皆様こんばんは。ブログ及びホームページ管理人の神@北見です。

 

今日は珍しく時事ネタです。

 

昨年末にJR各社から3月ダイヤ改正の内容が発表されましたが、そのなかで快速「あがの」の廃止が取り上げられておりました。
 

 

快速「あがの」が磐越西線の非電化区間を含む、新潟~会津若松を結ぶ快速列車です。現在はGV-E400系で1往復運行されているようです。

 

快速「あがの」は昔は急行列車で新潟~郡山~福島~仙台間を磐越西線・東北本線で結ぶ都市間列車でした。なお新潟~仙台間には磐越西線経由の他に米坂線・奥羽本線・仙山線経由で新潟~米沢~山形~仙台を結ぶ急行「あさひ(後のべにばな)」も運転されており、国鉄時代は鉄道が都市間輸送の要であったことが分かります。

 

↑57-11改正前の1982年5月号時刻表からです。新潟~仙台間に2往復設定されています。朝仙台をでる運用は小牛田担当でグリーン車無し(1980年10月まで連結)、朝新潟を出る運用は新潟・水戸担当で急行いなわしろと共通でグリーン車入りでした。水戸の車は急行「いわき・いなわしろ」で延々水戸から運用されていました。

 

東北・上越新幹線本格開業の1982年11月の改正では東北地区の気動車急行は壊滅状態になりましたが、急行「あがの」は両側で新幹線連絡列車としての使命もあり、そのまま存続します。

 

↑1983年4月号です。2往復急行で存続しています。ただし東北本線内は新幹線利用が優位という事もあり、福島で打ち切りになっています。

 

あまり知られてはいませんがこの57-11改正後、急行「あがの」は原則全車冷房化されます。これは1980~1981年に流入した冷房車を活用したもので本格的に冷房使用開始しています。

 

その後

 

↑しかし、1985年3月の「60-3改正」では、東北新幹線の上野開業により新幹線転換がさらに進み、電化区間の「ばんだい」と共に快速化されてしまいます。また東北本線への乗り入れもなくなり、1往復は新潟~会津若松間運行へ短縮されます。

 

この快速化により、急行時代に冷房化が達成されたのが再び非冷房化されてしまいます。これにより新潟に在籍していた冷房車は状態の良いものが山形に転じたりしましたが多くが余剰となってしまいます。1982年に冷房化されたのに勿体ないのですね。これは特に郡山方では急勾配が続くため1エンジンのキハ28を極力編成から外したいこと、また新潟に転入していた冷房車は若番車が多く老朽化が進んでいたことも一因かと思います。当時は東北地区の普通列車なんて非冷房が当たり前でしたからね。

 

そしてJR化を迎えますが、JR化当初は積極的な施策が多く、「あがの」も変化がありました。

 

↑1988年3月の改正で「あがの」は全列車郡山発着になりました。これは1990年3月の時刻表です。

 

引き続き非冷房車が目立つ編成ではありましたが、磐越西線全線を通しで運行され停車駅も少なく、特急「あいづ」と共にフラグシップ列車であることが分かります。

 

しかし、1993年12月には合理化の波が押し寄せ、磐越西線への一部キハ110系投入により快速「あがの」も同系列化され、運用効率を上げるため2往復とも会津若松打ち切りとなってしまいます。

 

↑2往復が存続していますが、両方とも新潟~会津若松間の運行となってしまっています。1993年12月の小規模ダイヤ改正の際、キハ110系の増備により変更されました。

 

これにより新津のキハ58系は縮小の波が進むこととなります。

 

その後しばらくはこの新潟~会津若松間2往復体制が続きますが次の転機は2003年に訪れます。

 

↑2003年4月号の時刻表からです。快速「あがの」は午後のスジが普通列車と統合されて廃止となり、午前中の1往復のみとなりました。

 

さて、このような変遷を経て1往復のみになっていた「あがの」ですが、とうとう今改正で残りの1往復も廃止されてしまうことになりました。これは普通格下げや前後の普通列車と統合されるものではなく県境部分が実質廃止となるようで、新津~五泉・馬下と野沢~喜多方・会津若松に代替列車が設定されるようです。

 

かつては線内輸送のみならず、上野や仙台・新潟を結ぶ直通列車が多数運行され活況を呈した磐越西線、これで優等列車は快速「ばんだい」の血を引く「あいづ」のみとなりました。こちらは一時期は特急型を使用した快速が廃止後は寂しい状態となっておりましたがE721系への指定席導入により再び快速「あいづ」の名称が付いておりますね。

 

現在はこのような地方の都市間輸送ですら鉄道の時代では無くなっているような感じで非常に寂しいですが、残った地域輸送で引き続き活躍してもらいたいものです。

 

 

↑こちらは既に「あがの」運用から撤退後の1997年頃ですが、磐越西線運用には時折キハ28が混入していました。かつての快速運用を思い出させますね。

 

 

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。それでは次回もお楽しみに!!