旅をしていて駅で寝泊まりすることなど今ではありえないが、国鉄時代にはできた。方法は二つ。一つは24時間開いている待合室で寝るという方法。もう一つは無人駅で寝るという方法。
夜行列車が全国で数多く走っていた時代、深夜に列車の発着がある駅は24時間閉まることなく営業していた。僕が実際に泊まったことがあるところとしては東海道本線の富士駅•米原駅、中央東線辰野駅、上越線石打駅、山陰本線福知山駅、宗谷本線音威子府駅など。なぜ駅で寝るかというと旅費節約のためというのが大きいが、朝早くから撮影するのに初発列車に乗ったり夜間の寝台列車などを撮影するためだったりもした。駅待合室には当然のことながら一般客もいるわけで、あまり傍若無人の振る舞いはできないし熟睡できるわけでもなかった。それでも当時は睡眠不足は日中の列車移動の際に補えばいいと思っていた。
↓東海道本線米原駅で発車を待つEF58牽引の荷物列車(1983年)
↓上越新幹線開業前の石打駅では深夜でもひっきりなしに客貨の列車が発着していた。EF15の前にEF64 1000の補機がつき峠を越える。(1981年)
↓羽越線新津駅に到着、機関車交換を終え発車を待つ急行鳥海(1982年)
駅で寝るに際してはベンチは凸凹のない木製がベストなのだが、さすがに大きな駅になると木製はなく一人分の椅子が並んだプラスチック製が多かった。しかし中にはプラスチック製の上に一人分の椅子の片側に肘掛けがあるタイプのベンチがあって、これは横になることができずウトウトすることもままならないので最悪だった。福知山駅がそうだった。おまけに夜間は冬でも暖房が切られ、非常に寒い思いもした。
↓大学鉄研の研修旅行で東海•近畿を訪れ、そのまま四国に突入しDF50を撮りまくった夜、無人駅でマルヨした。
↓予讃本線と土讃本線が分岐する多度津駅の跨線橋からはDF50の夜間撮影が楽しめた。(1981年)
プラスチック製のベンチで熟睡できない難点を解決するには木製ベンチのある無人駅を探して泊まることになる。しかしどこでもいいというわけでもない。街中の駅だと人目が気になる。人里離れた山奥の駅だと心細い。理想の無人駅を見つけることはなかなかに難しいのだ。ある年鉄研仲間4人で出かけた四国旅行の際に土讃本線で理想の無人駅を見つけた。日中は鉄チャンをし、夜多度津でバルブをした後遅くに戻ってきて駅寝を決行した。夏だったので寒さの問題はなかったが、虫がそれなりにいた。それに無人駅とはいえ一番列車が来る前には起きてベンチの占領を解かなければならない。そんなこんなで熟睡はできなかった。それ以降無人駅で寝るということをしていないので、あまり寝心地がよくなかったのだろう。結局のところ夜行列車で寝るというのが最も気分的には楽だったように思う。