2021年11月23日、羽島市歴史民俗資料館に竹鼻線開通100周年展をみて、竹鼻のまちをあるいてきた。
◇ ◇
電車で竹鼻まで
さいしょは西尾線。ふるい7時53分のしんあんじょういきふつうにのる。電車は2両たす2両の連結で、まえ2両がきんぎょばちのあっかい電車、うしろ2両が鉄仮面のあっかい電車。
みなみあんじょうは先着して、吉良吉田いき急行のあっかい電車といきちがい。
8時2分、しんあんじょうは2番のりばにとうちゃく。
西尾線から名古屋本線にのりかえ。こせんきょうをのぼりおりして、4番のりばに移動。しんあんじょう8時12分の岐阜いき特急にのる。
電車はパノラマスーパーで、特別車1号車3Dの展望席にうしろむきにすわっていく。うしろむきにみてみぎまどがわはしらまえ。
金山に停車したとこで「車内確認中です。しばらくおまちください」って車内放送。ちょっとしてしゅっぱつ。
みぎ東海道線尾頭橋(おとうばし)をすぎたとこで、ほのみぎ中央線名古屋いきふつうの211系ステンレス電車とならんではしる。
トンネルにもぐって、名古屋に停車。のりばにおったちびっこ写真家が、とうちゃくしたパノラマスーパーをとりにはしってくる。
おおきくひだりにゆみなっていくとこで、わがパノラマスーパーの先頭が庄内川鉄橋のうえでミュースカイとすれちがい。
庄内川鉄橋をわたっとるとこで、みぎ、しも、枇杷島橋のむこうに新幹線。
国府宮に停車。最前列にのってきたおやこ5人、うれしそう。
みぎ車窓はるかむこうに養老のやまやまをみながら、濃尾平野をきたにすすむ。
一宮に停車。むかいののりばに、尾西線(びさいせん)津島いきふつうのあっかい電車。
新木曽川に停車。線路わきに23キロポスト。名古屋からの里程だ。
ここで、岐阜いきふつうのこおろぎ塗装をおいこし。
木曽川をわたって、愛知県から岐阜県にはいる。はしのうえからみぎ、しもに木曽川橋。
9時3分、きっついみぎ曲線のとちゅう、笠松は2番のりばにとうちゃく。のってきた電車をみおくり。
竹鼻線にのりかえ。むかいの1番のりばにまっとった、笠松9時10分の新羽島いきふつうにのりこむ。電車は、3107編成2両3100系こおろぎ塗装。
留置線にとまっとるあっかい電車をみぎにみて、みぎにゆみなりながらしゅっぱつ。ところで運転士さんがまどにかばんをおいとって、せっかくの前面展望がだいなし状態。
ひだりぶくらみのいきちがい分岐をひだりにはいって、西笠松(にしかさまつ)に停車。まちは笠松じゃなくてこっちの西笠松のほうにある。
はんたいから笠松いきふつうのぎんいろ電車がくるのをまって、しゅっぱつ。
みぎにゆみなりながら、県道14号線をのりこえ。このみちがひだりに木曽川橋につながる。
柳津(やないづ)に停車。
みぎぶくらみのいきちがい分岐を直進して、南宿(みなみじゅく)に停車。
はんたいから笠松いきふつうのあっかい電車がくるのをまって、しゅっぱつ。
須賀(すか)に停車。
不破一色(ふわいしき)に停車。
やけにたっかい架線柱をくぐる。
9時25分、竹鼻(たけはな)にとうちゃく。1921年、竹鼻線が開業したときの終点竹鼻だ。ほんなだいじなえきなのに、かんたんなひだりかためんのりばのえきってのがふにおちん。
のってきた電車をみおくり。このさき、大須(おおす)までの区間が開業して竹鼻線が全通したのは1929年のこと。ただし、江吉良(えぎら)からさきの区間は2001年に廃線。電車は、1982年に江吉良から分岐する新線としてできた羽島線の終点新羽島にむかう。新羽島で新幹線岐阜羽島と連絡する。
