NO.2593 2つの廃線跡を運行する路線バス、昭和バス「久里・北波多線」動向注目車での乗車記録 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 当ブログでは、NO.2312他におきまして、筑肥線佐賀県唐津地区廃線跡区間であります旧東唐津~山本間を、そしてNO.2645他におきまして唐津線の支線でもありました「岸嶽線」の旧岸嶽~山本間に関しまして皆様にご紹介しておりました。

 

 これらは、筑肥線に関しましては新たな区間として虹ノ松原~唐津間が昭和58年に電化開業した事に伴いまして廃止となっておりまして、この廃止に伴いまして東唐津(旧駅)・鏡(画像2)・久里の3駅が廃止となっております。尚、東唐津駅に関しましては、現在の駅は新たに移転した形となっておりまして、かつての東唐津駅は現在は画像1のようにホテル&リゾート佐賀唐津(旧称・唐津ロイヤルホテル)となっております。

 

 一方、「岸嶽線」に関しましては、沿線にありました炭鉱から出ました石炭輸送のために開業した路線でありまして、間に牟田部駅も設けられておりましたが、昭和40年代に相次いで炭鉱が閉山した事に伴いまして利用者が低迷しまして、今から50年前の昭和46年に廃止となっております。

 

 (旧岸嶽駅跡地に設けられた跡地を表す看板)

 

 (旧牟田部駅)

 

 これらは、当ブログでもご紹介しましたし、この後もご紹介しますように、いずれもほとんどの区間で道路化しておりまして、廃線跡が活用されている所が見られております。それほどかつての名残も見られなくなっておりますが、形が不自然な部分や記念碑が設けられている所もありますので、そういった所で名残を見せております。

 

 (筑肥線廃線跡、旧鏡~旧久里間)

 

 (左側、「岸嶽線」廃線跡、山本~旧牟田部間)

 

 

 さて、ここまでご紹介しておりますように、現在はほとんどの区間で道路化しておりますが、それら区間を結ぶ昭和自動車(昭和バス)の路線バスが運行されております。今回は、現在動向が注目される車に乗車しましてこれら区間をこの12月に利用させていただきましたので、その模様を皆様にご紹介してまいります。

 

 

 現在昭和バスが運行しておりますこの路線は、「久里・北波多線」と称されます路線でありまして、以下の区間を運行区間として設けられておりまして、平日11往復、土日祝日8往復で運行されております。

 

 (赤太字の部分が廃線跡区間を通る区間)

 大手口バスセンター~百人町~市民グラウンド前~東唐津駅~唐津東中高前~生駒~久里~山本~心月寺前~坊中~矢代町~徳須恵~市民病院きたはた

 

 元々は、大手口~久里~山本間、大手口~山本~徳須恵方面間で運行されていたのを平成28年の改正で統合したものでありまして、その運行開始に伴いまして、「久里・山本線」の東唐津駅~久里間が唐津競艇場(ボートレースからつ)前経由から筑肥線廃線跡区間であります唐津東中高前・生駒経由に改めておりまして(唐津競艇場前経由は廃止されております)、その結果筑肥線・「岸嶽線」の廃線跡区間を通るに至っております。

 

 

 さて、ここからは乗車の模様であります。私は途中の市民グラウンド前バス停から市民病院きたはたバス停まで乗車しておりました。

 

 今回乗車しましたのが、画像の日野レインボー(佐賀200か・427、U-RJ3HJAA)でありまして、製造年も平成7年と今年で26年にもなる車でもあります。しかも、佐賀県唐津地区では唯一の幕式中型車両でもありまして(但し、小型車や高速車両では引き続き幕式車両を見る事ができております)、LED行先が多く見られている中で貴重な幕式車両でもあります。

 

 

 そんなこの車に乗車してみましたが、よく見ますと所属先が伊万里支所に変更されております。この伊万里支所転属の経緯は、「久里・北波多線」とともに運行を担当しております「中浦線」の区間に伊万里市の区間(荻の坂~木場~上筒井間)が存在しておりますし、伊万里地区の相次ぐ路線廃止もありまして(3月末には「畑川内・黒川線」が廃止になっています番外参照)、そう言った事で一般路線の担当が他に「唐津~伊万里線しかない事から伊万里支所に転属になったのではないかと思われます。

 

