ラストランに行く【3】アテンダントさんに拍手 | 車内販売でございます。

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車内販売を13年半で10000回を利用してきた「車内販売大好きな乗客」が書くブログです。 各地の観光列車に乗り鉄しています。

初代「伊予灘ものがたり」のラストラン運行が、終了しました。

 

【1】伊予灘ものがたりの魅力

私は「伊予灘ものがたり」に乗りに四国に31回出かけて、82本に乗りました。

(100回以上乗った人も、軽く10人は超えていますので、私より熱中しているファンの方は多数いますが)

こう書くと、なぜ「伊予灘ものがたり」に何度も乗りに行くのか?と思う人がいます。

「伊予灘ものがたり」には多くの魅力があります。

《1》美しい伊予灘の景色

青く澄み切った青空と海、伊予灘に沈む夕日。天気と時間によって表情が異なります。

《2》落ち着く車両

普通列車グリーン料金で乗れる快適な車両。

《3》美味しい料理

沿線の名店の料理が景色を見ながら楽しめます。

《4》沿線の人の温かさ

地元の方々からの歓迎、ありがたいです。

《5》アテンダントさん

アテンダントさんのおもてなし、素晴らしいです。

この中でも、他の観光列車より特に素晴らしいと思うのは、《4》沿線の人の温かさと《5》アテンダントさんです。

「景色だけ」「食事だけ」なら、「伊予灘ものがたり」以上の水準の観光列車は、他にも存在します。

伊予灘ものがたりが凄いのは、それ以外の「人」の部分です。

沿線の歓迎については前回まとめましたので、今回は、アテンダントさんの接客について。

 

 

【2】7年前の「伊予灘ものがたり」

7年半前の2014年7月26日に、「伊予灘ものがたり」が運転を開始しました。

私は当時から日本全国の車内販売全制覇を目指していて、増加していた観光列車にどんどん乗っていました。

私は「伊予灘ものがたり」にも、運転開始から約1か月後の8月下旬に乗りました。

その時の衝撃は、今でもハッキリと覚えています。

初期のアテンダントさん3人が、とてつもなく感動的だったのです。

■前向きな姿勢

私はアテンダントさんに、飲み物などの注文を何度かしました。

話がしやすかったので、マニアの無駄話を、ついしてしまいました。

「いやぁ、この列車、良いですねえ。私は車内販売のマニアでして、全国の車内販売を利用しまくってますが、すごく良いですよ」とアテンダント■■さんに話しかけたのです。

すると、笑顔から真剣な表情に急に変わり、逆に私に質問してきたのです。

「現在の車内販売はこの一覧の通りですが、他にどんな品を加えると良いですか」

私は「地元愛媛の飲み物・食べ物は揃ってますから、この路線で良いと思います」と答えましたが、

さらに良い列車に改善しようという貪欲な姿勢に、驚くと同時に感激しました。

■ものすごい必死さ

2回目3回目は、●●さんに感激しました。

1回目の乗車では、「料理を絶対揺らしてはいけない」と、不安な表情をしながら、必死に頑張っていたのが、強く印象に残っていました。

2回目(2015年2月8日)も、頑張っていましたが、表情に余裕が出ていて、すごくレベルアップしたと感じました。

3回目(2015年4月5日)の乗車をして、飲み物の注文をしようと声かけて目が合っただけで「あっ、またお越しくださったのですね」と言ってくれたのです。2か月前に1回乗った客を、しっかりと覚えてくれたのは感動的でした。

■安定した配慮

そして、安定した仕事っぷりをしてくれたのが▲▲さんです。

放送は滑らか、気遣い抜群、人あたりが良い素敵なアテンダントさんです。

凄かったのは、ビールを飲みほして追加注文したいと思ったときに、スッと来てくれる点でした。

全体を見回すことができる凄腕アテンダントさんです。

(↑最後の道後編の出発式です。発車したら虚無感に襲われました)

 

【3】会えて良かった

何で思い出話をしたかというと、

この3人がラストランの日に、添乗員として乗り込んでくれたのです。

3人とも現在は、JR四国の他の部署に異動していたのですが、1日限定で古巣に戻ったのです。

残念ながら、大洲編と道後編には席が確保できずに、添乗員として乗務する姿は直接見られませんでした。

ホントは「この喜多灘駅の看板は、私が描いたのです」というセリフ、聞きたかったなあ。

(当初の伊予灘ものがたり企画室長さんも来られて挨拶できました。それぞれの元アテンダントとファンの思い入れに応えて、初代伊予灘ものがたりのラストランに合わせて復帰させてくれたJR四国には、大感謝です)

でも、駅で待機している元アテンダントの3人と、30秒ほどでしたが話をすることができました。

これだけでも、ラストラン当日に四国に来た甲斐がありました。

例えて言うなら、AKBの推しメン3人が「卒業」してしまい、数年後に1日限定でコンサートを開催することになって、チケット取れずに会場付近にいたら、推しメン3人に覚えてもらっていて挨拶できた、というのと同じ状況なのです(^^)/

(↑最後の道後編が松山に入線する様子。式典は無く、厳戒態勢でした。)

 

現在は、観光列車が増えて、他の鉄道会社も研究を重ねて、全体的に接客水準が上がってきました。

でも7年半前の「伊予灘ものがたり」は、JR九州のように乗務歴10年のベテランが接客しているのでもなく、研修は済ませたと言ってもまだまだ「素人」なのです。そのかわり、とてつもない努力と一生懸命さはありました。

人口減少や高速道路の整備で、鉄道の利用者が伸び悩む中、いわば会社の命運がかかったプロジェクトに、若手社員が抜擢されたわけですから、プレッシャーは大変だったと推察します。

少し前まで駅員や車掌をしていた人が、ここまで頑張る姿には、本当に感激してしまったのです。

 

ちなみに2年目に乗務を始めた2人も、驚くほどハイレベルな応対ができていて、「箱推し※」できるようになりました。

五郎駅や下灘上灘など沿線の人も含めた「箱推し」ですが。

(※「箱推し」・・・アイドルグループ等の決まった1人だけを応援するのではなく、グループ全体を応援すること)

 

思いを出しすぎてしまったようです。まあいっか。

 

【4】おもてなし

ラストランとその前日には、いろいろなおもてなしがありました。

●ハート形のメッセージ

最終日限定のハート形のカードです。

アテンダントさんからのメッセージが印刷されたものです。

初代伊予灘ものがたりのラストランを迎えた挨拶です。

最終日に1本でも乗れたのが、有難かったです。

手配してくれたフォロワーさんに感謝です。

初めのアテンダントさんは、もう乗務していません。

ですが、次の代へとアテンダントの姿勢は、かなりの部分受け継がれていっています。

 

●みかん

甘くて美味しいミカンが配られました。

全員に1人1個もらえました。

ただし、抽選で1号車・2号車から各1名に、ハート形の箱入りが当たりました。

私はハズレましたが、2年前に当選した時の写真がこちら↓

すごい貴重品です。

 

 

【5】次も期待

4月頃に走り始める「新・伊予灘ものがたり」も、期待しています。

ラストラン当日、式典と挨拶を終えて会場から立ち去る知事さんが、こうつぶやいていました。

「次は185系だっ、よしっ!」

県政のトップが、こういう鉄道愛が感じられるセリフを呟きながら、ガッツポーズのように力強くこぶしを握ってたわけですから、愛媛県も全面支援するでしょう。

 

 

ラストランの記事、1回目と2回目はこちら↓