自分の趣味を長く続けてこられた理由は、人それぞれ違い、思いの丈も様々だろうが、アントンKの場合は結構明確に理由づけられる。その一つは、以前にもここで書いてきたが、国鉄時代の現役蒸機の撮影が叶わなかったこと。辛うじて国鉄時代から運転が開始された「SLやまぐち」号には、初年度からカメラを向けられたが、当時の友人達から感じる、それまでの蓄積の大きさを痛感したのだった。そしてもう一つ、学生時代に風邪をこじらせ入院する羽目となり、アントンKにとって当時重要な時期であった約半年間カメラを持てなかったことがあるのだ。こんな苦い経験があるから、もう二度と同じ過ちを繰り返さないと心に誓い、1日でも長く趣味人生を楽しもうと思ったのである。これからもこの悔しさは忘れないだろうが、この思いをバネにして意識を高めていきたい。バネが錆びつかないようにしながら・・・
そんな当時の古い写真からまた1枚。中央線をいくEF15の貨物列車。撮影記録を見ると、この数日後に緊急入院となってしまったことが判る。とにかく熱が下がらず、それでも取り付かれたように高尾臨・成田臨をフラフラで追っていたことを思い出せる。いやはや若気の至り、当時は健康あっての趣味活動の意味が解っていなかったのだろう。45年前のとても寒い昼下がりだった。
1977-01-15 3485 EF15 162 中央東線:荻窪にて