のりおりのようすを観察。のりばにおったひとがみんな新羽島いきふつうにのったわけじゃなかった。このあとすぐにくる、笠松いきふつうをまつひとがおおかった。竹鼻も新羽島も羽島市のうちで、竹鼻のまちがもともとのまち、新羽島があたらしい拠点って関係になるだけど、あたらしい拠点にむかうひとのながれはおおきくないのか。
竹鼻線開通100周年展と竹鼻のまち
竹鼻のかいさつをでて、えきまえどおりをみなみにすすむ。
竹鼻町昭和町(たけはなちょうしょうわまち)交差点を右折して、クルマどおりをにしにすすむ。
クルマどおりからひだりにえだわかれして、すぐに逆川(ぎゃくがわ)にかかる昭和橋をわたる。このあたり、木曽川も長良川もみなみにながれていくのに、このかわだけがきたにながれていくってことで逆川ってなまえがついとる。
にしにすすんで、竹鼻商店街どおりにつきあたり。つきあたったとこが岐阜信用金庫竹鼻支店のしきちで、みちにめんしたとこにふだのつじ。説明がきに「本町どおりから川町土場(かわまちどば/ふなつきば)へいくこの三差路は、江戸時代にこうさつばがもうけられ、ふだのつじってよばれた」ってかいてある。本町どおりってのは、この竹鼻商店街どおりのことか。川町土場ってのは、いまわたってきた逆川のどっかにあるにちがいない。ふだのつじから竹鼻商店街どおりをみなみにあるく。中央線もなく、いちょう模様にきれいに化粧舗装された、きもちのいいとおりだ。
すすんでひだりに千代菊(ちよぎく)のふるめかしいたてもん。かわらやね、2階だて、しらかべとなまこかべ、ちいさな格子まどがいくつか、いりぐちにきどっていう、土蔵っぽいたてもんで、2階の格子まどのそとにやねがみさまがのっとる。やねがみさまは美濃路にようけあるってきいただけど、ここにもあった。
まあちょっとみなみにあるいてから、1本にしのみちをきたにもどる。このとおりもけっこうまちやがある。
羽島市歴史民俗資料館にとうちゃく。竹鼻線開通100周年展を1階の展示室からみていく。
竹鼻鉄道の開通。1921年、竹鼻鉄道により笠松から竹鼻までのかんで開業。1914年に美濃電気軌道が名鉄岐阜から笠松までのかんで開業した、笠松線につなぐかたちで開業した。竹鼻線は岐阜につながる鉄道だった。笠松のえきはいまの笠松とも西笠松ともべつの位置にあって、また、竹鼻のえきは栄町ってなまえだった。
1929年、竹鼻鉄道はさらに大須まで延伸。1935年に名岐鉄道が笠松から一宮までのかんを開業するまで、美濃電気軌道笠松線と竹鼻鉄道は、岐阜県内で完結する1本の路線だった。
竹鼻線、羽島線の定着。1982年、江吉良から分岐する新線として羽島線が開業。終点新羽島で新幹線岐阜羽島と連絡。
21世紀をはしる竹鼻線、羽島線。羽島線は2001年に江吉良から大須までのかんが廃止になって、のこった区間と羽島線をあわせて1本の路線になる。
『にぎわしかった羽島駅』 田中純子さん 警報機のおとはむかしもいまもかわりませんが、えき周辺はほんとしずかになりました。 1960年から1970年ごろはえき周辺に活気がありました。えきに併設してたちぐいのおいしいうどんやさんがあり、よくたべにいきました。竹鼻線の利用者もおおく、えきまえには商店などがたくさんならんでおりました。喫茶店、飲食店、旅館(ほのあとは銀行、いまは教育センター)、パチンコ店、歯科、そうそうペコちゃんの「不二家」もありました。すぐきたのオガワヤにはこのころフィットネスクラブもあり、えきに隣接したとても先進的なおおがた商業施設でした。 選挙期間中のことも記憶にあります。当時選挙事務所では食事がふるまわれておりました。市議会議員選挙のとき、えきに「昼食メニュー」がかいてある候補者のかんばんがならんでたてられて、おじさんたちが「きょうはどこの事務所にでかけようか」とみくらべてはなしあうなど、いまではかんがえられん光景でした。