上野-青森間に運転されていた寝台特急「あけぼの」の歴史を昔の時刻表で振り返ってみる。
今回は国鉄時代の「あけぼの」をまとめた。

「あけぼの」と聞いて、私の記憶に残っているのは1980年頃(昭和50年代半ば)からの「あけぼの」である。
EF65に丸いヘッドマークを付けた写真を子供向けの百科事典で見たのが始まりで、実際に「あけぼの」を見たのは1985年1月、上野駅の地平ホームだった。上野駅を発着する特急列車を撮影したいと思い、同級生と一緒に上野駅へ行った。当時、上野駅にはカメラを持った鉄道少年がたくさん集まり、その群れの中に私も混じっていた。

「あけぼの」が寝台特急として運転を始めたのは1970年7月。当初は臨時列車として20系客車で上野-秋田間を結んだ。同年10月から定期列車となり、運転区間も現在と同じく上野-青森間となった。
「あけぼの」という愛称は、1962年に仙台-青森間を東北、北上、奥羽線経由で結ぶ昼行気動車急行として登場したのが始まり。この記事を書くため昔の時刻表を調べるまで知らなかった。
 


 

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交通公社の時刻表、1964年9月号復刻版、東北本線下り。
確かに、仙台発13時50分、急行「あけぼの」青森行きが掲載されている。
 

 

 

 

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同時刻表の横黒(おうこく)線に、急行「あけぼの」が掲載されている。 
同線内は陸中川尻(現ほっとゆだ)のみ停車。
ちなみに横黒線とは現在の北上線の旧称で、横手の「横」、黒沢尻(現北上)の「黒」が由来。1966年、北上線に改称された
 

 

 

 

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同時刻表 奥羽本線上り。
急行「あけぼの」は秋田-青森間を急行「しらゆき」と併結運転していた。
「しらゆき」と聞くと、現在の上越妙高-新潟間の特急列車を思い浮かべる人が多いと思うが、国鉄時代には主に金沢-青森間の気動車急行として運転されていた。他にも、気動車特急「白鳥」大阪行き、青森発上野行き普通列車など、今では想像もつかないような列車があちこちに走っている。
 

 

 

 

 

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同時刻表 急行「あけぼの」の編成表。
車両形式は不明だが、気動車6両と表示されている。
 

 

 

 

 

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次は交通公社の時刻表、1980年8月号、奥羽本線下り。
寝台特急「あけぼの」が登場して10年後。
この当時の「あけぼの」は上野-青森1往復と上野-秋田1往復。
また繁忙期は座席車のみの「あけぼの51号、52号」も運転されていた。
「あけぼの」と同区間に急行「津軽」も運転されている。
 

 

 

 

 

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同時刻表、1980年8月号の列車編成表。
「あけぼの」は12両編成、そのうち2両はA寝台。
B寝台の表示が星一つは、客車3段式寝台を示す。ということはこの当時まだ20系客車だったと思われる。
 

 

 

 

 

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次は交通公社の時刻表、1986年7月号、東北本線下り。
国鉄がJRになる前年の時刻。 
この当時上野-青森2往復、上野-秋田1往復、定期列車3往復体制で、「あけぼの」がもっとも勢力を拡大した時期といえる。
一方で急行「津軽」は寝台がなくなり座席のみとなっている。
 

 

 

 

 

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交通公社の時刻表、1986年7月号の列車編成表。
「あけぼの」は11両編成、そのうち1両はA寝台。
B寝台の表示はすべて星三つ。つまり、客車2段式の24系客車に置き換えられたことがわかる。
 
以上、国鉄時代の「あけぼの」の変遷を見てきた。

次回は国鉄がJRになり、山形、秋田両新幹線の改軌工事の影響で「あけぼの」がルート変更し、今に至るまでを振り返ってみる。