 そう言った事もありまして、夏には以前は唐津方面へも路線バスは運行していたものの、廃止となりまして現地出退勤として残されておりました湯野浦車庫が廃止となっております。実際に、この車も駐車する姿が見られておりましたが、廃止となった事で現在は伊万里支所~満越(唐津市肥前町)へ往復回送が行われるに至っております。

 

 

 さて、市民グラウンド前バス停から乗車しましたが、乗客は私以外2名の乗客しか見られず、乗車した時間帯(大手口バスセンター9時10分発)からも閑散とした時間帯でもありました。

 

 

 そんな中ではありますが、唐津大橋を渡りまして、松浦川沿いを一旦北上しまして、東唐津駅から筑肥線の廃線跡区間に入りまして南下して行きます。画像は、唐津市の進学校でもあります唐津東高校・唐津東中学校の最寄りバス停であります唐津東中高前バス停でありますが、この学校前の道路もかつては筑肥線の廃線跡区間でもあります。しかし、現在はそういった名残も見られず、周辺では宅地化も進んでいるのが現状でもあります。

 

 (唐津東高校・唐津東中学校)~画像左側の部分が筑肥線の廃線跡区間です

 

 この廃線跡区間には、先述の唐津東中高前、さらにこの路線向けに今組・生駒大橋の計3つのバス停が設けられております。画像は今組バス停でありますが、かつて鉄道が走っていた区間に路線バスが走っている訳でもありますので、道路整備さえしますと、ここまで変わる事も伺える所でもあります。

 

 所で、昭和バス以外にもバス停が見られるのがわかりますが、これは倒産しましたYOKAROに代わりまして移管しましたさつき観光が運行します福岡~平戸線の高速路線バスの停車地として今組・生駒の両バス停にも夏から停車するようになっております。この路線も、YOKARO末期より小型車両が主に運行される路線として至っておりますが、利用者は正直どうなんだろうかと思う所ではあります・・・。

 

 ちなみに、生駒バス停がある所はかつての鏡駅があった所でもあります(画像は令和2年撮影)。この時もここから1名下車・1名乗車した方がいらっしゃっておりました。

 

 

 車は、西九州自動車道唐津インターの所を通ります。この唐津インターの所には、唐津インター口(原中原)バス停がありまして、福岡~伊万里線「いまり号」向けのパーク&ライドも設けられております。

 

 

 さらに進みますと、「唐津うまかもん市場」も通ります。最寄りに唐津うまかもん市場前バス停も設けられておりまして、恐らくは利用者はいらっしゃるのではないかとは思われますが、やはりほとんどの利用者はマイカー利用が主である事は伺える所ではないかと思います・・・。

 

 その「唐津うまかもん市場」横を走る県道のうち、現在歩道の部分が筑肥線の廃線跡の部分にあたります。この区間は、旧久里駅にかけまして直線区間にあたりますので、特に速度は出ていた所ではなかったかと思われます。

 

 

 車は久里バス停にやってまいりますが、画像の倉庫がある部分が旧久里駅の部分にあたりまして、ちょうどホームがあった部分にもあたります。その部分に、唐津方面向けの乗場が設けられておりまして、ホームであった部分も歩道で名残を残している事が伺わせております。

 

 

 バスは、久里バス停を過ぎまして山本方面へと進みますが、かつての筑肥線の廃線跡は画像中央の部分にあたります。けれども、現在は田畑化してもいますので、かつての名残はこの付近では見られなくなっているのが現状でもあります。

 

 

 さらに進みまして、久里双水古墳の先にありますつつじヶ丘団地バス停を過ぎますと右折しまして、狭い路地へと入っていきます。この区間に関しましては久里・山本線時代からこの区間を運行しておりまして、現在は中型車両ではありますが、かつては貸切落としの大型車両もこの区間を走った事もありまして、今となれば信じられない所でもありますでしょうか。

 

 (ここから右折)

 

 (狭い路地へと入ります)

 

 

 狭い路地を抜けまして、山本方面への広い道へ入りまして、松浦川を再び渡ります。この新双水橋を渡りますと山本地区へとやってまいりまして、さらに山本方面へと進む事にもなります。

 

 橋を渡りますと、唐津線の宮原踏切を渡りますが、画像奥の選果場の部分が筑肥線の廃線跡の部分にもなりまして、昭和58年3月までは筑肥線と唐津線とがこの踏切で合流するようにもなっておりました。ちなみに、この付近から松浦川までの部分が、筑肥線の廃線跡区間でも名残が残っている部分が見られる所でもあります(NO.2313参照)。

