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東急9000系はセミクロス車か?

 投稿日時2018/2/11(日) 午前 6:00  書庫鉄道雑記 カテゴリー鉄道、列車


大井町線はまだ田園都市線と名乗っていて緑色の電車がモソモソ走っていた頃からのお付き合いです。
そしてその心象は「かったるい」の一言です。
それは大昔に祖父が上京してきた時の言葉につきます。
「駅が20個もあった」
20個も駅があるのにたかが30分です。これが宇都宮線なら上野から20個も駅を乗れば宇都宮(当時)に行っちゃいますし、30分乗っても駅は5個しかありません。
ちょいと走ってはすぐ停車の繰り返し。そしていつも混んでいました。
電車が大好きだった幼少の私もすぐにうんざり。国鉄広町アパートが見えるとほっとしたものでした。

新玉川線が開通すると大井町線とは疎遠になり、溝の口開業でまたポツポツ利用するようになりました。
しかしトラウマがあるものですから、大井町線を利用する時は脊髄反射の様に急行を利用していたのです。
ところが昨年訳あって度々実家へ行っていたのですが、その際はおおむね秋葉原までバスだったので新玉線より大井町線の方が便利だったのですよね。
で、ある時その急行列車から追い越す普通列車を眺めていてハッとしたんですよ。
「9000系にはボックス席がある」
初めて9000系に乗ったのは東横線で、その感想は「なんじゃ、この音は!?」でした。
その9000系にボックス席かあったのは知っていました。なので東横線利用時は狙ってもいました。でもそれと大井町線が全く結びつかなかったんですよね。

なので今回の帰省の際に乗ってみたんですよ。
そしたらやはり風景の見え方が違うんですよね。

まず大井町を出てすぐに東京の街並みが大きく広がります。東京総合車両センターもチラと見えますね。



もっともこれはJR東日本大井町社宅(旧国鉄広町アパート)が取り壊されたから見える風景で、あの大井町の象徴たる建物が無くなったのはちと寂しいです。

発車後すぐに「本日も東急大井町線を~」と始まるのですが、その最後が「次は下神明」ではなくて「間もなく」です。
で、放送が終わるとブレーキがかかって、という大井町線らしさ。
その先も「次は~」の放送は無くて発車するとすぐに「間もなく~」。
旗の台のごときは放送が終わらないうちにホームに差し掛かりました。

下神明を出るとすぐに新幹線と交差。



ひかり号と行きあう事はめったに無かったですが、今日はドンピシャ。その下はかつては貨物専用線であまり興味が無かったのですが、今は立派な旅客線。上下双方が気になって忙しいなー。

下神明を出るとその名の由来となった公園の木々だけをちらりと見せて地平に降り戸越公園。


何本かの商店街をかすめてその度に年末買い出し客を大勢待たせた後に住宅街に入ってまた高架。
この辺りは武蔵野台地の縁にあたっていて、谷筋を横切るので、その谷の部分が高架になっている、とは限らないみたい。その為とも思われる、第二京浜こと、国道1号線と立体交差すると中延です。



中延駅はホームドア設置済み。
これ裏から見ると無粋だなー。でも広告ベタベタよりはいいか。

中延を出るとその名の由来となった荏原氏館跡がある法蓮寺をかすめて荏原町。



ホームは綺麗になっていますが、その床下ではホームドア設置工事中。歴史を感じさせる石組ホームが虫歯の様になっていてちょっと痛々しいです。

荏原町を出てまた高架に上がると旗の台。
いやー、この駅は立派になりましたね。
以前は木製屋根柱が並ぶ味のある駅でしたが、今では2面4線の現代駅。
ここで急行待ち合わせの為4分ほど停車です。



急行に半分くらいの人が乗り換えてしまったのでガラガラで旗の台を発車。
次の北千束は昔ながらの懐かしい木造屋根。



出ると高い建物が少なく高架という事もあって少々風景が開けます。
が、すぐに地下へともぐって大岡山。



昔の大岡山駅は空が広い駅だったけど、今は機能一点張りだねー。

発車するとすぐに掘割へと出て以前と同じように急カーブを曲がると緑が丘。
でも駅はすっかり様変わり。



緑が丘を出て、緑の電車が走っていた頃を知っていそうな家の比率が下がって来て高い建物が増えてくると、東急の「が丘」の始祖とも言える自由ヶ丘。
見た目は綺麗になったけど基本構造は昔のままだな。ホームドアもありません。



