今回も思い入れのある路線のひとつ、加古川線の車輌を投稿しようと思います。
一番古い記憶は、祖父と母親とともに加古川駅から加古川線の途中駅まで乗車した思い出があり、たしか昭和56年(1981年)前後くらいまで遡ると思います。
まだその頃の加古川駅では、今は亡き高砂行きも出ていた時代ですね。
キハユニっぽい車輌に乗ったことがあるような気もするのですが、そうなると昭和55年(1980年)くらいになるので記憶が微妙なところ、定かでは無い感じになってしまいますね…
ただ、キハ35系だけはよく覚えていて、外吊り式の扉が非常に印象的でしたので記憶に焼きついています。
小学生になってからは、叔父に手動巻上式の銀塩カメラを借りて鍛冶屋やら谷川やら北条町によく行ったものです。
※今も昔も、下手糞な写真ばかりですが…ついでに車輌の写真がほとんど無い…
JRに切り替わったくらいの頃だったと思いますが、首都圏色だったディーゼルカーも緑に白帯の加古川線色に塗り替えられ加古川線、鍛冶屋線を走行していました。
そんな、キハ30形 加古川線色の走行を懐かしもうと、以前購入したものがこちらになります。
■MODEMO NK511 通勤形気動車 キハ30”加古川線色”2輌セット
首都圏色時代もよく覚えていますが、こちらも結構印象深いですね。非常に懐かしいです。
そんな加古川線系統の路線も時代と共に、高砂線が廃止され、三木線、北条線が三セクになり、JRに変わり鍛冶屋線が廃止になり、加古川線が電化し、三セク化した三木鉄道が廃止になりと、相対的に悲哀の満ちた状況となってしまいましたが、コレを見ながら亡き鍛冶屋線を思い出しつつ耽る事にします…
今回はこの辺で。