a地点で牛車道を突き抜けてb地点で牛車道に復帰
ここから牛車道と古道は重複して牛車道を進み、
c地点の分岐で尾根側へ左折します
このまま、まっすぐ行くと尾根に出てしまうので
途中のd地点で右に折れると
道幅の広い石積みの道が続いており
これを辿っていくと尾根上の牛車道分岐に出た
c地点から牛車道分岐までの立派な古道を進みます
とあります
別子と立川両銅山が合併したのは1749(寛延2)年で
これより銅山越を越えて馬の背、セリ割、落としを通る第三次仲持道(泉屋道)となりますが
伊藤玉男氏の考察によると
既に合併前に第三次仲持道のルートが当時の絵図に描かれており
雲ヶ原を越えるルートは使用されなかったというのである
正解はこうだとは断言できないけど
ここまで辿って来た古道はただの道では無いと感じました
オーラが出てたよぉ~
別子銅山周辺には炭の道とか
石積みを伴った道が他にも色々と張り巡らされているみたいだけど・・・
(稼業が長期になると、坑木や薪、木炭の生産、運搬の距離が遠くなり、山中で行われた精錬作業では亜硫酸ガスによって銅山周辺の山は禿げ上がる。この為遠くから坑木や炭、薪を運んでこなければならなかった)
わたし的には幻の第二次泉屋道(仲持道)という事で
ルートをこの様に想像しました↓
牛車道分岐から先の古道は未調査なので判りませんが
ほぼ同じ経路を辿ると思われる種子川造林道を
5月9日に歩きましたが
岩屋の石鐙は史話の写真どおりに昭和初期のまま現存しましたが
320年前の泉屋道らしき痕跡は発見できませんでした
第二次仲持道として47年間使用されたという説
既に西条藩による立川銅山稼業時から
第三次仲持道(泉屋道)が立川銅山内を通っており
第二次仲持道は泉屋道としては使用されなかったという説
はっきりとした証拠史料は今のところありませんが
住友史料館の未公開の史料の中には
その謎を解く鍵が今も眠っているのかも知れません
゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・
さてさて
時刻は14時になりました
そろそろ折り返します
この辺りは山側の傾斜がかなりきつく
斜面一杯に土砂が流れ落ちてる
そして崩落地を越えます
なんだろう?境界だろうか・・・
何て漢字だろう、枡かな?
龍河神社、犬返しへ続く道と古道が交差する四差路
歴史ある龍河神社の参道を降ります
参道途中から右に折れて
立川集落の脇を降り、県道47号新居浜・別子山線へ
県道脇に古い吊り橋があります
この橋を渡った先の集落の向うには
下部鉄道の廃線跡が通っており黒石駅跡があります
1905(明治38)年に開設された黒石駅は貯鉱庫や複式の機関庫を備えており
東平から3,575mのブルイヘルト式複式高架索道が接続していた重要駅でした
元「中央公論」編集長で
「時刻表2万キロ」、「最長片道切符の旅」等で知られる作家の宮脇俊三氏が
晩年に「鉄道廃線跡を歩く」の取材で住友別子鉱山鉄道を訪れた際に
バス停「新道」で車を降り、足谷川に架かる吊り橋を渡り・・・とあったので、
前々から宮脇氏の渡った橋を自分も渡ってみなければと思ってました(;^_^A
この吊り橋より350m程上流には
もう一つ吊り橋があって「温泉口の吊り橋」と呼ばれてる
温泉口というバス停の奥にあり、
対岸の黒石駅跡近くには温泉マークが記されてる
別子山地域バスの路線図を見ると吊り橋も含めて
橋が架かってる場所にバス停が設けられるケースが多いみたい
じゃあ、
この吊り橋の名前も「新道の吊り橋」だろうかと思っていたら
違いましたo(*>Д<)ゝ < ザンネ-ンッ!!
こちらの吊り橋は「車屋橋」と呼ぶそうな
どのような理由かは分からないけど
下部鉄道の廃線跡にも、近くに車屋トンネルがあるので
この辺りは車屋と呼ばれていたのかもしれない
探訪日 2017年3月26日
では、また
次回も見てね(≧▽≦)
関連記事
1. 今年は丑年!別子銅山牛車道を辿る へ
2. 旧端出場水力発電所 鉄管保守路へ へ
3. 2週連続で牛車道探訪w へ
4. 新緑の唐谷三連橋とアケボノツツジ へ
5. 兜岩・西赤石から銅山越へ へ
6. 旧別子の牛車道は・・・ へ
7. 魔戸の滝 へ
8. 種子川林道を詰めて兜岩へ へ
9. 百十二年前に蒸気機関車の影を映した岩壁 へ
10. 石ヶ山丈沈砂池 へ
11. 旧端出場水力発電所から牛車道を歩く へ
12. 淡々と牛車道を辿り石ヶ山丈停車場跡へ へ
13. 2本連なる牛車道から石ヶ山丈貯水池へ へ
14. 旧端出場水力発電所水圧鉄管路を降る へ
15. 別子銅山の終焉に想いを馳せながら・・・ へ
16. 立川中宿から水圧鉄管路までの牛車道は・・・ へ
17. 「別子鉱山案内記」と今に残る産業遺産 へ
18. このページの最初に戻る
19. 車屋橋から下部鉄道跡へ へ
20. 古書「別子開坑二百五十年史話」 へ
21. 「あかがねの峰」 伊藤玉男 へ
追記
今年は丑年という事で
別子銅山の近代化に大きな役割を果たした牛車道を
春に4回にわたって探訪しましたが
探訪記は今年中に最終回を迎えることが出来ず
遂に年を跨ぐことになりました
ホントに月日の流れる早さにはビックリです
今年も拙いブログにお付き合い頂きましてありがとうございました
これに懲りずに
また来年もよろしくお願い申し上げます
皆様も良いお年をお迎えください!