1976年、田園都市線5両化と共にデビュー。

 

 

 

中央林間寄りから2両目の位置は変わらなかったが、両数が増える度に号車番号が変わって行った。

 

 

 

更新修繕、行先表示のLED化も施された。

 

 

 

押上乗り入れも果たしたが東武には入れず、2005年に運用を離脱。

 

 

 

相棒の8505は長野へ行ったのに対し、譲渡される事なく生涯を閉じた。