皆様こんばんは。ブログ及びホームページ管理人の神@北見です。

 

昨日は3月のダイヤ改正情報として快速「あがの」廃止のニュースをお伝えいたしました。新潟は国鉄時代より急行「赤倉」指定席車用の車以外は生え抜き非冷房車の勢力が強く、1982年11月のダイヤ改正以降は冷房化向上のため各地より冷房車が転入したものの「あがの」の快速化や老朽化で一旦縮小、その後はJR化後にサービス向上で再び冷房車が転入したりしていました。そのため末期の新潟地区(新津)には色々な経歴・形態の車両が集まっていましたね。

 

今回は様々なバリエーションが見られた新津のキハ58系の一部をご紹介したいと思います。(一部転出済み車を含む)

 

<キハ28 2168>

↑新潟には1982年11月改正向けに冷房キハ28が転入していましたがこれらは多くが廃車or転出してしまい、JR化後の1990年以降はキハ110化で捻出された水戸からの転入車が多く見られました。このキハ28 2168は常磐無線アンテナ+角型のAU13クーラーキセ+平窓更新車というクセの強い形態で異彩を放っていました。

 

<キハ28 2316>

↑キハ28 2316 元々は和歌山・奈良車でしたが1982年11月改正で急行「月山・もがみ」の冷房化の為山形へ転出、その後1985年3月改正で同急行の縮小の際は急行「陸中」冷房化で盛岡へ転出、更に同急行のキハ110系化で新潟へ転じました。転属の経歴を残した前面形態が特徴でした。

 

<キハ28 2363>

↑新潟には1982年11月改正用に九州から冷房車のキハ28 2301・2363・2364が転入していましたが、こちらは1990年代の転配で長野に転じてしまいました。元々新津配置車を長野に転属させ、新津には水戸からの転入車を入れる理由は良く分かりません。

 

<キハ28 2371>

↑キハ28 2371も1990年代に水戸から転入した車でしたが、こちらは後に急行色に塗り戻されて最後まで活躍しましたので人気のあった車です。

 

<キハ28 2507>

↑元々は急行「アルプス」用で、1975年3月の同急行廃止後も松本に残留し急行「白馬」で使用されていましたが1982年11月改正で廃止されると松本の2506~2508揃って新潟に転じて急行「べにばな」「あがの」の冷房化で使用されました。国鉄時代より新潟にいた冷房キハ28でJR化後の1990年代以降も継続で使用されたのはカーペットカー以外はこのグループのみでした。なお2506~2508のうち、2506は1993年の快速「あがの」キハ110系化で捻出され小牛田へ転じています。

 

<キハ58 503>

↑キハ58についてはJR化後に中込にいた冷房車の多くが新津に転属しました。当車は元々米子・鳥取に居た車ですが1985年3月改正での山陰地区急行減便で中込に転じていました。以降冷房を使うことがありませんでしたが1991年のキハ110系化で新津に転じています。この車は角型のAU13クーラーキセになっているのが特徴でしたが中込時代は通常のクーラーであり、新津時代に交換されたのかと思われます。

 

<キハ58 646>

↑キハ58 626・644・646・650の4両は1986年11月の福知山線電化で捻出された米子・豊岡から新潟に転属したグループです。このうち626・650は新潟へ転属直後に「サロンエクスプレス アルカディア」に改造されていますので原形で使用されたのは644・646の2両でした。2両とも新潟配置のまま更新工事され最後まで使用されました。

 

<キハ58 677>

↑先のキハ58 503と同じく鳥取から中込に転じたのちに新津へ転属した車です。車両更新もされ、1997年以降の長野のキハ52流入後も遅くまで残存しました。

 

<キハ58 675>

↑なおキハ58 675も677と同じような経歴を辿って新津に来ましたが、1993年のキハ110系投入で捻出されて小牛田に転じています。

 

<キハ58 1012>

↑急行「赤倉」の指定席車用として国鉄新潟時代から冷房化されていた生え抜き車です。組織改編・再開発で新潟から新津に転じましたが一貫して同地区で活躍していました。このグループはキハ58 1009・1010・1012・1019~1021の6両が居ましたが1009・1010はキハ110系導入による1993年の転配で長野へ転じ、1021は1985年3月改正で「あがの」が快速化された際にカーペット車化されています。よって原形に近い状態で活躍していたのは1012・1019・1020の3両でした。ちなみにこの次車では1011も在籍していましたがこの1両のみは冷房化から漏れており可哀そうな状態でした…。

 

<キハ58 1010>

↑先にも挙がりましたが1009・1010の2両はJR化後快速「あがの」キハ110系化で捻出され、1993年に新津から長野に転じました。なおこの転配で長野の411・427が捻出されています。

 

<キハ58 1022>

↑元々新潟にいた1019~1021の続番なので同じグループかと思ってしまいますが、こちらは新製時より長野にいた車です。こちらは1990年の車両大移動の際に長野から新津に転じています。新津に居たキハ58平窓車のラストナンバーで車両更新も受けていたことから長命で後に急行色化されてキハ28 2371と共に活躍しました。

 

<キハ58 660>

↑新潟では一時期多くの冷房車が転入しましたが普通・快速列車に積極的に冷房車を投入する動きには消極的で、結局多くの非冷房車が残っていました。多くは国鉄時代からの新潟生え抜き車です。

 

<キハ58 1130>

↑JR東日本管内でキハ110系が続々投入された1990年代前半は冷房車を優先的に使う傾向がありましたが、中込にいたモデルチェンジ車の非冷房車は新津に集められました。この車は1970年代末期まで米子管内で非冷房のまま残ってしまった車の残党で、美濃太田・中込を経て新津に来ています。

 

<キハ58 1534>

↑こちらはキハ58新製車ラストナンバーの1534です。1533と共に元々は新潟に配置されていましたが1982年11月改正の急行「赤倉」廃止で中込に転じていました。そして1990年代の同線のキハ110系化で古巣の新津に戻ってきていたものです。中込時代にタイフォンがスリット式に改造されていましたが、新津に復帰した際もそのままでしたね。(このままで良いのだったら、なぜ国鉄時代にあんなに精力的に筒状タイフォンカバーに改造したのでしょう!?) なお僚友の1533は1993年の新津へのキハ110系投入で小牛田に転じ、更に1998年に盛岡のキハ58の一部に事故廃車が発生した際に補充で盛岡に転じています。

 

番外編

<キハ28 2032>

↑国鉄時代の新潟では、1982年11月改正での冷房使用のために1980年下期より冷房車が転入しましたが、これらは各地の若番車がメインであり、1985年の急行「あがの」の快速化、そして急行「べにばな」の運転区間短縮・編成短縮で多くは廃車になってしまいました。そして国鉄末期にはこれら余剰車の有効活用という事でこの若番車の一部はカーペットカーとして転用されました。その後も1986年11月には福知山線電化に伴う後期車の転入等で若番車の淘汰が進みましたが、この2032はカーペットカー化されたことが幸いして、JR化後も比較的晩年まで残存しました。

 

国鉄時代の1980年頃までの新潟では生え抜き車が多く変化に乏しい状況でしたが、その後は激しい転配により色々な車が転入し面白い状況になって来ていました。現在の新津はキハ40系一般車もおらず少々寂しい状況ですが、快速「あがの」廃止後も引き続き各線で色々な車両が長く活躍すると良いですね。

 

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。それでは次回もお楽しみに!!