県議会議員選挙のときには石原慎太郎さんが応援にやってきて、えきまえにひとがあふれました。しっかり握手をしてもらいました。わたしとおないどしなんです。 また、当時の羽島高校鬼はアイドル歌手とよばれとった「あいざき進也」さんが在籍しておりました。体育祭にはおおくのファンが応援にきておりましてね、うちの書店も高校生で混雑してみせのまえにたくさんおきかばんがならんでおりました。人気雑誌の「明星」や「平凡」がとぶようにうれました。 終電ちかくまでよっぱらいのおおごえがするなどさわがしいこともしょっちゅうでしたが、いつもひとがあふれて活気があり、時代をさきどりしてはなやかだった羽島駅のちかくにすんでよかったとおもっております。当時の駅員さんにもきがるにこえをかけてもらいました。なつかしいおもいでがたくさんつまっております。ありがとう。 |
ここでいう羽島駅は、いまの羽島市役所前駅のこと。きょう羽島市歴史民俗資料館までくるのに電車を竹鼻駅でおりたけど、のりつづけてつぎのえきが羽島市役所前駅になる。竹鼻駅からにしむきにでた電車がひだりにゆみなって、むきをみなみむきにかえて羽島市役所前駅にとうちゃくする。羽島市歴史民俗資料館からのきょりは、羽島市役所前駅からのほうがわずかにちかい。また、竹鼻駅が無人駅なのにたいして、羽島市役所前駅は駅員さんがおる。
鉄道の線路のきわに「キロポストとよばれる標識がたっとるのをみかける。これは鉄道の起点からのきょりをあらわした「きょり標」とよばれるものである。
江吉良駅ホーム中央付近に「ゼロキロポスト」がたっとる。江吉良駅は竹鼻線の終点であるとともに羽島線の起点でもあるため、ほの起点をしめしとる。竹鼻線の大須方面が運行されとるころからこの位置にあり、竹鼻線と羽島線が分岐するポイントまでは両線が重複しとったようである。このため4両編成だと、前部2両が羽島線、后部2両は竹鼻線に停車しとった。
竹鼻線の「ゼロキロポスト」は、名鉄本線くだりから笠松駅1番ホーム(竹鼻線専用)に入線する線路の分岐点わき、視界からみにくいばしょにひっそりとたてられとる。
ところで、館長さんに質問してみる。竹鼻線は、おちょぼ稲荷をめざしとったじゃないかって。終点の大須から長良川をにしにわたっていったほうにおちょぼ稲荷があるだ。ほんとは竹鼻線の最終目的地はおちょぼ稲荷じゃなかったのかっておもっとった。こたえはあそこに掲示してあるとのことで、みてみる。
おちょぼ稲荷参詣電車?
羽島市のみなみに位置する旧平田町(いまの海津市(かいづし))の千代保稲荷神社はひろく「おちょぼさん」としてしたしまれ、とくに商売繁盛にご利益があるとされ、ふるくからおおくの進行をあつめてきた。バスや自動車の交通網が発達しとらんかった当時、岐阜市周辺からおおくの参拝客のあしとして利用されてきたのが竹鼻線であった。
終点の大須駅は、えきから西方3.5キロほどにある千代保稲荷神社のもよりえきとしても機能しており、竹鼻鉄道開通当時は長良川の野寺わたしを利用し、ほのあとは岐阜バス(岐阜乗合自動車)によって南濃大橋をわたり参拝者がはこばれとった。
名鉄も竹鼻線を「おちょぼ稲荷参詣電車」として宣伝し、1972年の正月には「初詣おちょぼ稲荷号」としてはじめて有料座席指定車を運行したり、2001年9月30日の江吉良大須駅間の廃線式典でも、さよなら記念列車「おちょぼ稲荷号」をはしらせたりするなど、千代保稲荷神社と竹鼻線とのかかわりはひじょうにふかかった。一部では、大須駅から千代保稲荷神社まで鉄道を延伸する計画もあったとの記録もあるが、いまでははるかとおいゆめものがたりとしてかたりつがれとる。
