京急の「ル・シエル」と「ラメール号」 | 書斎の汽車・電車

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 京急電鉄が、1000形1890番代車輛の愛称を公募していたところ、この程「LeCiel(ル・シエル)」に決定したと発表がありました。フランス語で「空」の意味だそうですが、来年以降、車輛にこの愛称を掲出するそうです。

 

 ところで、京急電鉄のサイトによれば、この愛称は「伝統の海水浴特急”ラ・メール号”をオマージュ」とあります。このコメント、残念ながら間違っています。かつて京急が運行していたのは「ラ・メール号」ではなく、「ラメール号」ですし、そもそもこの列車、海水浴特急ではなく、通年運転される「週末特急」でした。今回は、京浜急行の「ラメール号」のお話をしようと思います。

 

 京急に「週末特急」が登場したのは、昭和31(1956)年3月でした。土曜日の12:40品川発浦賀行きが「ラメール号」、同じく13:40品川発浦賀行きが「パルラータ号」と名付けられました。途中停車駅は川崎、横浜、金沢文庫、横須賀中央のみという速達列車で、品川~浦賀は63分運転、上りはダイヤ上は両列車とも設定がありましたが、通常は「パルラータ号」のみが運転されました。また、「ラメール号」は浦賀港からの伊豆大島航路に接続していました。そして、「ハイキング特急」や「海水浴特急」とは異なり、通年運転されていたことが特徴です。

 さて、その運転開始時期については諸説ありまして、3月8日付のダイヤ改正で2本共運転開始したとする文献もありますが、この時点では1本のみ運転で愛称は「大島号」、停車駅も川崎、横浜、横須賀中央のみだったのが、3月22日改正で2本体制となり、愛称も変更、停車駅に金沢文庫を追加したという異説もあります。

 そもそも、週末、土曜日の昼下がりのみ運転の特急というのが、現代に生きる者としてはどうもピンとこないでしょう。土曜日のこの時間帯の運転、当時は大きな意味があったのです。当時、週休二日制などは夢のまた夢、官公庁、企業などは土曜は「半ドン」と称する正午までの勤務が一般的でした。丁度、会社が引けた時間帯に「週末特急」が設定された所以です。

 そして、「ラメール」(フランス語で「海」)、「パルラータ」(イタリア語で「語らい」)という、バタ臭い愛称名のいわれについてですが、以前どこかで、当時公開された映画(洋画)とタイアップしたものという記述を見た記憶もあるのですが、今回どうしても確認できませんでした。これについては今後の課題ですね。

 

 「ラメール号」「パルラータ号」には、当初クロスシートの500形が使用されましたが、昭和31(1956)年に同じくクロスシートを備えた700形(後の600形)がデビューするとこちらと交代しました。また、運転の面では、昭和32(1957)年3月17日改正で、特急が平日日中20分間隔で運転されるようになると、週末特急は京急川崎で先行する特急を追い越すようになりました。「特急が特急を追い越す」、いかにも快速を誇る京急らしいダイヤです。

 その後の変化についてですが、昭和36(1961)年秋季から、ハイキング特急と週末特急に座席指定制が導入され、乗車に際し、50円の座席指定券が必要となったそうです。これまで週末特急は、誰でも乗車可能でしたが、定員制列車となったわけです。また、週末特急といえば長らく浦賀行きでしたが、昭和38(1963)年11月1日、久里浜線が野比(現・YRP野比)まで延伸されますと、週末特急は2本共野比行きに変更されています。(途中京急久里浜に停車)これに限らず、本線の終点である浦賀駅の衰退は著しく、この頃以降特急の多くは久里浜線に向かうようになりました。また、房総半島に向かう航路も、浦賀港発着から久里浜港発着に変わっています。

 

 久里浜線はその後も、昭和41(1966)年3月27日に津久井浜、同じ年の7月7日には三浦海岸まで開業します。週末特急はその都度終端駅まで延長されたようです。ただ、設定当初ほどの勢いはもはやなかったようで、かつては500形や700形が4連で走っていたところが、野比行き「ラメール号」は700形2連という写真も残されています。(行楽シーズンなどは4連だったのでしょうが)また、津久井浜開業時のダイヤ改正で、「ハイキング特急」は全廃されています。(最後の運転は前年秋)日常のダイヤでは、今日につながる「特急中心主義」が確立してきたところでしたが、イレギュラーな列車は消えゆく運命にあったようです。

 なお、週末特急にも長らく使用されてきた700形ですが、昭和41(1966)年4月、600形と改番、ほぼ同時期に4輛固定編成化が行われています。

 昭和43(1968)年6月15日、都営地下鉄1号線との相互直通運転開始を前提にしたダイヤ改正(乗り入れ開始は6月21日)により、快速特急が誕生します。この改正で週末特急「ラメール号」「パルラータ号」はついに廃止されてしまいました。というよりも「快特」に発展的解消したといえるでしょう。「快特」の停車駅は京急川崎、横浜、上大岡、金沢文庫、横須賀中央、京急久里浜、津久井浜でしたから、週末特急と大差ないといえましょう。ただ、この廃止時期にも「異説」がありまして、昭和41(1966)年3月の津久井浜開業の際に、ハイキング特急と運命を共にしたという説もあります。私鉄の運転史は、このようによく判らなくなってしまったことが多いですね。熱心なファンも多く、資料が残っている京急ですらこんな具合です。ともあれ、京急の「週末特急」のお話はこれにて「幕」といたします。

 「鉄道コレクション」の京急600形(非冷房)に、「ラメール号」のマークを付けてみました。マークはGMのステッカーです。

 昭和41年春に「ラメール号」が廃止されていたのであれば、実際には見られなかった姿ということになります。

 

 それにしても今回の話題、いつかはお話したいと考えていたのですが、「ル・シエル」が登場したおかげで、このタイミングでお届けすることになりました。「空」(ル・シエル)が「海」(ラメール)を連れてきてくれたのです。