省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

飯田線のクモハ52002 (一部蔵出し画像)

 2022年明けましておめでとうございます。最近は主に写真補正編集技法や編集ツールの開発・紹介がメインになっておりますが、もともとは昔撮りためた鉄道写真を展示しようと思って始めたブログでした。このために変色したネガ写真を救済しようと、写真補正ツールの開発を始めた (それまで程度のひどい不均等黄変ネガ写真の補正法は海外も含めて皆無でしたので) ところでだんだんこちらの方向になってきましたが... というわけで新年初日の今回は初心に戻りたいと思います。なお、本日掲示の一部写真についても不均等変色に対する補正を掛けています。

 こちらは有名な飯田線の流電狭窓第1次車、クモハ52002 (静トヨ) です。一番上の写真は一度掲示したことがありましたが、他はすべて蔵出し画像です。僚車のクモハ52001は廃車後、ゆかりの大阪吹田工場に引き取られ、現在は原型に復元されて京都鉄道博物館に展示されていますが、本車は廃車になってしまいました。しかし現役時代はクモハ52001がパンタグラフがPS-13に換装されてしまったのに対し、本車は最後まで美しいPS-11のまま残りました。

 本車は1935年度に京阪神間の急行運転用として製造されました (運用開始は1936年)。第1次車である本車は、モハ43と同様の狭い窓配置で登場しましたが、翌年登場した第2次車は、広い窓になりました。塗色も、チョコレート色に窓枠とドアのみクリーム色という姿で登場しましたが、第2次車はクリーム色の地に窓周りがチョコレート色という塗装となり、第1次車もそれに合わせて塗り替えられました。現在京都鉄道博物館に展示されている姿は塗り替え後の姿だと思います。この塗装はのちに117系の登場時に再現されました。

 戦後、80系の登場で京阪神間を追われ阪和線に移った後、さらに飯田線に移りました。同僚の中間車は、横須賀線に移ったり、飯田線に移ってもクハ化され、中部天竜に移ったりしましたが、クモハ52001とは離れることなく活躍しました。最晩年は、豊橋機関区の配慮で、横須賀線から来たサハ48を間に挟み、狭窓の編成美を維持しましたが、80系の豊橋機関区への転入で1979年に廃車となりました。

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クモハ52002 (1978.5)

 台車は、コロ軸受けのDT-12Aを履いています。

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クモハ52002 (1978.1)

 下の写真は、反対側側面です。出力強化 (MT15→MT30化) のため抵抗器が交換されているのが分かります。この出力強化は吹田工場での更新修繕の際に行われたようです。京阪神間ではこちらのサイドが山側で、電気関係部品 (抵抗器や制御装置) は海風の影響が受けにくいように山側に寄せられ、海側は空気関係部品 (コンプレッサーやエアブレーキ等) が集められています。したがって、クモハ52001とは部品の取り付け方向が反対になっています。

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クモハ52002 (1976.5)

 客室内です。

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クモハ52002 室内 (1975.5)

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クモハ52002 室内通風器

 運転台です。

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クモハ52002 運転台 (1975.5)

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クモハ52002 運転台 (1975.5)

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クモハ52002 運転台 (1975.5)

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クモハ52002 運転台 (1975.5)

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クモハ52002 運転台 (1975.5)

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クモハ52002 運転台仕切り (1975.5)

 登場時は美的観点から乗務員室扉がなく、半室運転台でしたが、のちに運用の不便さから乗務員室扉が増設され、その際に全室運転台に改造されました。

 パンタグラフ側です。

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クモハ52002 パンタグラフ側 (1975.5)

 前面連結器付近です。上に、飯田線で快速運転を行っていた時の、列車種別表示サボ受けが見られます。1968年以前は湘南色に塗られ (さらに1960年代初めまでは湘南色の緑の部分の代わりに青が塗られた飯田線快速色)、快速運転に就いていたこともあるようです。しかし、一般車がチョコレート色からスカ色に塗り替えられるのと同時に、本車もスカ色に塗り替えられたようです。このサボ受けはほかにクモハ42にもついている車両がありました。また快速運転終了後取り外された車両もあったようですが、本車はついたままでした。

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クモハ52002 前面連結器付近 (1975.5)

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クモハ52002正面 (1976.5)

 最後に例によって本車の車歴です。

1936.3.31 川崎車両製造 → 1936.6.26 使用開始 大ミハ → 1943.2.12 大アカ → 1944.7.8 座席撤去 → 1949.8.11 大ミハ → 1950.9.2 天オト → 1953.10.7 更新修繕 吹田工 → 1957.9.20 静ママ → 1957.11 静トヨ → 1979.3.9 廃車 (静トヨ)

 本車の落成は、記録上1936.3.31になっていますが、実際の使用開始はそれから3か月経ってからですのでひょっとすると、この書類上の落成日は会計処理の都合上の日付であり、実際の落成はもっと遅かった可能性があるのではないかと思います。飯田線転入時に一時的に伊那松島区に入っていますが、その後はずっと豊橋区で過ごしました。関西で21年間、飯田線で22年間過ごした計算になります。

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不均等変褪色に対する補正

 本サイトで公開している補正ツールを使うと、30分程度でこの程度の補正が可能です。