いや~、はるかとおいゆめものがたりとしてかたりつがれとるだけか~。名鉄の時代になって、おちょぼ稲荷号こそはしらせとったもんの、延伸の計画があったかどうかはさだかじゃないだ。
終点大須に停車中のおちょぼいなり号。電車は5500系っていう高性能車両があてられとって、さつえいびの2001年9月30日は江吉良大須間のさいしゅうえいぎょうびで、おおぜいのカメラマンがのりばにひしめいとる。ってか、ひとりおちとるし。
中区駅(なかくえき)。廃線区間3番めのえきで、廃線直前のさつえい。のりばにルーズソックスの女子高生がいっぱい。まえに廃線あとをたどってみただけど、いまここは円空(えんくう)資料館バス停になっとる。
八神駅(やがみえき)。廃線区間8番めのえきで、廃線直前のさつえい。みぎにゆみなってのりばにはいってくるあっかい電車をまつのは、カメラマンのひとたちか。まえに廃線あとをたどったときは、このゆみなりののりばも半壊の状態で、くさにうもれかけとった。
市之枝駅(いちのえだえき)。廃線区間5番めのえきで、廃線直前のさつえい。のりばに電車をまつ少女とおやこづれ。いいふぜいだな。まえに廃線あとをたどったときは、のりばがソーラーパネルのしたになっとった。
桑原川鉄橋にさしかかるあっかい電車。廃線区間9番めのえき桑原駅(くわばらえき)と10番目の終点大須駅とのあいだにある鉄橋だ。廃線直前のさつえい。
長間駅(ながまえき)。廃線区間2番めのえき。まえに廃線あとをたどったときに、名神高速のしたにかためんのりばがいまもしっかりのこっとるのをかくにんした。線路あともあんまりくさばえになってなくて、いまにも電車がやってきそうなふんいきだった。
7700系電車。7000系パノラマカーをかんつうがたにつくりかえた電車だ。みずをはったたんぼんなかをこんな高性能車両がはしっていく。廃止直前のさつえい。館長さんにばしょをきいてみると、特定はできんけど廃止区間にちがいないとのこと。
1800系電車。パノラマスーパー増結用の電車だ。いちめんのあおたを、しろい車体の高性能車両がはしっていく。ばしょは、館長さんによると、けしきからして市之枝駅から八神駅のへんじゃないかとのこと。
年代がぐぐーってさかのぼって、竹鼻鉄道えはがきの路線案内。
にほん3稲荷のひとつ須脇おちょぼ稲荷へおまいりのご順路はこの線にかぎる
養老線まわり駒野駅下車は迂回である◇ ◇
名古屋、一宮方面のかたがたは名古屋柳橋、押切もしくは一宮にて竹鼻線終点大須までの連絡きっぷをおもとめください
柳橋、押切、大須間金83銭
一宮、大須間金60銭
ただし木曽川橋駅、笠松間の自動車賃金をふくむ
柳橋より大須までわずか2時間◇ ◇
岐阜方面もしくは岐阜経由のかたがたは新岐阜にて竹鼻線終点大須までの連絡きっぷをおもとめください
新岐阜、大須間金54銭
新岐阜より大須まで1時間10分◇ ◇
竹鼻線の終点大須よりおちょぼ稲荷までは陸路半里
このかん自動車の便あり◇ ◇
尾張祖父江善光寺おまいりのご順路
岐阜方面もしくは岐阜経由のかたがたは新岐阜にてご乗車
笠松にて竹鼻線へおのりかえ
電車内にて正専寺前までのきっぷをおもとめください
同所より八神渡船をこえ陸路約10町
新岐阜より正専寺前まで1時間
なるほど、竹鼻鉄道がおちょぼ稲荷の参詣鉄道であることを前面にだしとる。終点の大須からバスにのりかえておちょぼ稲荷にいける。 おちょぼ稲荷にいくのに、競争あいての養老鉄道をつかって駒野でおりていくより、竹鼻鉄道のほうがべんりだよっていっとる。さらに、名鉄とも連絡があって、名古屋の柳橋や押切からもべんりだよって。当時まんだ名鉄名古屋はできてなくて、ターミナルは柳橋や押切だった。ほいで、興味ぶかいのが、木曽川をわたるとこだけがバス連絡になるってとこ。まんだ名古屋本線は全通してなくて、尾西線の当時の終点木曽川橋からバスのりかえで、対岸の竹鼻鉄道笠松に連絡しとっただ。 いや、鉄道の歴史っておもしろい。
