読売新聞『「撮り鉄」とはどんな人たちなのか』(11/6)の記事を読んで思うこと  | 元高校教員のブログ

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定年退職から5年が終わりました。この間1年10ヶ月以外は自由人として旅人生活や地方でのに二拠点生活をしています。

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自分は撮り鉄でなくて、乗り鉄である。

しかし、彼らとは活動がダブることが多い。

基本、撮影スポットに行くことは少ない。

撮り鉄の方はカメラも高価で、三脚やら動画撮影にも熱心な方がいる。

ときにこれが暴走するので、「社会問題」にもなる。

自分はいい歳なので目立たないことに徹している。

人がたくさんいるところには近づかない。

”そこまでしてまでは”ということだ。

 

さて読売新聞の記事は、現実に勤務している撮り鉄現役記者を登場させ、研究者と鉄道写真家のに視点を登場させて記事にしている。

さらに鉄道各社への見解を求めていた。

こういう分析はよいことである。

 

現実に起きた出来事から大学教授、鉄道写真家、新聞記者で撮り鉄がそれぞれの考えを述べている。

 

自分はすべて全面支持する内容ではなかったが、よい取り上げ方であった。

 

わからなかったのは、鉄道写真家の櫻井氏が「鉄道ファンで共有されてきたモラルや伝統が崩れつつある」、というが、前からそう言うものがあったのか理解できなかった。

 

スマホの登場であらゆるところで撮影が楽になった。

女性も昭和の時代はまずいなかった。

みんなが撮影する時代だ。

例えば、岡山でサンライズ瀬戸、出雲の切り離し、連結の撮影の際、多くの人が集まる。

マナーに問題はない。

何度も遭遇するが、マナー違反はない。

また何度も北海道で撮影する機会でも基本ない。

 

車内のゴミや座席の乱れは鉄道マニア系の人にはいなかった。

 

乗客のいるときにあまり目立たない行動に心がけている人がほとんどであった。

 

自分は人が集まるところには極力行かないことにしている。