1枚のキップから 1982年1月3日 DC急行「出羽」 酒田発上野行 | 空の下、レールの上を人生と共に(JNR Forever)

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なつかしい人が はるかな日々が 時の流れこえて ほら めぐる旅路さ…

ちょうど40年前、酒田から上野まで気動車急行「出羽」に乗ったことを思い出しました。

 

急行「出羽」は、上野-酒田間を奥羽本線・陸羽西線経由で結んだ気動車急行で、後の寝台特急「出羽」は、上越・羽越線経由の急行「鳥海」を特急格上げした列車です。

 

旧型客車や急行型気動車のクロスシートは、一部の人に「切り立った座席」と言われ、そんな座席夜行列車が当時はあちこちに走っていました。

 

酒田発1982(昭和57)年1月3日、「出羽」乗車で使用した急行券

 

上野-酒田間を奥羽・陸羽西線経由とはやや妙な経路ですが、主たる需要は県都・山形で、新庄までは「津軽」の補完の使命を担ったと思います。

 

私は親の実家が酒田で、盆暮れには特急「いなほ」の指定席を確保するのは至難の業、普通車がオール自由席の上り「鳥海」は、酒田からの着席に不安があり、酒田始発の「出羽」は本当に重宝しました。

 

勾配の多い日本の鉄道ゆえ、「出羽」のハイライトは板谷峠。

気動車は勾配に難があるのか、485系「つばさ」は福島-米沢間を42分、EL牽引の「津軽」でも48分でしたが、「出羽」は66分も要していました。

 

上り勾配ではがっくりとスピードが落ちて心細くなり、サミットを越えてエンジンが唸り始めるとホッとしたことを思い出します。

 

上野-福島間の東北本線内では、583系「はくつる」や「北星」「八甲田」「新星」に加えて多数の貨物列車が走り、高崎・上越線に見慣れた私は、道中の方々で目を見張りました。

 

(左)404D 急行 出羽 キハ28・58・キロ28×12連[仙コリ・新ニイ・秋カタ]

(右)521M(上野発東北線の始発列車) 115系11連[北ヤマ]

1978.4.29 上野

 

「出羽」と共に、板谷峠の名脇役だったED78

単5492レ ED78 3+ED78 8[福]

1991.8.13 山形

 

 

酒田へ行く「出羽」の基本編成が新潟運転所持ちとは奇妙ですが、上野-新潟間(磐越西線経由)の「いいで」と共通運用でした。

当時は大阪-新潟間(米原経由)のDC急行「越後」が、「ちくま2号」と共通運用の長野運転所持ち、気動車の機動力を生かした急行列車が多く設定されていました。

 

酒田へ着いた「出羽」の基本編成は、急行「月山」として山形まで1往復し、583系並みの「昼夜兼行」でした。

 

1113D 急行 月山(下り)2号

キハ28・58・キロ28×4連[新ニイ]

1978.8 北余目-砂越

 

国鉄急行型のクロスシートは夜行列車では疲れましたが、当時は当たり前だったし、むしろ遠くへ行けるので嬉々として乗ったものです。

そんな「出羽」は寝台特急に格上げされると選択の自由が無くなり、急速に高速バスへの逸走を招きました。

 

更には庄内空港の開業も痛手となり、1993(平成5)年12月ダイヤ改正で「ゆうづる」「八甲田」「津軽」と共に大鉈を振るわれました。

 

「出羽」はこの2年後に廃止されました。

オハネフ24 25[盛アオ]

1991.6.29 尾久

 

上野で「出羽」を降りて、横浜まで帰りの京浜東北線に乗ると、下りだけ旅客線経由のレサ返空「とびうお」が新子安の辺りで追い抜いて行きました。

 

 

EF66 11

レムフ10000

2008.4.28 鉄道博物館

 

 

 

素晴らしきかな国鉄時代…