兵庫七福神めぐりと和田岬線 | 鉄道で行く旅

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今回は、兄家族による「兵庫七福神めぐり」です。(2020年1月3日の撮影です)

「兵庫七福神めぐり」のスタート地点は神戸市営地下鉄海岸線の和田岬駅です。ここからゴール地点のJR兵庫駅まで歩きました。

(上の画像は2006年1月に神戸市営地下鉄海岸線三宮・花時計前駅で撮影したものです)

 

兵庫七福神7社寺の地図です。和田岬駅から兵庫駅までの兵庫七福神めぐりの所要時間は1時間30分~2時間程度です。

この兵庫七福神が始まったのは2003年のことです。社寺巡りを通して兵庫区の歴史を知ってもらおうと、和田神社の宮司らが発起人となり選定したものです。(6)と(7)は隣接していますので、参詣する順序は、どちらが先でも構わないでしょう。

 

参考画像(通称・和田岬線)

和田岬といえばJR山陽本線の支線である通称・和田岬線を思い浮かべる人が多いと思います。(2013年5月撮影)

 

この和田岬線は、朝夕のラッシュ時に通勤客を対象とした列車が走行するのみの状態ですので、和田岬線を訪問される方はご注意のうえ、事前に列車の時刻表をご確認ください。(2013年5月撮影)

 

兵庫運河に架かる和田岬線の和田旋回橋です。今は回転機能が撤去されているため旋回することはありません。しかしながら、画像のように旋回橋時代のデザインを維持しています。(2013年5月撮影)

 

この和田旋回橋は、山陽鉄道(山陽本線国有化前の明治時代の鉄道会社)が1899年(明治32年)12月に竣工させたものです。

日本最古かつ最初の鉄道可動橋であることから、2021年(令和3年)9月28日に土木学会選奨土木遺産に認定されています。(2013年5月撮影)

 

「兵庫七福神めぐり」の説明に戻ります。

1.和田神社(弁財天)

和田神社は、淡路から蛭子大神が和田岬に上陸したのが始まりと伝えられ、承安3年(1173年)に平清盛が大輪田泊(現在の中央市場前駅付近の港)を修築の際に、事業の無事と兵庫の繁栄を祈願して、安芸国厳島神社より市杵嶋姫命(弁財天)を勧請したと言われています。明治34年(1902年)に造船所の建設のため現在地に遷座しました。

 

和田神社の境内です。

「兵庫七福神めぐり」は、御朱印ではなく、各社寺で人形をいただきます。七福神の人形が乗る台(宝船)を購入できるのは、この和田神社だけです。

 

2.薬仙寺(寿老人)

薬仙寺は天平年間(729年~748年)に行基が開山したと伝わる古刹で、往時は天台宗でしたが、延文年間(1356年~1360年)に京の霊山国阿(時宗8世)が中興し、時宗に改宗しています。

 

薬仙寺の寿老人像です。

 

3.真光寺(福禄寿)

真光寺は、時宗の開祖、一遍上人が亡くなった寺として伝えられており、境内には五輪石塔の廟所(県指定史跡)があります。

 

真光寺の境内です。その理由は不明ですが、七福神めぐりの福禄寿ではなく布袋尊の石像が置いてありました。

福禄寿は、境内の観音堂の中に祀られています。

 

4.能福寺(毘沙門天)

能福寺の寺伝では延暦24年(805年)に最澄(伝教大師)により能福護国密寺として創建されたとされており、日本最初の密教教化霊場と称しています。1891年(明治24年)に豪商・南条荘兵衛の寄進により大仏が建立されましたが、1944年(昭和19年)5月に戦時体制下の国家総動員法にもとづく金属類回収令により解体されました。現在の大仏は1991年(平成3年)に再建されたものです。

能福寺本堂の毘沙門天像(昭和初期に高村光雲が作ったもの)は完全な秘仏になっており、公開されていません。

 

5.柳原天神社(布袋尊)

柳原天神社は、菅原道真が大宰府へ左遷される途中で、大和田泊に上陸し、真野ケ原一帯の梅花を賞で、「風さむみ 雪にまかへて 吠く花の 柚にそうつれ 匂ふ梅が香」と詠んだことから、その遺徳を偲んで建立された神社です。

 

柳原天神社の七福神像です。

 

6.福海寺(大黒天)

福海寺は、1344年(康永3年)に足利尊氏が在庵圓有(現在の兵庫県御津町室津の出身)を京都西賀茂の正伝寺より招聘して創建し、足利義満はじめ足利歴代将軍に尊崇されました。福海寺に大黒天が祀られているのは足利氏の大黒天信仰によるものですが、大国主の子孫である賀茂氏と福海寺が深く関係のあったことにも由来すると言われています。

 

7.柳原蛭子神社(蛭子)

柳原蛭子神社の通称は「柳原えびす」です。

 

柳原蛭子神社に置かれていた蛭子像です。この像は、ある会社の庭に祀られていた「えびす像」でしたが、2003年(平成15年)3月に柳原蛭子神社に移しお祀りすることとなったものです。

 

柳原蛭子神社は「兵庫津の道」「西国街道」という古い歴史を持つ柳原の中心に建立されています。元禄5年(1691年)、兵庫津の「寺社改帳」に神社のことが記されていることから、元禄以前から祀られていたことがわかります。

 

兵庫七福神めぐりは、これで完了です。

和田神社で購入した台(宝船)と7社寺で授かった七福神の人形です。

注:社務所・寺務所が無人の寺社はセルフサービスで人形を購入することになっていました。

この後、JR兵庫駅から帰途につきました。

 

和田岬線の車内から見たJR兵庫駅です。(2013年5月撮影)

 

JR神戸線で大阪まで帰りました。(2018年5月に撮影したJR神戸線のイメージ画像です)

(おわり)