旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

五連アーチとタラコと金雀と 岩徳線を完乗!

2021-12-04 | 呑み鉄放浪記

 瀬戸内海には朝靄がかかり、波頭が朝日に煌めいている。コンビナートには銀色の灯が点滅している。
この時期になると西国の日の出は7:00を過ぎる。タラコ色の2228Dは明けたばかりの徳山駅を発つ。

1つ目の櫛ヶ浜は山陽本線との分岐点、本線は瀬戸内海に添い、岩徳線は山間部を抜けてそれぞれ岩国へ至る。
肌寒いこの日に呑み潰す岩徳線は、本線より18.3kmも短いのに20分も余計にかかるのんびりとした旅になる。

稲刈りが終わった田圃には霜が降りたようだ。低い朝の陽にキラキラと輝いている。
博多で見初めた大分の “かぼすハイボール” をプシュ、このスッキリとした酸味と香りはハマりそうだ。美味い。

 8%の辛口をチビリチビリと小一時間、タラコの2両編成はガタゴトと錦川橋りょうを渡って西岩国へ。
木造平屋建て寄棟造、玄関上部に切り妻壁を飾り正面玄関のアーチはたぶん錦帯橋を模しているのだろう。
オレンジ色の屋根が眩しい駅舎はもちろん国の登録有形文化財、1929年生まれだから齢90年を超える。

手に息を吹きかけながら歩くこと20分、岩国城を背負って五連の名橋・錦帯橋が見えてきた。
岩国藩の第三代吉川広嘉が架けた木造橋は戦後まもなく台風による洪水で流出している。
それでも巻きガネとカスガイを使った木組みの橋は精巧な弧を水面に映して美しい。訪ねた甲斐があった。

向こう岸からロープウェイで3分、初代藩主の吉川広家が築いた岩国城は幕府の一国一城令によって、
元和元年(1615年)に取り壊された。現在の四重六階の桃山風南蛮造は昭和になって復元されたものだ。

天守閣から眺望する。蛇行する錦川に囲まれた山頂はなるほど天然の要害であることがよく分かる。
曲くねった先には幾つかの青黒い島影を浮かべて瀬戸内海が鈍く光っていた。

 昼を挟んで錦川清流線を呑み潰してから、岩徳線の残る1駅間をラストスパートする。
車体を揺らして走ってきたタラコの2234Dは単行気動車、車体の両側に運転台を持つのはキハ40系だ。

西岩国から5分、タラコが90度の急カーブを描くと、右手から櫛ヶ浜で別れた山陽本線の複線が近づいて来る。
岩国15:04着、まだ酒場に暖簾はかからない。然らば酒蔵を訪ねる。岩国は五蔵を有する。いずれも著名だ。

河口を目前にした錦川(今津川)に面して八百新酒造がある。煉瓦の煙突に「雁木」の銀看板が誇らしい。

 炭火串焼と旬鮮料理の店「岩国縁家(ゆかりや)」は、ちょっと早い午後4時に提灯が点る。これは嬉しいね。

この店の蛇の目は1合盃、なかなか豪気だね。まずは “雁木ひとつび”、優しい飲み口の純米酒だ。
地魚の盛り合わせは、サーモン、アジ、カツオ。カツオにはたっぷりにんにくスライスをのせて美味しい。

もっちりでシャキシャキの “岩国れんこん” は天ぷらがよろしいようで。シンプルに塩でいただく。
二杯目は “五橋” の純米酒、五橋とはもちろん錦川にかかる五連の反り橋「錦帯橋」から由来する。
控えめな吟醸香の辛口を味わいながら、れんこんをシャキシャキと愉しむ。

“金雀” は錦川清流線の終点錦町駅に程近い堀江酒場の酒、プレミアムな酒を醸す小さな酒蔵だ。
メニューにはない “純米吟醸50” と “伝承山廃造” を大将が出して来てくれた。ちょっと嬉しいもてなしだね。
〆は長州どりを釜飯で。出汁で炊き上げた “鶏めし” を香りとともに頬張って、岩徳線の旅は終わりを迎える。

岩徳線 櫛ヶ浜〜岩国 43.7km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
心の色 / 中村雅俊 1981



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