東京日光高速度電車鉄道の歴史が変わっていたら・・・(東武日光線で妄想する) | 架空鉄道 もしも宇都宮石材軌道の歴史が変わっていたら・・のブログ

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明治時代後期~昭和初期に実在した軌道が、もし歴史が・・・と想像する架空鉄道を想像しながら楽しむ鉄道趣味

下今市にて 2020年8月の撮影

東武鉄道は明治32年 北千住~久喜で開業。明治36年 羽生、明治40年 館林、足利町まで、明治43年 伊勢崎と延伸を重ねていた。

明治45年 佐野鉄道を合併し、葛生~鹿沼に軽便鉄道を敷く計画し、大正元年に免許も得た。

6050系に6000系のカラーリングをリバイバル塗装を施した車両 下今市にて

 

大正10年4月 東京・日光高速度電車鉄道は巣鴨=王子=岩淵=栗橋=古河=壬生=安塚=宇都宮=富屋=大沢=今市=日光を申請する。軌間1435mm複線電化で巣鴨~日光2時間で結ぶ計画。東武鉄道は佐野~葛生~鹿沼より栃木町を経由する計画に再考していて、伊勢崎線からの分岐点が決めかねていた。そこに東京・日光高速度電車が開通したら、東武には脅威となる鉄道だ。

大正10年5月 東武鉄道は伊勢崎線の杉戸より分岐し、栗橋、藤岡、栃木、家中、鹿沼で申請する。東京・日光高速度電車が開業した場合に東京~日光の競合路線で対抗できるように、ルート変更となったと推測される。

 

大正12年7月 東京・日光高速度電車鉄道へ免許されたが、9月 関東大震災により工事施行認可申請ができず、大正13年9月で失効となる告示が出た。大震災の影響で失効に対し訴訟を提起し、昭和4年3月に勝訴したが、その間に東武鉄道が工事を進め、同年4月 杉戸~新鹿沼を開業させていた。

新鹿沼2番線に停車する6050系。2022年3月のダイヤ改正で東武線内から営業運転は離脱する予定らしい。

同じく新鹿沼駅

1番線は350系 特急きりふり号 2番線は東武日光線 普通運用の主役となっている20400型

 

さて、架空鉄道としての物語

大正10年 巣鴨~日光を結ぶ東京・日光高速度電車鉄道の計画は、既に 宇都宮=徳次郎=豊岡=日光清滝で営業する地方鉄道が存在することから、巣鴨=古河=栃木=鹿沼=日光で申請したと想像。東武鉄道が、この申請を脅威として杉戸=栃木=鹿沼で再申請することは史実通りとする。

池袋~花畑を営業する豊野鉄道は花畑~野田町の延伸路線建設中である大正10年、野田町=関宿=境=古河=野木=栃木=壬生=宇都宮で申請する。

 

しかし、東京・日光高速電車鉄道は東武鉄道の申請と重なる栗橋~栃木~鹿沼、省線・日光線と並行路線となる鹿沼~日光は「敷設する必要なきもの」と判断され却下されたと想像。

豊野鉄道は野田町~関宿~境~古河の区間のみ大正12年7月に免許される。しかし9月の関東大震災で池袋~王子付近は火災による施設被災と地震による路盤など被災を受け、新規路線の工事施行許可申請どころでなくなり、大正13年9月に免許失効となった・・・。

と空想します。