【旅の思い出】三陸鉄道・バス旅《その2》 | 日々轍ヲ邁ム哉〜鉄道とか色々な事

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日々轍ヲ邁ム哉(にちにちわだちをすすむなり)…毎日鉄道の事ばかり考えている私が、思い立った時に書き記すブログです。関西の鉄道ネタが多め。
毎日21時以降更新ですが、基本三日坊主な人間なので、更新が止まったらお察しくださいw

そう云えば2ヶ月前に投稿してすっかり忘れていました…

久しぶりになりますが、旅の思い出の続き「三陸鉄道・バス旅《その2》」を投稿したいと思います。

※ちなみに、前回はこんな感じです。
私自身が投稿しておきながら、すっかり内容を忘れてしまっていました…

では続きをば…

 

翌日、平成29年(2017年)5月2日、朝4時半過ぎにホテルを出発、5時前に三鉄久慈駅に到着、北リアス線で一路、宮古を目指します。

流石に早過ぎた為、まだ券売機は作動していませんでした。

 

出発前にJR八戸線の風景も少し見ておきつつ。まだこの頃はキハ40も現役でしたね。

キハ40を眺めつつ…

 

さて、三鉄のホームに進み、36-200形に乗車して宮古へ向かいます。

三陸鉄道と云うと、前面に大きな方向幕と105系、119系を少し斜傾させた窓を持つこの特徴的なフォルムの車輌が印象的です。

学生時代の頃からこの車輌この顔を生で見たかったのですが、ようやく四半世紀以上かかり見ることが出来ました。

面白かったのは、2輌だったのですが、後ろ1輌は営業車ではなく回送車の為、走行中も後ろへ移動不可でした。今までそういう運用の列車に乗車したことが無かったので少々新鮮でしたね。

 
車内はこんな感じ。まだお客さんは私だけでしたw
GW期間の中日ということもあり、学生さんもそこそこ乗車されました。
※しかし、結構学生さんの乗車率が高かったのに、喋り声ひとつ無い非常に静かな車内だったのはかなり驚かされました。
海岸を走行しているものの、沿岸部分の高い堤防も非常に印象的でしたね。
 

宮古駅に到着。現在は宮古以南も三鉄ですが、まだこの頃の三鉄は、北リアス線と南リアス線のみで、真ん中はJR山田線が結ぶ状況でした。

但しその山田線は、東日本大震災で甚大な被害を受け、代行バスで宮古から釜石までを結んでいる状況でしたので、ここからは代行バスで南リアス線、JR山田線の釜石駅を目指します。但し代行バスの場合、鉄道とは違い一旦、岩手船越駅近くに位置する「道の駅 やまだ」で岩手県北バスと岩手県交通バスの乗り換えの必要がありました。

 

※当時の行程が見つかりましたので、投稿します。ただ気仙沼以南の行程は急遽BRTで大船渡→前谷地、石巻線で前谷地→石巻、仙石線で石巻→あおば通りに変更しました。

 

と云う訳で、岩手県北バスに乗車し「道の駅 やまだ」へ向かいます。

 

途中、運行休止中だった山田線の線路横も通りつつ…一時間少しで「道の駅 やまだ」に到着。

 

次に乗るバスが来るまで半時間が有りますので、待つことになりました。

 

岩手県交通バスが到着し、釜石へは更に一時間弱揺られることになります。

徐々に震災の爪痕も目立ち出して来ました。

 

9時過ぎに釜石駅到着。

※釜石駅の向かいは新日鉄住金(現:日本製鉄)釜石製鉄所。

 

さてここで、大変困った事が…まぁ時刻表見て予想はしていましたが、と云うか時刻表通りなのですが、釜石で三鉄南リアス線に乗り換えを行います。

しかし…次の列車は2時間弱後…これがまた何の嫌がらせと思うのが、バスが到着する数分前(だったと思います)に南リアス線の盛行きが発車するダイヤになっていたんですね。そして次に発車するのは2時間弱後…これはひどいw

※もちろん山田線三鉄移管後は、乗り換え時間数分~10数分で可能となりましたので、このような事象は解消されました。

仕方ないので、2時間ぶらぶらと近隣を散歩する事にしました…

釜石は製鉄でも有名ですが、漁港でもありますね。海産物のショッピングセンターが駅前に構えています。

財布に余裕があったら、近くの海産物屋さんで松前漬を買いたかったのですが…残念ながらウィンドウショッピングのみになってしまいました。

 

今回はこの辺で。次回は釜石以南を投稿したいと思います。