機   番:69号機

新   製:昭和29年7月1日

製   造:川崎車輌+川崎重工

製造番号:No.165

新製配置:東京機関区

最終配置:広島機関区

廃   車:昭和56年2月4日

 

【廃車時の形態】

パンタグラフ:PS22

前照灯:原型

尾灯:原型内バメ式

正面窓:大窓

正面ヒサシ:小型

デフロスタ:なし

正面飾り帯継ぎ目:タイプ 〈

列車電話:あり

電源車制御装置:なし

元空気ダメ引き通し管:あり

スノープラウ:なし

スノープラウ取り付け台座:あり

ステップ:スノープラウ台座取り付けタイプ

汽笛カバー:なし

常磐線用列車無線:なし

乗務員ドア:原型

側面ハシゴ:改造切り欠きタイプ

側面エアフィルター:改造鎧戸タイプ

側面ナンバープレート:板状タイプ

暖房装置:SG

 

【改造履歴 (抜粋) 】

昭和38年 5月31日~:甲修繕 (施工は浜松工場で同年6月8日に出場)

                 前面に手すりとステップを取り付け。

昭和45年 3月 2日~:中間検査B (施工は広島工場で同年3月10日に出場)

                 側面エアフィルターを鎧戸タイプに改造。

 

【転配履歴】

昭和34年 9月22日:水上機関区に貸し出し

昭和34年 9月28日:東京機関区に返還

昭和36年 8月15日:宇都宮運転所に貸し出し

昭和36年 8月29日:東京機関区に返還

昭和40年10月 4日:下関運転所

昭和48年10月 3日:広島機関区

昭和55年 8月 1日:米原機関区に貸し出し

昭和55年11月 1日:第二種休車に指定

 

EF58は68号機を最後に一旦、製造がストップしましたが、1年後の昭和29年から増備が再開されました。69号機はそのトップバッターとなるのですが、いわゆる 「第4次増備車」 のグループになります。しばらくは東京機関区で東海道本線を中心に旅客列車や荷物列車の牽引に従事していましたが、東海道新幹線開業後は山陽路に働き場所を求めました。昭和47年にはブルートレインの牽引も行うようになりましたが、その際に20系客車を牽引するのに必要な元空気ダメ引き通し管の取り付け工事を実施しました。改造履歴にはありませんが、昭和50年代に入ってパンタグラフを下枠交差型のPS22Bの挿げ替えられましたが、前面窓の小窓化及び広島工場特有の “一文字まゆ毛” こと、左右一体型ヒサシを取り付けられることはなく、最後まで大窓を維持したことで知られています。

晩年、米原機関区に貸し出されましたが、広島機関区に返還されたのか、米原貸し出しのまま休車→廃車になったのかは不明です。

 

 

有名な山陽本線小野田-厚狭間を行く69号機。パンタはPS14のままなので、昭和40年代後半から50年代前半にかけて撮られたものと思われます。

20系の編成が短いので、寝台特急 「安芸」 である可能性が大きいですね。

 

 

昭和52年4月1日、東海道本線高槻-山崎間にて。

牽く客車は近代的に24系25形になっていますが、これだけだと 「彗星」 か 「あかつき」 か 「明星」 かは判別不可能です。

どちらにしても、新大阪駅で客を降ろして、塒である向日町運転所へ回送しているところを撮ったのでしょう。

 

 

昭和52年3月27日、東海道本線新大阪駅にて。

これも寝台特急を牽引して、終着の新大阪駅に到着したところを撮ったと思われますが、これも 「あかつき」 か 「明星」 か 「彗星」 かは判りません。 「安芸」 の可能性もありますが、 「安芸」 が24系25形に置き換わるのは同年9月からなので、 「安芸」 ではないですね。

(3枚ともウ様提供) 

 

 

撮影日、撮影場所ともに不詳ですが、69号機のパンタグラフがPS22になっているので、晩年の姿と思って良いのかなと思います。

撮影場所も 「大阪駅?」 と思ったのですが、広島駅かもしれませんね。

荷物車2両という寂しい編成ですが、2両目は一瞬、オユ10かと思いきや、窓配置から現ナマ輸送車のマニ30だと思われます。

PS22が真新しいっぽく見えるので、挿げ替えた後に荷物車2両を従えて試運転しているという図であれば、何となく辻褄は合います。

(画像提供:タ様)