笠松と竹鼻をむすぶ竹鼻鉄道路線図。大正末期のもんで、まんだ竹鼻よりみなみは延長予定線になっとる。沿線で市街地として表示されとるのは笠松町と竹鼻町。ただ、延長予定線の先端に大須のなまえはなくて、長良川をわたったむこうの野寺、須脇、今尾、高須っていう地名が表示されとる。おちょぼ稲荷のあるほうだ。
1960年、笠松駅に停車中の354がた、大須いき。竹鼻線の終点大須までいく電車だ。
1960年、竹鼻分庫まえのモ300がた、笠松竹鼻間往復。電車がぜんぶ大須までいっとったわけじゃなくて、竹鼻どまりの電車もあっただ。いまは棒線のりばのえきでおりかえしもできん竹鼻だけど、車両基地があっておりかえしもできただ。
1954年、いまは羽島市役所前駅になまえをかえた西竹鼻駅のようす。えきがにぎわいの中心にあるってかんじのすてきな光景だ。
1929年、いまは西笠松駅になまえをかえた笠松駅の木曽川いきバス。いや~、竹鼻鉄道えはがきの路線案内にかいてあった「木曽川橋駅、笠松間の自動車」ってこんな時代がかったバスだっただ。明治村とかにいったらのれるのかな。
「竹鼻鉄道」の会社発足と開通
木曽、長良の大河にはさまれた岐阜県羽島郡(当時)は土地がよくこえ、南部の美濃縞(みのじま)はむかしから有名であった。しかし交通網の整備はおくれており、同地方のひとびとは岐阜につうじる道路を利用するほかは、愛知県方面や大垣方面へでかけるにもふたつのかわの渡船の便しかなかった。
1909年、美濃電気軌道が岐阜から笠松へ鉄道(笠松線)を布設することを決定したとき、竹ケ鼻町(いまの羽島市)と付近の町村からぜひ竹ケ鼻町方面まで延長してほしいと要望したが、同社ではまったくほのかんがえがなくことわった。しかし笠松線が開通すると、有志者のあいだで竹鼻線を布設しようとするいごきがたかまった。
1919年、竹ケ鼻町の有力者であった小見山儀太郎氏ほか22名は、笠松町から羽島郡駒塚村(いまの羽島市)にいたる軽便鉄道(けいべんてつどう)の布設を申請し、6月、ほの免許をえた。資本金を50万円とさだめ、竹ケ花商工会が中心となって募集をおこなったが、大部分を竹ケ鼻町と美濃電気軌道がひきうけ、のこりを沿線の町村でひきうけることとした。
同1919年11月14日、竹ケ鼻町光照寺において創立総会がひらかれ、社名を竹鼻鉄道株式会社として社長に小見山儀太郎、専務取締役に坂倉又吉の両氏が選任され、本社を駒塚村においた。
工事は美濃電気軌道の技術者が応援し、1921年6月25日、新笠松~竹鼻間単線7.7キロを開業、営業を開始した。当日竹鼻えきまえでは、ひろばに万国旗や大貝などがかざられ、芸者おどりやもちまきがおこなわれるなど盛大な開業祝賀会がもよおされた。当初は、電車をひとめみようとするひとびとが沿線をうめつくした。
車両は4輪電動客車4両(46人のり)と貨車2両を使用し、電力は美濃電気軌道笠松変電所から直流(600V)を受電した。新笠松~竹鼻間の運転時間はおよそ25分、列車は30分おきに運転され、開業当時は1日平均およそ3,400人の乗車人数があったとの記録がある。開業はしたものの実績は低調であったので、地方鉄道補助金の交付をうけるなどの苦労もあった。
う~ん、駒塚ってのがようわからんな~。駒塚までの免許をえて、駒塚に本社をおいたっていうけど、駒塚って木曽川のわたしがあったとこで、竹鼻線の沿線からはずれとる。いや、不可解だ。
