【投稿日 令和4年1月22日】
1 はじめに
(1)昭和63年3月ダイヤ改正前の状況
昭和63年(1988年) 3月ダイヤ前までの芸備線においては、多くの普通客車列車が運行されていました。詳細は、他の方の作品ですが、次のブログ・動画をご参照ください。
①<Rail・Artブログ(ライブドアブログ)>
②<旅一郎氏のYouTube動画>
また、昭和63年3月ダイヤ改正前の芸備線50系普通客車列車の勇姿の一例を引用します。
<引用>(昭和63年3月ダイヤ改正前)
※ヤフオクで入手、出品者了承済み(t氏)、転載等禁止
※この列車は、芸備線50系普通客車列車であるが、832レ、とのこと。(よって、時期は昭和63年3月ダイヤ改正前)
(2)昭和63年3月ダイヤ改正後の芸備線
昭和63年(1988年)3月ダイヤ改正で、芸備線の普通客車列車は1日2往復体制となり、平成6年(1994年) 12月の廃止まで、1日2往復体制で運行されました。
また、平成2年3月ダイヤ改正までは50系客車が使用されましたが、平成2年3月ダイヤ改正以降平成6年12月の廃止時までは12系客車が使用されました。(詳細は別記参照)
(平成6年12月ダイヤ改正後については記載省略)
(3)今回のブログでは
今回は、平成元年(1989年)11月の時刻表等を元に、この時期の芸備線50系普通客車列車について記載します。
2 昭和63年3月~平成2年3月 芸備線50系普通客車列車
(1)ダイヤ概要
上記の通り、昭和63年3月ダイヤ改正後~平成2年3月ダイヤ改正前の芸備線普通客車列車については、50系客車が使用され、1日2往復体制で運行されました。その概要は次の一覧表の通りです。
①昭和63年9月
(昭和63年3月ダイヤ改正後~平成元年3月ダイヤ改正前)
※この一覧表は自分で作成
※両数については不明。
※simo氏がTwitterに投稿されていた1990年(1990年1月~3月)の写真では7両編成であったため「7両?」と記載。
②平成元年11月
(平成元年3月ダイヤ改正~平成2年3月ダイヤ改正前)
※この一覧表は自分で作成
※両数については不明であるが、simo氏がTwitterに投稿されていた1990年(1990年1月~3月)の写真では7両編成であったため、「7両?」と記載。
※芸備線50系普通客車列車は、平成2年3月ダイヤ改正で12系化
※平成元年3月~平成2年3月のJR嵯峨野線で1日2往復体制で使用されていた12系客車が、平成2年3月以降平成6年12月の廃止時まで芸備線の普通客車列車として使用。
(2)勇姿
<引用>
※ヤフオクで入手、出品者了承済み(t氏)、転載等禁止
※場所は、狩留家駅。(ヤフオクでの説明では) 831レ、とのこと。撮影時期等不明
<ソロ鉄ブログ管理者補足説明>
※50系客車であることから、平成2年3月ダイヤ改正前。
※この写真によると、両数は7両。
<引用>
※次のツイートは、かつての芸備線50系普通客車列車のツイート。
— Toshinori.Saito2(ソロ鉄ブログ管理者)(鉄道垢) (@ToshinoriSaito2) January 19, 2022
※芸備線の普通客車列車は、1988年3月ダイヤ改正から1994年12月の廃止時まで1日2往復体制。
※芸備線普通客車列車は、1990年3月ダイヤ改正で12系となる(1994年12月ダイヤ改正で廃止)。#芸備線 https://t.co/YnRU1bFvAO※simo氏のツイートを引用リツイートのうえ、ツイートのリンクをコピーの方法で引用
※このツイートの写真を確認するあと、両数は7両。
【参考文献】
・Twitterにおける投稿
・ウィキペディア
・JR時刻表(1988年9月号、1988年3月号、1988年7月号、1989年11月号、1990年1月号)
・JTB時刻表(1988年3月号)
<参考 Pick1>
3 平成2年3月~平成6年12月ダイヤ改正前の芸備線12系普通客車列車
平成元年3月~平成2年3月のJR嵯峨野線で1日2往復体制で運行されていた12系客車は、平成2年3月の園部電化に伴い、平成2年3月ダイヤ改正後は芸備線及び播但線で使用されることとなりました。芸備線では、平成2年3月以降平成6年12月の廃止時まで、その12系客車が普通客車列車として使用されました。(後日改めて投稿する予定)
なお、廃止直前の状況については、次のブログにて少し掲載しております。
<参考までに>
最近の状況については、他の方のブログ等をご参照ください。
<金屋代かずお氏のブログ>
<参考 Pick2>
誤字脱字等があれば、その都度修正します。
引用箇所について転載等禁止
本日も最後までご覧いただきありがとうございました。