皆様こんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

今日は阪神・淡路大震災が発生した1995年1月17日から丁度27年目の日となりました。改めて被災された方々に心からご冥福をお祈りいたします。あれからもう27年も経ったのですね。あの時生まれた方はもう27歳、あの時大学受験だった私はもうアラフィフ前のおじさんになってしまったという事です。ちょうどセンター試験が終わってバタバタしている時の出来事でしたので今でも強く印象に残っております。

 

さて、震災の時はJRに限ってもJR西日本のみならず日本の大幹線である東海道・山陽本線(いわゆるJR神戸線の区間)や山陽新幹線が大幅な被災を受け、大動脈が寸断されてしまいました。そのためJR西日本はいち早く迂回ルートの確保を行い、山陰本線・福知山線~播但線・加古川線というルートで代替輸送を行うことになりました。

 

↑写真は迂回輸送時ではありませんが、播但線の急行「但馬」です。播但線は震災後の迂回ルートとして重要な役割を果たしました。

 

この時はJR西日本内の他の支社からの応援車両だけでなく、JR東日本からもキハ58等が応援に駆け付けました。また智頭急行からHOT7000型も借り入れられ、また連絡する特急「北近畿」は雷鳥などの485系を借り入れて増結も行われました。

 

こういった対応は何とか鉄路を繋いで代替ルートを確保しようという熱意の表れだと思いますが、設備や車両もこれに対応しやすい環境であったことも一因だと思います。当時はまだ全国統一設計で製造された国鉄型車両が多く残っており融通が利いた事、各地に波動用車両が比較的多く残されていたことも有利に働いたものだと思います。現在他のJR各社から車両を借り入れようにも乗務員訓練も無しにいきなり借りれるような車両は少なく、また国鉄型でもATS等の保安機器が各社独自のものにされている事も多く、そもそも定期運用以外にあまり余剰車を持たない時代になってきましたので、同じ系列でまとまった両数の代替車両を確保する事自体がなかなか難しいです。

 

昨今では鉄道のネットワークとしての機能が希薄になってきたことを感じることがあります。先日乗車した大糸北線も折角の北陸新幹線から白馬方面へのアクセスというメリットがあまり活かされていないようにも感じました。現在の輸送密度を考えるとJR西日本区間は廃止になってしまうかもしれませんが、そうすると大糸線の魅力は大きく失われるのかなという気もします。

平常時のみならず有事にも多くの輸送を担ってきた鉄道ですが、この先どうなってしまうのでしょうかね。

 

 

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。それでは次回もお楽しみに!!