ほか、むかしの発車案内板や開通記念のかんばん、きっぷ、竹鼻鉄道の社旗、制服、鉄道ジオラマ。
いや~、しっかりみたな~っておもって、1階の展示室をでたとこで、2階にあがるかいだんのかべにも写真がいくつか。
大須いきの5000系電車。通称たまごっていわれたとおり、つるってまるっこい車体がとくちょうの、高性能のあっかい電車だ。こんなのが竹鼻線にもはしっとっただ。
大須いきふつうの1800系電車。いや、1800系ってパノラマスーパー増結用にもつかわれる電車で、いまも現役ばりばりだ。竹鼻線ってけっこういい電車が投入されとっただ。
牧野駅(まきのえき)。廃線区間1番めのえきで、廃線直前のさつえい。まえに廃線あとをたどったときは、線路あとをおおうソーラーパネルのひだりがわにしっかりのりばがのこっとった。
ふたたび長間駅(ながまえき)。
ふたたび中区駅(なかくえき)。
ふたたび市之枝駅(いちのえだえき)。
ふたたび八神駅(やがみえき)。
大須駅(おおすえき)。廃線区間10番目の終着駅。廃線直前のさつえい。まえに廃線あとをたどったときは、くさばえのひろばになっとった。
いや、廃線の写真ってかなしいしかない。
気分転換に羽島市映画資料館にはいってみる。羽島市歴史民俗資料館に併設してあるわけだけど、2階の半分ぐらいの部分が映画資料館としてつかわれとるだ。
佐久間良子さんの映画ポスター。
佐久間良子さんをモデルにつかった、羽島ウールきものの宣伝ポスター。いや~、いつみてもきれいだわ~。これをみるのがここにくるひとつのたのしみでもある。
こんどは常設展。2階ののこりの部分が常設展のばしょになっとるだけど、ほんなかにとせんば(渡船場)の地図を発見。「美濃路まわりより4キロちかい西加賀野井渡船」ってかいてある。こないだ美濃路を萩原宿(はぎわらじゅく)から起宿(おこしじゅく)まであるいたときに、駒塚わたしをとおる駒塚街道が、美濃路のとちゅう区間をちかみちしていくみちだってことをしったとこだけど、この西加賀野井渡船の経路もまたとちゅう区間のちかみちなだ。いや、いろんなみちがあるもんだ。
さて、2階にはまんだ竹鼻線開通100周年展の写真があった。廃駅あとの写真だ。
現役区間のうちの廃駅あとの写真。6枚。
廃線区間のうちの廃駅あとの写真。線路が廃線になるまえに廃駅になったえきのもんで、廃線区間4番めの沖駅(おきえき)、6番めの美濃石田駅(みのいしだえき)、7番めの正専寺駅(しょうせんじえき)、9番めの桑原駅(くわばらえき)のよっつ。まえに廃線あとをたどったときに、いずれもどこだかわからんかったとこだ。
廃線区間8番めの八神駅(やがみえき)の駅名板と時刻表。時刻表で岐阜、笠松方面のいきさきをみてみると、あさの時間帯からひるまの時間帯はほとんどが新岐阜いきで、ゆうがた以降の時間帯はほとんどが羽島市役所どまりだ。いま、竹鼻線の電車はほとんどが笠松どまりで、岐阜いきはごくわずかな本数しかないのに、むかしは岐阜まで直通する電車がこんなにおおかっただ。この時刻表が廃線のときのもんかどうか、館長さんにきいてもわからんかっただけど、とにかくむかしは竹鼻線の末端までしっかり県都岐阜とつながっとったことがわかる。
いや、しっかり見学した。館長さんにも質問にいっぱいこたえてもらったし、かかりのおねえさんにもなにかと親切にしてもらった。さいごにまあひとつきいてみる。竹鼻のまちが美濃路からはずれとることは承知だけど、かえりがけに駒塚街道かまたは、西加賀野井渡船の経路をあるいてみることができるか。駒塚街道が竹鼻のまちをとおっとることがわかる。館長さんとかかりのおねえさんで協力して地図をつくってわたしてくれて、さらにそとにでて、いくべき方向をさししめしてまでくれる。感謝をもうしあげて、資料館をあとにする。
