いつも”重単5175”をご訪問頂きありがとうございます。
今日はED75機番シリーズの第139回、2022年の最初という事で722号機です。下2桁しか合いませんが😅。
ED75 722[秋] 1971年落成[東芝]
国鉄時代はずっと秋田所属で民営化を迎え、JR東日本へ継承されます。
最初の撮影は初訪だった”白陣”にて、ナナゴー運用の花形、寝台特急”あけぼの”の先頭でやって来たのが722号機でした。
欲張ってサイドも撮影(笑)、緑色の碍子に銀塗装の名残が見える小ぶりのPS103パンタ、秋田車らしいナナゴーでした。ヘッドマークは板1枚、両側に付いていたのが分かります。
1991/04 奥羽本線 白沢-陣場 1001レ (2枚とも)
これもあけぼのですが、夕刻の上り列車、露出が足らず流し気味に撮影しています。オハネフ24車内、蛍光灯の光がいい感じ。何度も乗車した24系寝台車を想い出します。
722号機はユニットサッシ化側面窓でした。
1992/03 奥羽本線 鶴ヶ坂-大釈迦 1002レ
1992年に全検を通ったようです。綺麗な姿で12系2000番台を牽き連れてやって来ました。
1992/09 奥羽本線 鶴ヶ坂-大釈迦 630レ
弘前桜祭りの関係だったか? 増結6連の50系客レを牽引します。陽の当たっている部分にカツカツ編成が乗りました😅。碍子は白くなっていました。
1993/05 奥羽本線 鶴ヶ坂-大釈迦 640レ
朝の通勤時間帯 12系2000番台5連を牽引して行きます。
1993/10 奥羽本線 鶴ヶ坂-大釈迦 624レ
奥羽本線の客レ廃止間近、随分鶴ヶ坂へ通いました。まだまだ綺麗な姿で客レを牽引する姿が秋田時代最後の撮影になりました。12系2000番台牽引の姿が多かった気がします。
1993/11 奥羽本線 大釈迦-鶴ヶ坂 3623レ
722号機は奥羽客レ廃止とほぼ同時に[青] 青森区へ転属しています。雪を付けてタンク貨物列車を牽引して来ました。
冬場は手前まで陽が当たらず..。確か青森から黒磯まで急行八甲田を牽引して来て、返しの運用だったと思います。雪は八甲田牽引時に付いたのが残っていたんでしょうね。
1994/01 東北本線 白河-久田野 5175レ(2枚とも)
北海道でC62ニセコ号を撮影した帰り、青森駅での撮影です。尾灯と共に電暖表示灯(窓左側のオレンジ灯)が点灯しています。バックで50系客車に連結するところでしょうね。
電暖表示灯って電暖Offの時に点灯なんですよね。通常の感覚と逆な気がする..
暖房用電気を通すKE3ジャンパ栓を客車側と接続する際、高圧電流が危険なのでOffにしてコネクトする、”電源切れてますよー”の表示だったようです。
1995/05 東北本線 青森駅 544レ
紅葉の峠道を50系客レ牽引で行きます。秋田からの転属車に多く見られた、KE77ジャンパ開放栓ケーブルを上り方にも付けたまま走っていました。
早くもこれが最後の撮影になりました。
1995/10 東北本線 小繋-奥中山 524レ
722号機は翌1996年に廃車になっています。92年の全検から4年、検査周期(5~6年)を全うせずに廃車になってしまいました。勿体ないですね~。
JR貨物では5年以上前に誕生したヒサシ付きなどがまだまだ現役でしたが、JR東日本機は短命に終わった車両が多かったように思います。
でもブルトレ、客レ、貨物列車と色々な姿を記録できました。
機番表です。白抜きの機番はUp済です。サイドメニューのテーマ”機番シリーズ”をクリックいただくとこれまでの記事が一覧表示されます。ヒサシ付(74-100)、一般形(101-160)、1000番台、700番台、番外編と5テーマを設定しています。
以上ED75 722 機番シリーズNo.139、最後までご覧いただきありがとうございました。