前回は急行「能登」の国鉄時代を時刻表で振り返ってみた。

今回はJR時代の「能登」を振り返る。


1987年に国鉄がJRになってから「能登」の一番大きな変化は、1993年3月ダイヤ改正で客車から電車に置き換えられたことだろう。
「能登」と同じく上野-金沢間に運転されていた特急「白山」と同じ489系9両編成を使用するようになった。寝台車はなくなり、全て座席車両となった。

 

 

 


JR時刻表1997年3月号、高崎線下り。
上野駅の発車時刻は23時58分とずいぶん遅い時間になっている。

これはほぼ同じ時間帯に運転されていた急行「妙高」長野行きが廃止され、「能登」に統合されたためと思われる。
また、この時期の特徴として、下り「能登」に限り、高崎線内の上尾、桶川、鴻巣にも停車している。これは夜遅い通勤客の利用を見込んだためで、ホームライナーのような役割であった。

 

 

 

 


JR時刻表1997年3月号、北陸線上り。
この時期のもう一つの特徴として、運転区間が上野-福井間であったこともあげられる。

 

 

 

 


JR時刻表2002年6月号、高崎線下り。

1997年10月に長野新幹線が開業し、9月末限りで信越線横川-軽井沢間が廃止された。

これに伴い、「能登」は上越線(長岡)経由に変更された。「能登」の運転ルートは時代状況により上越、信越、上越とコロコロ変わる。





JR時刻表2002年6月号、北陸線上り。
福井発着から金沢発着へと縮小された。

 

 

 

 


JR時刻表2006年7月号、高崎線下り。
高崎線内の上尾、桶川、鴻巣は通過となり、ホームライナーの役割は終わった。長距離夜行列車に通勤客が短い区間に押し寄せるといろいろと問題があったようだ。私も「能登」には何度も乗ったが、いずれも東京へ行った帰り、例えばプロ野球観戦で遅くなった時などに利用していた。

 

 

 

 


これは列車名は印字されていないが、「能登」の自由席に乗った時の急行券。

「能登」はいつ乗っても空いていた。自由席が飽きた時はラウンジカーで息抜きすることもあった。

 

 

 

 


2010年3月ダイヤ改正で「能登」は定期列車から臨時列車に格下げになり、事実上廃止された。

「能登」の定期列車としての最終日、大宮-高崎間にお別れ乗車した。これはその時の指定席券。

始発の上野から乗りたかったのだが、指定席券売機で上野-高崎を検索すると満席で、大宮-高崎で検索したら発券できた。つまり、上野-大宮の指定席を取った人がいるということだろう。

 

 

 

 


乗客全員に乗車記念カードが配られた。車掌が日付のスタンプを押してくれた。

 

 

 

 


記念カードの裏側は、同時期に廃止された寝台特急「北陸」と「能登」が並んでいる。

 

 

 

 


JTB時刻表2010年3月号、高崎線上り。
臨時列車となった「能登」。車両は485系6両となった。


以上、急行「能登」の歩みを時刻表をもとに振り返ってみた。