NO.2585 ふたつ星4047に変わる事から運行終了が発表された、はやとの風平成22年乗車記録 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 11月26日、JR九州の新たな観光列車であります、「ふたつ星4047」のイメージ図が発表されました。

 

 この「ふたつ星4047」とは、九州新幹線西九州ルート(「西九州新幹線」)の武雄温泉~長崎間開通を機に導入されます観光列車(D&S列車)でありまして、往路・武雄温泉→早岐→新大村→諫早→(旧線)→長崎間、復路・長崎→(旧線)→諫早→肥前鹿島→江北(←肥前山口)→武雄温泉間の「ふたつのルート」を運行するものでありまして、佐世保線を通りまして、往路は大村線経由、復路は「有明線(諫早→江北間)」経由で運行される事になっております。

 

 この「ふたつ星4047」には、上の画像にもありますように、キハ40系気動車が3両専用車両として使用されますが、このうち1両が現在寸断中の肥薩線の観光列車「いさぶろう・しんぺい(現在は博多~門司港間で運行)」として使用されております、熊本車両センターに現在は所属しておりますキハ140-2125が使用される事になっております。

 

 (平成29年撮影)

 

 (平成19年撮影)

 

 

 一方、他の2両が現在は臨時列車化されております鹿児島中央~吉松間の「はやとの風」として使用されております、鹿児島車両センター所属のキハ147-1045+キハ47-8092が使用される事になっておりまして、この3両が「ふたつ星4047」として新たな姿に生まれ変わりまして、恐らくは佐世保車両センターに配置される事にもなるようであります。

 

 (キハ147-1045)

 

 (キハ47-8092)

 

 それに伴いまして、キハ140-2125にとりましては新製配置されました前身の旧早岐機関区に配置されて以来、実に38年ぶりに佐世保の地に戻る事にもなりまして、生まれ育ちました長崎~佐賀地区で最後の活躍を行う事にもなるようであります。

 

 

 その一方、「はやとの風」に使用されております2両の転用に伴いまして、「はやとの風」は運行を終了する事になります。先述のように、現在は臨時列車となっておりまして、「新型コロナウイルス」によりまして長期運休を余儀なくされている列車でありますが、それでも10月には「かわせみ やませみ」・「いさぶろう・しんぺい」と連結しての臨時列車が長崎線・佐世保線・大村線で運行されておりまして、いわゆる前触れな部分が見られていたのが記憶に新しい所ではあります。

 

 

 さて、今回ここからご紹介しますのは、運行終了が発表されました「はやとの風」に関しまして、今から11年前の平成22年に嘉例川→鹿児島中央間で乗車を行っておりました。今回はその時の模様を皆様にご紹介してまいります。

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 「はやとの風」は、平成16年の九州新幹線新八代~鹿児島中央間の部分開通により運行を開始した観光特急列車でありまして、運行区間はこれまでもご紹介しておりますように鹿児島中央~吉松間であります。


 列車の停車駅は・・・

  

 鹿児島中央~鹿児島~隼人~嘉例川~霧島温泉~大隅横川~栗野~吉松 

 

に停車しておりまして、このうちの嘉例川駅・大隅横川駅に関しては、無人駅にもかかわらず、客扱いで停車しておりましたが、この両駅に関しましては、駅舎自体が古い事もありまして、見学を兼ねて数分間停車しておりました。

 

 車両は、当初は現在は「指宿の玉手箱」に転用されております(共通予備車)キハ140-2066と、キハ147-1045の2両編成で運行されておりましたが、利用者が多く見られていた事もありまして、新たにキハ47-8092が改造の上運行されるようになりまして、多客期には以下画像のように3両編成、閑散期はキハ147-1045+キハ47-8092の2両、もしくはいずれかが検査時にキハ140-2066を連結して運行されるようになっておりました。

 

 (キハ140-2066を連結した3両編成時)~平成22年撮影

 

 

 しかし、平成23年の九州新幹線全線開業時にキハ200系気動車で運行されておりました「なのはなDX」に代わる列車であります、キハ47-8060・9079を改造しました「指宿の玉手箱」が運行をスタートしておりましたが、その「指宿の玉手箱」がかなり好調を得ていたため、増結用としてキハ140-2066を「指宿の玉手箱」用に再改造されまして、結果以下画像のような姿に変わりまして、「指宿の玉手箱」ではおなじみであるミストが出るようになる噴霧器も新たに設置されております。

