皆様、ご心配をおかけいたしました。
今月5日に「無期限更新停止宣言」をして、しばらくお休みしておりましたが、今回の記事のアップをもって復活いたします。
実を言うと、管理人が鉄道趣味の一切に対して興味を失っていたのは、「燃え尽き症候群」などではなく、鬱病の初期段階であるということです(定期健診の際に医者に言われた)。また最近は心身とも目立って不調に陥ってしまったため、その原因たる職場環境を変えようと決断、それまでお世話になっていた仕事場を、今月いっぱいで退職することになりました。現在は有休消化中です。
そして復活に当たっては、やはり地元の東急ネタから行こうと、長津田見聞録を持ってまいりました。本日は皆様ご存じのとおりド平日ですが、ド平日の視察が可能となったのは、上記のような事情があるからでして。
昼の3時というのに、早くも夕刻の雰囲気が漂っております。そのような雰囲気の中、「谷底」を覗いてみます。
5000系編成が在線(車号不詳)
「谷底」のあとは、陸橋から検車区全体を俯瞰。
既に8500系は8630、31、37の3編成のみになってしまいましたが、その3編成とも留置中だったのは、管理人にとってはちょっとした衝撃でした。とはいえ、残り3編成では、8500系抜きでも運用を回すことができるのは、むしろ当たり前なのでしょうけど。
8500系3編成全部が写っているのがおわかりいただけただろうか?
この2編成は8630Fと8631Fですが、周囲が5000系と2020系に固められた今、かなり肩身が狭そうに見えます。かつてステンレスカーに囲まれた戦前型や「青ガエル」みたいな。
これだけしかいなくなった
洗浄線の方にカメラを移すと、奥に9020系(元2000系)がいるのがわかります。
写真でわかるかな?
「鳥小屋」から、9122を望んで1枚。
2000系もまさか大井町線用になろうとは
2000系は来年で登場30周年ですが、まさか編成を短縮されて大井町線用となり、9020系と名を改めるようになるとは、登場当時は夢にも思いませんでした。やはり18年前の半蔵門線押上開業と東武線への直通開始が、彼らの運命を大きく変えてしまったことは否めません。
突端からの眺め。8500系編成が2本並んでいますが、手前が8631F、奥が8630Fです。
非軽量車の編成は8630Fのみになった
8500系のうち、8631F以降の「ハイナンバー編成」は、編成全てが軽量車で揃えられているため、編成美が保たれているものですが、8630F以前の編成は増結や編成替えを繰り返したため、それこそ編成によって軽量車と非軽量車の比率が異なっていました。ちなみに、8500系には、10両全車が非軽量車で揃えられた編成はありません。
せっかく2編成並んでいるので、ツーショットを切り取ってみました。
屋根肩部のRが違うのがわかるかな?
左の8531が軽量車ですが、こうしてみると表情の違いが見て取れるような。
そして検車区内には相変わらず、3000系の増結用中間車がいました。今回は車号が明らかに(ネット上では既に割れているが)。
やはり5000系列の構体
この構体にこの帯色、違和感を感じざるを得ません。
そして車号は…。
3513
5号車で3513ということは、恐らくこれらを組み込んだ後に改番を行うのでしょう。
【現行】
←目黒・浦和美園・西高島平 3000(Tc2)-3250(M2)-3200(M1)-3500(T)-3400(M)-3100(Tc1) 日吉・新横浜(海老名・湘南台)→
【増結後】
←目黒・浦和美園・西高島平 3100(Tc2)-3200(M2)-3300(M1)-3400-3500-3600(T)-3700(M)-3800(Tc1) 日吉・新横浜(海老名・湘南台)→
となるのかな。5000系列に倣えば、目黒方の先頭車が100番代になるはずなので。
そういえばこんなのもいました。東横線用の4104F(左)と5050系編成(車号失念)。
運転台の窓に貼り紙がある
この張り紙に何が書かれているのかは分かりませんでした(´・ω・`)
東横線用の5050系にも相鉄乗入れ対応改造を施した編成がぽつぽつ出現しているので、実現近し! をうかがわせます。それにしては、運転系統に関する話が全く伝わってきませんが…。
これだけ見回して撤収。長津田駅からこどもの国線に乗り、恩田へ回ります。