セイジクリーム時代の東上線の思い出 | テキトー模型日記

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9mm鉄道模型、国鉄型中心のブログです。

 新年あけましておめでとうございます。


 この正月休みは、昨年母親が亡くなった関係で初詣にも行かず、さりとて模型工作も殆ど行わなかったため、新年一発目の投稿は昔話で。


 東上線のセイジクリーム時代は、だいたい昭和47年から62年頃までで、今から考えるとそれほど長い期間ではなかったわけですが、幼年期〜少年期にこの時代を送った人間としては、今でもセイジクリーム時代が最もしっくりします。


 最もこの頃の東上線は、9000系登場までは8000系と7300,7800系の天下で、絵的にも色彩的にもサッパリしない時代でした。


 最も7300系、7800系は少年のアイドル的電車で、あの強烈な音と揺れ、真っ黒な板張りの床など子供心にも古臭いスタイルがウケていました。

 しかしこの当時、7300系は更新から20年程度、歳古参の7800型でも新製後30年も経過していなかったわけで、今の9101Fや10000系初期車グループ(いずれも東上線では未更新)より車暦は若かった事になります。


 当時の東上線では池袋寄りに7300系4R(もしくは7800型4R)+7820型or 7870型2Rの6連が基本でしたが、末期(昭和56年頃でしょうか)には8Rも登場しました。(8Rでも4R+4Rという編成は無かったと記憶)


 このボロ電編成に当たるとお楽しみは、先頭車どうしの連結箇所で、73、78は正面貫通扉が運転席の仕切りを兼ねているため、連結時は運転席側は塞がれるものの、もう片っ方の方は出入り自由になるため、乗務員扉の窓ガラスを全開にして顔を出したり、走行中に乗務員扉を開けるような危険な遊びができました。


 そのボロ電が池袋から消えたのが、昭和58年の年末。もう40年近く昔の話になりました。


 さて昭和53年だか54年ごろに8000系の車体にボロ電の足回りを持つ5000系が登場しましたが、これも結構好きな電車でした。

 この電車、重たい半鋼製車体を軽量車体に乗せ替えたせいか、乗り心地はむしろ悪化しており、高速走行時の走りは「跳ね回る」という表現がぴったり。

 ホームで待っていても、飛び跳ねながら接近してくるので、遠目で見ても8000系とは区別がつきました。


 そんな東上線に掃き溜めにツルのごとく9000系がやってきたのが昭和56年。保育社のカラーブックス「東武」の巻末の完成予想図を見た時から沿線少年ファンの話題を独占していましたが、鶴瀬駅で試運転折返しの実車を見た時の感動は今も忘れられません。


 その9101Fも最近は見かけなくなり(長期休車だとか)、今度のダイヤ改正では減便による運用車両数見直しが予想されるため、いよいよ最後の時が迫っているのかもしれません。

 最後にもう一度動く姿が見られると良いのですが。


 くだらない昔話にお付き合いいただきありがとうございました。