 

 

 こうして、大手口バスセンターから約30分、市民グラウンド前バス停から約20分で山本駅にやってまいりました。ここで1名の乗客が下車しまして、その前にも久里バス停でも下車される方がいらっしゃいましたが、その一方乗車された方はいらっしゃいませんでしたので、ここから北波多方面へは私1人となりました・・・。

 

 

 山本バス停を出まして、次のバス停であります心月寺前バス停へと向かいます。ここからは「岸嶽線」の廃線跡区間を辿っていく事にもなりますが、上の画像6の部分から、以下画像の部分(特に右側)へとつながる事にもなりますが、それらの部分が「岸嶽線」の廃線跡の部分にもあたってまいります。 

 

 先述のように、山本バス停を過ぎますと、乗客は私のみとなっておりまして、まさに空気輸送な姿が見られておりました。この路線も、正直朝夕以外は利用者は多くないようではありますので、このような姿となってしまうのも仕方がない所ではあります。

 

 

 車は、坊中方面へと進みますが、画像左側の部分がかつての「岸嶽線」の部分にあたります。現在は画像のように木が見られておりますが、こういった所でかつての名残が見られている事もお分かりいただけます。

 

 そんな中にあります途中バス停が坊中バス停でありますが、このバス停がある所にかつては牟田部駅が存在しておりました。実際に、画像4の部分にホームがありまして、不自然に広い部分も見られておりまして、そういった所がかつて駅が存在していた名残があると言ってもいいのではないかとも思います。

 

 

 旧牟田部駅から旧岸嶽駅へ向かう区間であります(バス停は芳谷~矢代町間)。この区間に関しましては、NO.2545をご覧いただければとも思いますが、当初はカーブから右寄りに線路が続いていたのかと思っておりましたが、実際は左端を通っていたそうですので、私自身も詳しく見ておけばよかったなと思ったほどでした。

 

 

 画像は矢代町付近であります。画像手前の部分から曲がりまして、矢代町バス停へと進む事になりますが、「岸嶽線」であった区間は、以下画像奥から旧岸嶽駅へと進む形でもありました。

 

 (矢代町バス停)~画像右端の部分が「岸嶽線」であった部分

 

 矢代町バス停から徳須恵方面へと狭い道を進みます。以下画像中央部分に旧岸嶽駅・貯炭場があった所へと至りますが、現在はそういった名残さえも見られなくなっておりますし、逆にこう言ったものがあった事も信じられない所でもありましょうか・・・。

 

 (徳須恵方面への道路)

 

 

 こうして、約40分ほどで唐津市民病院内のバス停であります、市民病院きたはたバス停へやってまいりました。この病院は、かつては「北波多村立病院」として国道沿いにありましたが、合併に伴いまして「唐津市民病院」に変わったものの、老朽化によりまして旧病院の近くであります画像の所に移転しております。

 

 結局、終点まで私1人のみでありましたが、今後動向が注目される車に乗車する事ができた事は正直良かったと思っております。と言いますのも、今後新車導入によりましては運用を離脱する可能性さえもありますので、今回の乗車する機会を得られた事は正直ラッキーではなかったのかなと思ってならない所でもありました。

 

 (大手口行き1名乗車)

 

 

 この乗車の数日後、一旦運用を離脱したのかと言った動きが見られておりましたので、大変心配しておりましたが、その後運用に復帰しまして元気な姿を見せておりました。しかし、そんな中でも新車の導入が明らかになっておりまして、その新車導入に伴いまして伊万里支所に新たに転属車両が見られておりまして、運用を始めているそうですので、これによりまして離脱に至る事にもなるようでもあります。そう思いますと、今回の乗車で乗り収めになるのかな?と思ってならない所でもありました・・・。

 

 

 今回は、今後動向が気になる昭和バスの古参路線車に乗車しまして、唐津~北波多方面への乗車しました話題をご紹介しましたが、このバスが運行している(た)区間は、2つの廃線跡区間を辿っておりますので、鉄道の廃線跡・乗りバスと2重の楽しみを味わう事ができる区間でもあります。それにしても、私自身もこの運行されております区間の存在を知ってはいましたが、利用者はそう多くはない事が伺える所ではあります。とにかく、現在は補助金もありますのでこのような形で運行できている訳ではありますが、今後打ち切らないためにも更なる利用者を望みたい所でもあります。