乗客が増えて延長に四苦八苦したホームを抜け、買い物客やバスをまたしても通せんぼしてチョイ走れば「はみ電」の九品仏。


駅名の由来となっている九品山浄真寺は駅からは見えませんが、有名な行事もあるようなので一度行ってみたいな。それよりもドアカットの様子をホームから見てみたいな。駅出口が踏切の中なのも見てみたいな。ねこじゃらし公園と言うのもあるそうなので行ってみたいな。

比較的高層の住宅間の間を通って尾山台。



ホームドアが設置されて改良されている風だけど、その向こうのブロック壁に田園都市線時代が残ってます。方面別ホームそれぞれに改札があって階段が無くバリアフリーの見本。

そのまま地平線を走って目黒通りをくぐれば木造屋根がいい感じの等々力。



この駅は地下化が計画されているけど、正直言って、「開かず」が大問題という規模の踏切もさして多くないみたいだし、駅の使いやすさからすればこのままの方がよさそう。また、地下化されるとその影響で等々力渓谷の水が、という話もあってなかなか計画が進んでいないようですね。

短い区間だけその等々力渓谷をなす谷沢川の河岸段丘にも思えるような所を走って、川が下をくぐると切通しの中の上野毛。



昔はもっと狭い掘割の中の暗い駅だったけど急行通過線が出来て広く明るくなったね。

上野毛を出てしばし切通しの中を進むといきなり国分寺崖線から飛び出してパッと風景が広がります。
右手には崖に張り付く高級そうな家々。そして左手には妙に発展してしまった二子玉川のビル群と多摩川。そして武蔵小杉のビル群も。



やがて上り線がせりあがって視界を塞ぎ、それがさがって視界が開けると二子玉川。
以前は上り線の下から瀬田へと延びる新玉線が見えた気がするれけど。

発車すると、いや、ホーム半分がそうなってしまった多摩川鉄橋はやはり大井町線一番の見どころ。
上流遥かに秩父山地。すっきりしていれば富士山も。



乗っている列車は二子新地、高津には停まらないパターンでした。なので駅間距離が長くここで初めて「次は」の案内。
とは言っても、その間わずか2Km。
なので発車後わずか40秒で二子新地通過。



おーっ、やっぱ10両対応のホームは長いな。
と、感心しているうちに1分20秒で高津通過。



そして2分20秒で終点溝の口に到着したのでありました。



しかし、早かったなー。
今回乗った列車は急行退避があったので大井町から溝口まで31分かかりましたが、現代東京の中に残る昭和の建物や土地の起伏などを眺めているうちにあっと言う間でした。あのうんざり田園都市線とはとても思えません。



もしかして列車が良くなったので所要時間が短縮されているのかな、と思ってちょい調べたら1960年でも所要22分。今の急行退避無しと変わりありません。
ただし、ホームドアがある駅では列車の戸が閉まってから発車するまでにちょいとの時間差がありますので、その分停車時間が延びて最高速度は上がっているのかも知れませんね。

いずれにせよ、ロングシートでは中づり広告を見るのがせいぜいの気晴らし、と違ってクロスシートだと「あ、あそこの家の柿の実が赤くなった」なんて都会でも季節の移ろい等を感じやすく、殺伐通勤電車に少しは和らぎをもたらしてくれる効果もあるのではないでしょうか。

各鉄道会社さん。効率ばかり考えているとそのうち暴動が起こりますよ。

コメント(4)

 

 

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このクロスシート席はいつも何故か空いていますので
積極的に利用しています(笑)
ねこじゃらし公園って?九品仏浄真寺の裏??  

2018/2/11(日) 午前 7:04  LUN  
 
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内緒
2018/2/11(日) 午前 7:46  [****** ] 
 
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> LUNさん
クロスシートはロングに慣れないお上りさん用でしょうか(笑)
猫じゃらし公園はお面かぶりと合わせて行ってみたいです。  

2018/2/12(月) 午前 6:06  NEKOTETU  
 
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> Mcさん
あの頃は電車も風景も鄙びていて。
ダイヤモンドはかっこよかったですね。それとカエル等に慣れてしまっていた私には8000系のペッタンコ顔に違和感を覚えながらも未来的車両と思えました。 

2018/2/12(月) 午前 6:13  NEKOTETU