
 私の今回の「ときわ路徘徊記」にお付き合いいただける方は次回以降をお楽しみに…☆