転轍器

古き良き時代の鉄道情景

58689

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 「日本蒸気機関車特集集成上巻」(鉄道図書刊行会/昭和53年5月刊)所収の「九州における8620・C50の系譜」(谷口良忠著)に大分鉄道管理局の8620の状況が記載されている。以下記事の抜粋。「豊後森の7輛は久大本線由布院以東の客貨列車に、大分の4輛は日豊本線幸崎までの客貨列車(535~580)及び久大本線由布院までの通勤列車(632~615)と大分の入換に、南延岡の3輛は細島線の客貨列車及び南延岡の入換に…」とあり、手持ちの時刻表と列車番号を照合すると合致し、久大本線上り最終と下り朝3番逆向が8620運用であったこと、また幸崎運用はこの時から8620で連綿と続いていたこと、さらに細島線の客車列車が健在であったことが確認できた。 58689〔大〕 大分運転所 S45(1970)/9

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 古い配置表で58689を探すと昭和19年豊後森でその機番を見つけることができた。以後昭和43年3月まではずっと豊後森配置であった。大分運転所へ移動したのはその後で昭和44年3月の配置表で初めて大分にその機番が現れる。昭和43年3月以降に38630が廃車されているので、その補充ではないかと思われる。以降58652と78684とともに3輛体制で大分構内の入換に使われた。また58689だけは本線に出て、西大分・下郡(信)・幸崎の小運転に活躍した。 S47(1972)/2/20

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 正面を見る。フロントデッキはブレーキホースだけですっきりしている。蒸気暖房管も見える。片側の解放テコや排障器の支えのライン、不規則なリベット等年代を感じる。リンゲルマン濃度計は煙突に付いていた。 S45(1970)/9

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 背面を見る。テンダの縁取りで輪郭が際立つバックビューは配電管や排水管、手すりや梯子、ステップが整然と配置されている。ナンバープレートは形式入のローマン書体が付いていた。 S47(1972)/2/11

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 転車台から放射状に延びる留置線で救援車オエ7032〔分オイ〕と並んだ58689〔大〕。ハチロクの汽笛は「ピョーッ」という頼りない音で、D60やC58の「ボォーッ」という地響きを感じる音とは対照的であった。デフの影からちらりと見える汽笛は「ピョーッ」の三音階汽笛でD60やC58の「ボォーッ」は五室汽笛というらしい。 S44(1969)/5

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 まるで本線貨物の出発のような構図。長い編成を引き出しては押込む地道な作業を繰り返す。78684は頭を上り向きに構えていたのに対し、58652と58689は下り向きにして使われていた。 S44(1969)/9

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 58689は規則正しいコンプレッサーの排気音を鳴らしながら広い構内を行ったり来たりしていた。豊肥本線久大本線の間に位置する信号扱い所が進路の案内をしていたのであろう。 S45(1970)/6

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 大分駅南口跨線橋の下で気忙しく走りまわる58689が後方から突然現れたのに慌てて反応する。線路群は客貨車留置と洗浄線、気動車検修線が広がり、信号所をはさんで機関車通路線が構内を貫通している。奥に電気機関車仕業庫が見える。 S44(1969)/3/15

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 58689は「特休車」の札がかけられ、役目を終えたC58達と扇形庫で背を向けて並んでいた。大分に最後まで残ったハチロクは58689であった。その後解体はまぬがれ大野郡三重町で保存された。 S47(1972)/6/11