横山橋
1953年頃撮影
S氏提供
1953年6月、谷山と横山の間に立派な橋が完成しました。それは吊橋でありながらトラス橋が架かる変わった形態をしています。
主 橋 体 型 式 ランガートラス併用吊橋
橋 長 径間 93m 2連
補 剛 構 鋼 材 378㌧
床 版 鉄筋コンクリート(厚12糎 )
補 装 コンクリート厚 4糎
施 工 滝上工業株式会社
完 成 1953年6月
ランガートラス併用吊橋とは、吊橋ながら橋桁はガーターではなくトラス橋を併用しています。一見するとトラス橋のようですが吊橋という変わった橋梁です。
木造の人ひとり渡れるものから瀬戸大橋のような鉄道やクルマが渡れるものまで様々な形態を持つ吊橋。製鋼技術がまだ未熟な頃に見られたもので、ニューヨークのブルックリン橋も形態は異なりますがランガートラス併用吊橋です。
Wikipediaより
S氏提供
一見するとトラス橋に見えますが、ハンガーロープがあり吊橋です。長さ98mの桁が2連となっています。
横山橋を渡る富士急行の貸切車(左)と
国鉄バスの路線バス(右)
1960年頃、横山橋
立派な橋梁とは云えど、バス1輌が渡れる幅員しかありません。離合します。左のストライプカラーは今もこのカラーが路線バスに用いられている富士急行。ラジエターグリルを中央に据えたのはいすゞBA341(P)と思われます。ウインカーも小さな赤い矢印が灯るグリルの形状から1957年頃のものと思われます。リヤエンジンバスのため窓がやや小型化されているものの神戸市交通局に静態保存されているいすゞBX131(1956年式)とよく似ています。。
こちらへ来るのは国鉄バスの路線車。民生イーグル号で車体架装は富士重工。写真が不鮮明ですが、正面窓の上辺の加工に特徴のあるR9型なので1957年〜1959年頃の民生RF系あたりだと思います。
国鉄バス遠江二俣管内路線図
当時は浜松からの路線は宮口より熊・渋川へ至り、さらに三河大野・東栄・浦川・佐久間へと路線を延ばす西天竜線と天竜本線(西鹿島・遠江二俣ー瀬尻ー西渡ー佐久間・水窪ー瀬戸野)とは別の性格を持っていた事が分かる。西天竜線は計画線であった国鉄遠美線の、天竜本線は国鉄佐久間線の先行路線であったからだ。当時、最新技術の粋を集めた佐久間ダム見学がこの辺りで好評を得ていた。国鉄バスは遠江二俣駅発の定期観光バスを運行していた。
遠州鉄道は1958年より佐久間ダム行きのいすゞBX91。当時としても経年車であるが、狭隘路の続くためボンネットバスの投入は適任だった。佐久間ダム見学ツアーは好評で、レジャーが多様化する1970年頃まで続いた。
遠州鉄道の観光バス
1959年
今では観光客も疎な佐久間ダムも開設当時は世紀の巨大ダム工事として各地から見学者が押し掛けました。師団を組んで浜松から来た遠州鉄道の観光バスの列は、駐車場で向きを変えて次の目的地への準備を整えて待機します。