帝釈人車鉄道の歴史が変わっていたら・・・(寅さん記念館の復元人車を眺めて 空想する) | 架空鉄道 もしも宇都宮石材軌道の歴史が変わっていたら・・のブログ

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明治時代後期~昭和初期に実在した軌道が、もし歴史が・・・と想像する架空鉄道を想像しながら楽しむ鉄道趣味

葛飾柴又と言えば・・・

京成金町線で訪れる人気の下町(画像は金町駅にて)

柴又駅前には帝釈天に続く参道

明治32年12月17日、帝釈人車鉄道は金町駅前と柴又を結ぶ人車軌道で開業した。

柴又帝釈天の近くにある「寅さん記念館」に当時の人車が再現されています。

車内に入ることもできます。

 

帝釈人車鉄道は明治40年に帝釈人車「軌道」に社名変更されたが、京成電気軌道が押上~曲金~市川(伊与田)、曲金~柴又の営業を大正元年に開通し帝釈人車軌道を買収、大正2年に柴又~金町を改軌、電化し 現在の金町線に至っています。

 

さて、ここから架空の話 もし帝釈人車鉄道が、京成より先に押上~柴又を延伸させていたら、、、空想です。

帝釈人車鉄道は明治43年に「帝釈軽便鉄道」に社名を変更し、常磐線と総武線に挟まれた地域、本所地域と柴又を結ぶ鉄道が計画され舟運にも便利な押上を起点に寺島、本田(ほんでん)村四ツ木、立石を経由し柴又を結ぶ人車でなく762mm軌間の蒸気機関車が牽引する軽便鉄道を大正元年に開業させる。更に柴又~金町の軌道は金町付近を築堤により常磐線を跨ぎ小合溜井、水元さくら土手堤の行楽客や中川の水運拠点の戸ヶ崎まで延伸し大正2年、押上~戸ヶ崎 約13kmの路線を運営することになる・・・と空想します。

宇和島駅前に展示されているCタンク機関車のレプリカ

大正3年 762mm軌間の軽便鉄道「宇和島鉄道」は宇和島~近永で開業している。

こんな機関車が帝釈軽便鉄道でも運用されていたかな?・・・と妄想しながら 眺めています。

押上~戸ヶ崎を蒸気機関車の動力による軽便鉄道で営業していた帝釈軽便鉄道。高砂では電気軌道の京成電気軌道が乗り換え駅として隣接していた。帝釈軽便鉄道は大正9年より荒川放水路の建設に伴う路線変更を寺島~四ツ木で行う計画となる。このタイミングで762mm軌間から1435mm軌間切り替え、地方鉄道へ転換することが決まる。大正12年 押上~高砂~金町~戸ヶ崎 複線電化路線に変貌。社名は帝釈電気鉄道となる。高砂で京成電気軌道が乗り入れる。更に大正15年、戸ヶ崎~彦成(三郷)を単線で延長。豊野鉄道の彦成~野田町へ直通することとなる。

車両は京成電気軌道と同様、大正12年の電化時は低床車でない木造車。大正15年の彦成延長時は半鋼製全長16mボギー車を投入した・・・と空想。