皆様こんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

本日(というか未明)にホームページの更新を行いました。おかげさまで色々な情報を皆様から頂戴することができ、未確認車を発見することができました。

 

・キロ28 121

 

 

キロ28 121は晩年小牛田に配置されていましたが、キハ81系譲りのDT27系台車を履いていました。同じく小牛田の128も同台車を履いていたと思われます。台車振替が行われたと思われる1969年には山形に配置され急行「ざおう」のグリーン車で使用されていました。同時期に山形には121・128・133の3両が配置されており、121・128は履き替えていたため133も同台車に履き替えられていた可能性もあります。

 

キハ28 339

 

↑1981年に、九州と新潟の間で非冷房車と非冷房車の交換が行われ、1981年10月改正で余剰が出ていた九州の冷房車を新潟へ転属させて冷房化の準備を行い、これで捻出された同数の非冷房車が九州へ転じてキハ55・26の置き換えに用いられました。九州に渡ったキハ58系非冷房車のうち、2エンジンのキハ58は一部がJRに継承されましたが、キハ28は継承されずに廃車になっていますのでなかなかお目にかけることがありませんでした。

 

キハ28 2410

 

↑以前より公開済みでしたが一部修正点があり、今回他の車両と纏めて差し替えました。3位側通風器が押込み式のままであったこと、1位側の乗降ドアは丸窓が有ること(3位側は不明ですがここでは有りと想定しています)、床下水タンクのカバーが一部違う点を修正しました。

 

・キハ28 440

 

↑先のキハ28 339と同じく元新潟の非冷房キハ28ですが、車齢が若いからか1984年まで新潟に在籍し、越後線・弥彦線の電化に伴い七尾に転属しました。その後富山に転じたのちJR西日本に継承されました。同車に継承されたキハ28非冷房車は440と425しかいないので非常にレアです。そして間もなく余剰となるも嵯峨野線電化に先立つ客車列車の気動車化で活用され福知山に転じました。その後は嵯峨野線電化で予定通り廃車となっています。正面窓上の水切りが撤去されHゴムも一部が黒くなるなど、非冷房キハ28にも関わらずJR仕様になりつつあった姿が非常に興味深かったでした。

 

 

・キハ28 2484

↑私が山口を訪れた2000年以降、それまで黄色だったキハ28 2429が緑ストライプの急行塗装に変更されていたことから、元々緑ストライプのキハ28 2484はそのままの塗装だと思っていました。しかし同車が黄色くなっている写真を発見してしまったので、どうやら最後は黄色くなっていたようです。ボックスシートの仕様は同じ筈で、黄色くなるのか緑ストライプの急行色になるのかの基準が良く分かりません。。。

今までは緑ストライプのイラストのみを上げていましたが、黄色のイラストを追加しました。同車は両方のイラストを載せてあります。

 

この他にもキハ28 2058とキハ28 2129、キロ28 135も新情報を頂きましたのでイラストをアップしております。

 

先週から今週にかけて、非常に多くの情報を来訪者の方々から頂きました。特に国鉄時代は中間に入っている事が多く顔が出てこないキハ28や、早期に廃車になって探索が難しいキロ28の情報を頂き非常に感謝しております。しかしいまだにキハ28のトップナンバー 2001番はその顔が拝めませんね…。分割併合の無い「くまがわ」に運用されていましたのでなかなか見る機会が無いですね…。

 

この他にもキハ58の新情報も溜まってきましたのでこちらもボチボチ公開したいなと思っておりますので気長にお待ちください。

 

 

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。それでは次回もお楽しみに!!

 

是非私のホームページ

 

http://kami-kitami.sakura.ne.jp/index.html

 

にもキハ58系各車の解説がありますのでご覧になってください。