転轍器

古き良き時代の鉄道情景

南延岡機関区の8620

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 均整のとれた美しい28627〔延〕が機関区に戻って来た。ランボード上の缶受けとフロントデッキのフレームのラインがとても優雅に映る。 南延岡機関区 S47(1972)/12/29

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 28627〔延〕は元松浦線の罐。昭和47年3月早岐機関区から転入、48年8月には若松機関区へ移動し、南延岡機関区滞在はわずか1年半であった。手持ちの配置表で履歴を追ってみる。昭和8年3月宮崎/昭和22年3月大分/昭和32年11月吉塚/昭和36年3月吉塚/昭和43年3月早岐/昭和47年3月南延岡/昭和48年8月若松。 南延岡機関区 S47(1972)/12/29

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 78626〔延〕は昭和43年10月都城から来て以来南延岡で働き通し、8620の最後となった罐である。 南延岡機関区 S47(1972)/12/29

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 48676〔延〕は元松浦線の罐で早岐機関区から鹿児島機関区に渡り、南延岡には昭和47年8月に来ている。煙突が極端に短い珍しいタイプで、撮影時はすでに火は落とされていて扇形庫向かいの機留線にひっそりと置かれていた。 南延岡機関区 S47(1972)/12/29

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 細島線は日に2往復半の気動車列車が走っていたが、昭和47年2月1日で旅客営業は廃止されている。路線名称は日豊本線貨物支線に改称されて貨物運用は継続し、8620の救援でC12も使われたようである。本線側から煙突の短い48676〔延〕に目をむけると扇形庫に収まるキハ20群の並びが見えた。 南延岡機関区 S47(1972)/12/29

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 昭和44年3月時点は48692・48693・78626の3輛が配置されていた。4面全てに形式入の大形ナンバープレートを持つ48693〔延〕は蒸気ドームに「日立製造」の銘板が残る貴重な罐であったことを最近になって知る。 日豊本線延岡 S45(1970)/6/3

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 列車の車窓から南延岡構内で入換中の8620の機影を捉えることができた。デフレクタの背の高さの低い独特なスタイルの48692〔延〕はこちらも4面形式入ナンバープレートを付けているようだ。 日豊本線南延岡 S45(1970)/6/3