羽島市歴史民俗資料館からみなみにあるいてつきあたったみちが駒塚街道だった。美濃路を萩原宿から起宿までいくとちゅうに駒塚道のみちしるべがあっただけど、ほっからひだりに駒塚街道はいってすすんでいくとここにつながっただ。まえのたびとこんかいのたびがつながった。
にしに、ふみきりをいく電車がみえる。羽島市役所前をでたばっかりの笠松いきふつうのこおろぎ塗装が、駒塚街道をよこぎってきたにいくのがみえる。つぎの停車駅は竹鼻だ。
駒塚街道をひがしにあるく。たしかに街道のふぜいがある。
竹鼻商店街どおりをよこぎる。
またすすんで、逆川(ぎゃくがわ)にかかる竹鼻橋。きれいな欄干のついた、おもむきのあるはしだ。
はしのうえから、かわがきたにながれていくのをかくにん。
ちょこっとすすんで、変則5差路。東西南北の十字路のほかに東南にまあいっぽんみちがでとるだけど、駒塚街道は、ほの東南にまあいっぽんでとるみちにはいっていく。このさき、木曽川のてまえに駒塚村があって、駒塚のわたしをわたって美濃路につながる。
変則5差路から竹鼻橋にひきかえして、逆川の東岸をきたに川町土場(かわまちどば)をめざす。ふだのつじの説明がきにかいてあった川町土場ってのがどんなとこなのか、みてみたかった。
川町土場にとうちゃく。いしぶみがたっとって、しょうめんに「史跡伊勢街道と川町湊あと」、みぎめんに「幕末から明治にかけ伊勢まいりが大流行し、笠松より堀津(ほっつ)までこの街道がひらけ、大繁盛した」、ひだりめんに「このあたりのかわぞいで常滑のやきもんやしお、海産物、かわらなど生活物資や年貢米のつみだしなどがおこなわれとった」ってかいてある。のちの竹鼻鉄道に先行してあったのが、笠松から堀津までひらけたっていう伊勢街道ってことになるのか。ほいで、ほの伊勢街道と逆川がまじわるのがここ川町湊だったのか。いまはこんななんのへんてつもない堤防ぞいがむかしはかわみなとだって、物資のつみおろしでにぎわっとっただ。
みなみの川町橋から川町湊をふりかえる。
川町橋からきたに昭和橋。いきにわたったはしだ。
川町橋からにしにいったつきあたりに川町灯台をかくにん。みためはふつうの常夜灯だけど、むかしはここまでかわはばがあって、これが灯台のやくめをはたしとっただ。
ほっからちょこっときたにいったみぎがわに川町だしぐら。
まちあるきもおえて、竹鼻えきまえどおりにみつけたレイクカフェ西店ってみせでひとやすみ。
竹鼻のかいさつをはいって、かえりの電車にのる。
(さんこう)
- 乗車記録 - 2021年11月23日、かようび、はたび
- 【鉄道、競争の時代】|iwase.akihiko|インスタグラム|2021年12月27日
- 「おちょぼ稲荷へおまいりのご順路はこの線にかぎる」
「養老線まわり駒野駅下車は迂回である」
名鉄竹鼻線の前身竹鼻鉄道のえはがきにこうかいてある。竹鼻鉄道はおちょぼ稲荷の参詣鉄道だっただ。終点の大須からバスにのりかえておちょぼ稲荷にいける。
おちょぼ稲荷にいくのに、競争あいての養老鉄道をつかって駒野でおりていくより、竹鼻鉄道のほうがべんりだよっていっとる。 - さらに、「名古屋、一宮方面のかたがたは名古屋柳橋、押切もしくは一宮にて竹鼻線終点大須までの連絡きっぷをおもとめください。柳橋、押切、大須間金83銭。ただし木曽川橋駅、笠松間の自動車賃金をふくむ。柳橋より大須までわずか2時間」っていっとる。
名鉄とも連絡があって、名古屋の柳橋や押切からもべんりだよって。