 

 この改造によりまして、キハ140-2066が共通予備車となった事もありまして、画像のように「はやたま」といった姿も見られておりました。本当に、この姿からも「指宿の玉手箱」なのにという印象がありますが、共通予備車となっている事を思いますと致し方ない姿でもありましょうか。それでも、イレギュラーな姿が見られていたのは良かったかとは思っておりますが・・・。

 

 

 以来、様々な姿を見せておりました「はやとの風」でありましたが、利用者の減少によりまして、平成30年のダイヤ改正によりまして臨時列車化、さらに令和2年には「新型コロナウイルス」によりまして運休、そしてこの3月改正には時刻表にも記載されなくなっておりました。それでも、先述のように10月には「かわせみ やませみ」・「いさぶろう・しんぺい」と連結しての臨時列車が運行されてもいまして、元気な姿は見られていたようであります。

 

 

 さて、ここからが今から11年前の平成23年に利用しました際の模様をご紹介してまいりますが、この時は肥薩線の古い駅舎でもあります嘉例川駅からのスタートでもありました。

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 この嘉例川駅は、明治36年(1903年)の旧鹿児島線(官営)が吉松~隼人間で開通した際に新設された駅でありまして、昭和2年に海側ルート(八代~水俣~川内~西鹿児島(八代~川内間は現在は肥薩おれんじ鉄道、西鹿児島は現在は鹿児島中央))が開通しましてからは肥薩線の駅として現在に至っております。


 この駅は、駅舎自体が明治36年に建てられた駅舎でありまして、それを表すように建物財産票などにも明治36年と書かれております。また、国指定の登録有形文化財にも指定されておりまして、撮影当時は連日多くの観光客が訪問しましたり、「はやとの風」も乗下車以外にも見学のためとしても停車しておりました。また、昭和天皇も大正時代の皇太子時代にこの駅に下車しまして、近くにあります「高屋山上陵」に参拝された事もあった駅でもありました。
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 (手書きで書かれた107歳の嘉例川駅に関しました文)

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 ホームは、片側1面ホームとなっておりますが、以前は対面式の片側2面式のホームとなっておりました。そのため、反対側にホーム跡が残されています。しかし、見ていてわかりますが昔のホームの高さは低かった事がわかります。それが現在使用されているホームでも、両端側がかさ上げておりませんので、尚の事わかる所でもあります。
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 駅内は待合室と旧駅事務室と2面になっております。待合室には、画像にありませんが古いベンチが設置してありますし(観光客の方が多くいらっしゃってたのでこの部分は撮影できませんでした。)、画像のかつての乗車券販売カウンターには、パンフレットやスタンプなどが置いてありました。
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 旧駅事務室は、訪問時はギャラリーとして開放されておりましたが、現在も使用される時があるようです。この時には、嘉例川駅や周辺の温泉などの写真が展示してあったり、記念切符も展示してありました。
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 また、タブレット閉塞機も置かれていました。これは先述の片側2面式ホーム時代にしようされておりましたが、この閉塞機も、いわゆるその区間への通行券に当たるものですから、当時はこの存在は非常に大きかったと思います。
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 (上部)
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 この撮影時の時刻表です。当時の停車本数は上り16本・下り15本の本数となっておりまして、このうちの各2本は、「はやとの風」となっておりました。しかし、現在は「はやとの風」も運行されておりませんので、下り11本・上り12本のみと大きく本数も減少しておりまして、周辺地域の過疎化も伺わせております。
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 私は、この嘉例川駅から3号に乗車しまして鹿児島中央駅へ目指しました。このうち、3号車(キハ140-2066)が自由席であったため、この車両に乗車しました。

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 (3号車、キハ140-2066)
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 (サボ)
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 そんな「はやとの風」の特徴と言いますと、以下画像のように各車中間部分には展望スペースが設けられている関係で、大きな窓が追加されており、その窓も下から天井近くまで延びております。車内の画像が後述でありますが、光も当たる場合もありまして、より明るさも見せている所でもあります。
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 画像が車内です。車内は、これまでのボックスシートであった所も、回転式のリクライニングシートに変更されていたりと、これまでのキハ40系列の近郊型列車時代の印象はあまり見られなくなっております。また、座席も木材が使用されておりまして、路線的にもうまく合っているのではないでしょうか。それでも、ベンチスペースも車内にありまして、そういった所からかつてロングシートであった頃の印象は残されているようでした。

