11月30日 いよいよ練習運転開始 当日の朝 扇形庫内でSL豊の国号運転整備現場総指揮者が中腰になってC581クロスヘッドの打音検査中 「今日から頼むぞ」 その姿は期間中の無事故とつつがない安全運転を祈る思いが溢れていた  
1981130打音検査
1981年11月30日 日豊本線 大分運転所 扇形庫 C581 打音検査 


拙宅の古い工具箱に頭がサビた打音検査用小ハンマーが残っていた 頭がサビているハンマーを乗務員や検査掛が使用することはない 多分廃品を持ち帰ったものだろう 細い柄小さな頭 非常に軽い レイアウトでレール固定のくぎ打ちに重宝している 
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打音検査用小ハンマー G鉄所蔵 


この画像は裏書に日付がないが 機関車にHMが未装着なので練習運転初日11月30日の朝に記撮したのかもしれない G鉄の義父と前列の指導機関士が打音検査用小ハンマーを握っている 
庫内記撮1130
1981年11月30日? 日豊本線 大分運転所 扇形庫 C581 練習運転初日 
記撮 中列左端が義父山本信雄 中列右から3人目がS大分鉄道管理局長 前列の赤腕章二人は古参機関士? 後列の若い乗務員たちとともに今日から練習運転に臨む 後列5人のうち3人は両手ショベルを持っているように見える 機関助士だろうか


C581履歴 新製配属は新鶴見 戦前戦中そして敗戦 東京周辺で戦後の混乱期まで稼働 その後津軽海峡を渡り1972年まで北海道で履歴を重ねている C581が現役のときG鉄が渡道することはできなかったが 北の地を訪れて撮影した方もいらっしゃることだろう 

梅小路ではC571の予備機として復活 機関車表では40年ぶりの南関東走行しか記載されていないが 複数の出張運転の実績を残している しかしSL豊の国号運転以降 出張運転は行われなかった 1984年初頭に梅小路へ帰還 期限終了後全般検査を受けることなくそのまま静態保存 永い眠りについて37年 2021年の今に至っている 

番号 製造所=製番 製造日 種別
C581 汽車製造大阪工場=1578 1938-08-04 S58.70t1C1T(1067)
車歴;1938-08-04製造→納入;国鉄;C581→配属[達第636号];東京局→
1938-08-04竣工→配置;新鶴見→1942-01-31現在;新鶴見→
1944-01-31現在;品川→1945-08-00現在;千葉→1947-03-01現在;千葉→
1949-07-06北見(書類上移動日実際は以下の期日で移動)→
1950-03-00大宮区発(4/2着)苗穂工場→1950-05-29苗穂工場発(5/30着)北見→
1970-03-31現在;北見→1972-09-11釧路工場発(9/16着)梅小路→
1972-09-16廃車;梅小路→車籍復活→1979-08-31鷹取工場発(9/1着)借入;小郡→
1980-06-13横浜開港120周年 横浜開港120周年記念・横浜商工会議所創立100周年記念行
事東横浜~山下埠頭間にてC581号機関車+客車の列車運転開始 1日3往復 15日まで→
1984-01-18発(1/19着)返却→1986-05-30廃車;梅小路→
動態保存;京都府「国鉄梅小路機関車館」;C581(最終走行距離=2,068,858㎞)

ネコパブリッシング刊機関車表より


G鉄は山口線を走るC581を撮影することはなかったが 梅小路蒸気機関車館では何度かフィルムに収めている 1978年1月小雪が舞う大寒の日曜日の午後梅小路を訪れた C581の梅小路暮らしも5年が過ぎた頃 集煙装置はまだ装着していない 清々しい外観 ロッドの位置を揃えて扇形庫外の展示線に佇んでいた  
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1978年1月 梅小路蒸気機関車館 C581 


1989年8月 G鉄と連れ合いと婚前旅行の際に訪れた C581はすでにリタイアして静態保存中 庫外に先頭部が引き出されて展示していた 集煙装置が付いたまま 日の丸やデフには鳳凰の装飾そしてランボードに安全柵設置 梅小路スタイルのお召装備の装いも誇らしげ いったいどんな行事があったのか憶えていない 1981年に大分出張運転の際 義父が運転整備の総指揮を執ったことなどまったく知らなかった 
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1989年8月 梅小路蒸気機関車館 C581 お召装飾 再掲


1994年2月家族旅行で冬の京都へ 大雪の翌日梅小路を訪れた 各部は磨きだしされて美しい 集煙装置は取り外されていた この時点では煙室扉ハンドルは旧来のものである 
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1994年2月 梅小路蒸気機関車館 C581


そして2020年1月 フルムーン切符で周遊の帰途に1994年以来26年ぶりに訪問 このときはすでに義父所蔵の写真帳を見つけた後だったので 義父がC581の運転整備の総指揮を執ったことを知っていた 感慨もあらたにC581と対面した 

煙室扉ハンドルの梅模様にシビレル デフ手摺や連結器解放テコなどの見た目が洗練されている リタイアした1984年から37年 そしてG鉄が連れ合いと初めて訪れてから32年経っていた 2人とも歳を重ねてしまったがC581は変わることなく今も眠り続けている 再び大修理動態整備されて甦る日があるのだろうか 
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2020年1月 京都鉄道博物館 旧梅小路蒸気機関車館 C581 再掲


1984年C581がそのまま静態保存となった原因について 走り装置軸受部の不具合や ボイラーの不調ではなどと巷間伝えられている 大分もしくは横浜出張時に発生したとの伝聞もある 

蒸気機関車の構造や保守について 1輌ごとにハッキリと個性が認められるのは周知のことである 結局現場の当事者でないとその機微は分からない その都度機関車ごとにデリケートな対応が必要であろうことはアマチュアでも想像がつく C581が大分出張の際 G鉄の義父は運転整備総指揮にあたった もし可能なら「実際のところC581の調子はどうだったんですか?」と訊ねてみたい 思い出のSL豊の国号 終わり 
※その2その3でアップしたG鉄スタンプのない画像は 大分運転所記録係撮影の写真帳からスキャンしたものです 

拙ブログ 2020年12月2日 G鉄ダイアリー 2020年1月もお読みください 
http://blog.livedoor.jp/exp_takachiho/archives/7984088.html