ほいでおもしろいのが、木曽川をわたるとこだけがバス連絡になるってとこ。まんだいまの名古屋本線は全通しとらんくて、尾西線の終点木曽川橋からバスのりかえで、対岸の竹鼻鉄道笠松、いまの西笠松に連絡しとっただ。 - いや~、鉄道の歴史っておもしろいな~。竹鼻線開通100周年展でみたこの資料、そうとう興奮したわ。
- 「おちょぼ稲荷へおまいりのご順路はこの線にかぎる」
- 萩原宿から起宿まであるく - 2021年11月11日 - あきひこゆめてつどう|2021/12/26
- ちょこっとすすんで、鈍角のひだりT字に、駒塚道のみちしるべ。正面に「左駒塚道|舩渡5丁」、ひだりめんに「1867年」ってかいてある。こっからひだりにはいっていって、木曽川のわたしまで500メートルなだ。
- ほじゃっておもっていってみるけど、左右は住宅街で、これをぬけて堤防がみえるまできょりがありそうで、ひきかえす。
- 名古屋を中心とした尾張の諸街道図。美濃路を清洲宿と稲葉宿のまんなかでみぎに分岐して、中山道加納につながるおすし街道こと岐阜街道がある。ほれから、美濃路を萩原宿と荻原宿のまんなかでひだりに分岐して、また美濃路大垣宿につながる竹鼻街道がある。ほの別名が駒塚街道。あ、きょう駒塚道のみちしるべで美濃路からひだりに分岐するみちをみてきただけど、たんに木曽川堤防にでるみちじゃなくて、美濃路のとちゅう区間をちかみちしていくみちだっただ。
- 佐久間良子さん…|iwase.akihiko|インスタグラム|2021年11月23日
- いまはなき…|iwase.akihiko|インスタグラム|2021年11月23日
- いまはなき竹鼻線八神駅の時刻表。なけるしかない。
- いまはなき竹鼻線八神駅の時刻表。なけるしかない。
- おー…|iwase.akihiko|インスタグラム|2021年11月23日
- 発車時刻…|iwase.akihiko|インスタグラム|2021年11月23日
- 電車まち。|iwase.akihiko|インスタグラム|2021年11月23日
- げー…|iwase.akihiko|インスタグラム|2021年11月23日
- げー、まどにかばんおいちゃああかんて!
名鉄の運転士さんがこんなことするって。
- げー、まどにかばんおいちゃああかんて!
- 線路あとはつづくよどこまでも - 竹鼻線の江吉良から - あきひこゆめてつどう|2019/08/24
- 2019年8月はつか、竹鼻線(たけはなせん)は江吉良(えぎら)からつづく線路あとをたどった。
- 8時35分、みぎかためんホームの江吉良にとうちゃく。下車。ここでおりたのは筆者のほかにひとりだけ。あめはやんだ。こっからみなみが竹鼻線の廃線区間だ。竹鼻線の江吉良からみぎに分岐して、東海道新幹線岐阜羽島と連絡する新羽島までいく羽島線があとからできただけど、いまは江吉良からみなみの竹鼻線は廃線になって、竹鼻線から羽島線へと直結になった線路を電車はみぎにまがっていく。 電車をおりたホームからまあはい線路あとがみなみにつづいとるのがみえる。どこまでつづいとるのか。
- 江吉良のえきからちょこっとみなみにいったとこのふみきり、いや、もとふみきりっていうべきかもしれんけど、あえてふみきりっていう、からさらにみなみに線路あとがつづく。レールこそないもんの、砕石はむかしのままにひいてあって、ちょっとむこうからはソーラーパネルが線路あとをおおっとる。
- このあと自転車をかりにいって、ほの自転車で移動。やんどったあめがまたふってきて、ちょっとたいへん。
- 竹鼻からふるいまで - 2021年11月23日 - あきひこゆめてつどう|2022/01/13 〔ついか〕
*1:うしろむきにみてみぎまどがわはしらまえ