 

 (キハ47-8092車内)
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 (キハ140-2066車内)
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 (回転式リクライニングシート)

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 (かつてのロングシート時代を偲ぶベンチシート)
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 また、上の画像でご紹介しました展望スペースの車内側です。画像を見てもわかりますが、光が上の窓からもあたっておりまして、明るい姿が見られておりました。
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 ちなみに、以下が近郊型タイプの同型の車内です。上の画像と比べて見ても、車内が全然違うのもわかります。それほど大掛かりな改造であった事もよくわかります。
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 この列車に乗車しますと、車掌さんから画像の乗車券&特急券を購入します。乗車駅の嘉例川駅は無人駅でありますので、乗車券は購入できません。したがって、こうして乗車券を購入しないといけないようになっています。所で、この時の乗車率は若干の空席はあったものの、指定・自由席とも多くの乗客がいらっしゃいまして、この時は接続しておりました「いさぶろう・しんぺい」からの乗り換え客がほとんどであったのではないかとは思いますが、それでもこの列車の人気がある事は間違いなかったようでした。
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 こうして、列車は隼人駅に到着します。この隼人駅では約4分ほど停車します。ここでは半分近い乗客が下車しましたが、反対に隼人駅からも乗客が乗ってきておりまして、そこまで減ったとは思いませんでした。
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 反対側の3番ホームには、霧島神宮行きの「きりしま」が発車する所でした。この時の485系電車は「K&H」色の485系電車でしたが、この翌年姿を消す事になりますので、今となれば貴重な2ショットではなかったかと思います。
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 一方、2番ホームにはキハ47形の肥薩線普通列車が停車しておりました。やはり塗装が白に青ラインの近郊色であるだけに、黒に塗り替えられた「はやとの風」専用車との並びは、同じ形式の車両とは思えないほどの印象でもありますし、「はやとの風」専用車も以前はこの塗装であった事を思うと、だいぶ変わったなと言う印象にも感じさせられておりました。
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 列車は、隼人駅を経ち、日豊線を南へと向かいます。この3号は、時刻表上では隼人→鹿児島中央へはノンストップとなっておりますが、実際は加治木・竜ヶ水各駅に運転停車します。停車時間もそれぞれ3~5分ほど停車しており、それぞれ行き違い列車が存在しておりました。そんな中、列車は重富駅を通過し、竜ヶ水駅に近づきます。その頃にはかすんでいた桜島は詳しく見えるまでになりました。
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 そして竜ヶ水駅に運転停車します。ここでは客室乗務員の方が桜島について案内されておりました。やはり桜島が一望できる事もありまして、乗客の中には撮影場所を変えながら撮影されていた方もいらっしゃいましたし、私も同様に撮影場所を変えながら撮影を行っておりました。
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 それでもさらにいい画像を得るべく、列車は竜ヶ水駅を発車後にこうして桜島を撮影する事ができておりました。やはりこの日は天気がよかった分、いい画像を得られてよかったと思っています。

 

 

 こうして、列車は鹿児島駅に到着します。鹿児島駅は貨物ターミナルも構内に併設するため、側線やさらにED76形電気機関車も見る事ができました。まさに鹿児島駅は貨物の拠点でもあるだけに、広大な駅である事も実感できておりました。
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 そして、約5分ほどで終点の鹿児島中央駅に到着します。これで「はやとの風」の乗車も終了です。乗車時間は1時間2分ほどではありましたが、めったに味わえない乗車であったために、大変満足な乗車であったと思っております。尚、以降は上の画像にありますように撮影は行っておりましたが、乗車までは残念ながら現在まで至っておりませんでした。
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 今回は、運行終了が発表されました「はやとの風」の乗車記録をご紹介しましたが、何と言いましても、この列車は「特急」であります。本当に使用車両がキハ40系列であるために信じられないほどではありますし、運転停車など停車時間が少々長い事もありますが、観光のために運行している事を思えば、この「特急」の存在も大きいのではないかとも思う所でもあるだけに、今回の終了は残念にも思います。やはり、「新型コロナウイルス」に加えまして肥薩線の吉松駅以北が寸断されている事も要因ではありますが、現状を考えますと致し方ない所でもあります。今後、「はやとの風」は「ふたつ星4047」に変わる事になりますが、新天地での活躍に期待したいとも思います。
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