旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

老体にむち打ち今なお吉備路を走り続ける国鉄形【1】

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 いつも拙筆のブログをお読みいただき、ありがとうございます。

 国鉄の分割民営化から早くも35年が経とうとしています。1987年に分割民営化によって誕生した旅客6社と貨物1社、そして情報システム1社と研究機関1法人は、今日に至るまでそれぞれの特徴を大きく変えてきました。

 例えばJR東日本は、国鉄から継承した時点で新幹線は東北と上越の2線でした。民営化後に秋田、山形、北陸と新幹線網を広げ、さらに東北新幹線は盛岡以北へ延伸させました。在来線の車両も、国鉄形を次々に淘汰していき、より運用コストの軽減を狙った新世代車両へと置き換えました。2021の時点で、JR東日本に残存する国鉄形は、気動車であるキハ40系と、中央本線で運用されている211系、そして一部の通勤路線を走り続ける205系ぐらいになり、これらも置き換えによって消滅するのも時間の問題でしょう。

 JR東海はもっとも早く国鉄形から脱却した会社で、2021年の時点では東海道本線で運用されている211系のみになりました。この211系も、国鉄から継承したのは神領車両区に配置されている4両編成2本の8両のみ。あとは民営化後に自社の運用実態に合わせて仕様を変更したもので、それも名古屋地区では中央本線で使用され、あとは静岡地区で使われているのみです。

 もっとも、JR東海東海道新幹線を中心に据えた経営手法で、在来線はあくまでもこれを補完する「おまけ」のような存在です。そのため、運用コストが高くつく国鉄形はできるだけ早く淘汰し、コストが安価に抑えられる313系を大量に増備。さらには気動車も車体が313系とほぼ共通設計であるキハ25に行き着きました。

 JR東海の経営手法は他の旅客会社にはない特異なのは、その母体が国鉄内部でも特異な存在だった新幹線総局であることと、そもそも東海道新幹線東海道本線以外はほとんどすべてが赤字かそれに近い程度の収益しか上げられないことに起因しており、利益を生みにくい在来線への投資は極限まで減らさなければならないのです。

 一方、同じ本州三社でもJR西日本は、東日本会社と東海会社とは大きく異なります。確かに山陽新幹線を抱えているので、ここで収益を上げやすいかといえば、実際はそうではありません。東海道のように東京ー新大阪間には、途中名古屋と、日本の三大都市を結んでいるので、ビジネス需要も大きくあります。

 しかし、山陽新幹線は新大阪ー博多間を結んでいるので、途中に岡山や広島といった大都市はありますが、その規模は東海道のそれには及びません。また、距離が長い割には利用者数は東海道よりも少なく、さらには安価な高速バスや、早期割引などで運賃を低下させた航空機との熾烈な競争にさらされているため利用が伸び悩んでいるのが実態でしょう。

 また、関西圏という大都市圏は抱えているものの、その規模や収益は首都圏には及びません。東日本会社のように「ドル箱」にはなりえず、当然、会社全体に占める収益率はさほど大きくありません。

 山陽本線も日本の大動脈ではあるものの、旅客輸送も利用は多いとはいえず、加えて都市が点在しその距離も比較的長めであることから、高速バスの方に利用者が流れていってしまう実態があります。そこに追い打ちをかけるように、中国地方には非電化のローカル線を数多く抱えているため、結果的に会社全体でいえば大きな収益を上げられるような経営基盤ではないのです。

 そうした実態から、在来線の車両を更新することは、本州三者の中でもっとも遅れをとりました。そのため、国鉄から継承した車両を、更新工事を施すなどリニューアルしたり、あるいは応急的な修繕をし続けることでなんとか使用に耐えうるようにしたりし続けながら、21世紀に入っても国鉄形の牙城となったといえるのです。

 それは、もっとも収益を上げやすいと考えられる関西圏でもそうでした。東海道山陽線は早い段階で新形に置き換えられました。221系や223系、さらには225系へと進化させ、高速運転を実現させました。もっとも、国鉄から継承した113系では、西日本会社が計画した新快速の高速化は難しく、加えて京都ー大阪ー神戸の京阪神間は、国鉄時代から並行する私鉄と熾烈な乗客の奪い合いを繰り広げてきた歴史があり、新会社へ移行したことを契機に利用者を奪い返すため、ここに新型車両を重点的に配置したのでした。

 

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JR西日本は本州三社の中で、最も多くの国鉄形車両を長く運用し続けている。山陽新幹線は航空機や高速バスといった、他の交通機関との競争に晒されていることや、東海道新幹線のように沿線には過密都市がなく、ビジネス需要も低いために利用者数も思うように伸び悩みがちである。このことは、10年程度で車両を交換しなければならない新幹線固有の課題があることや、関西圏の一部と山陽本線以外はその多くがローカル線であることも、JR西日本の経営基盤が脆弱にする要因の一つといえよう。一方で京阪神間は国鉄時代からへ移行する私鉄との過酷な競争を強いられていることから、利用者へのイメージアップや接客サービスの向上を目指し、初の近郊形電車である221系を投入した。もっとも、すべての近郊形電車を221系で置き換えることは不可能であり、結局は、より運用コストを適正にするために、ステンレス車体を持つ223系が製造されて配置になると、221系京阪神間から撤退して、周辺の路線へ転用されていき、京阪神間だけでなく関西圏のサービス改善の役を担った。
(クモハ221-16 京都駅 2021年8月6日 筆者撮影)

 

 その新型車が配置されたことによって押し出された113系などは、当然、ほかの線区へ転出していきます。山陽本線京阪神を押し出された113系たちにとっては格好の移住先であり、山陽本線で老体に鞭打って走り続けていて113系115系の初期車を置き換えていきました。

 もっとも、利用者から見れば取り立てて新車に替わったという印象はなく、ちょっとだけきれいになったかもしれない、といった程度でしょう。見た目も車内もさほど変化はないので、それはそれで仕方ありません。しかし、検修側からすれば中古車でも、経年劣化の激しい初期車と比べればマシな方で、故障する頻度もある程度は抑えられるようになったと考えられます。

 2000年代に入っても、こうした状況は変わることなく続きました。京阪神には221系から223系へと変わりましたが、221系山陽本線へ転出することはなく、代わりに奈良線関西本線福知山線など、関西圏の周辺へ配置転換されていきます。これらの線区では103系が走り続けていましたが、こちらの方の老朽化も問題になっていました。また、関西圏は大都市圏であると同時に、寺社仏閣など観光地が点在する地域でもあるので、この頃より増加していた観光客、とりわけインバウンドと呼ばれる外国人観光客へのサービス向上が優先されたのです。

 

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伯備線を走り終えて、倉敷駅場内へ進入する115系は、塗装工程の簡略化と塗料に抱えるコストを削減したため、山陽本線などを走る車両は黄色一色へと出で立ちへと替えられるなど、国鉄時代に気動車に施された塗装の合理化とほぼ同一の手法を採るという皮肉なものだった。それ故に黄色一色になぞらえて「末期色」と揶揄されることもあり、前面のスタイルからも一色塗りというのはあまり似合わないと筆者は感じている。(クハ111-2014×4連(岡オカ B-13) 倉敷駅 2017年5月27日 筆者撮影)

 

次回へつづく

 

 

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