昨日に続き、私「三好 鉄道」が先月末(10月30日~31日)に実行した「愛知・静岡一人旅」に関する小ネタ話として、今日は先月31日に乗車した
「東海交通事業城北線」
の話を書きます。
「城北線」とは勝川駅から名古屋市北部を通って枇杷島駅との間を走る路線ですが、開業当初から
「全線非電化・複線高架」
であって、使用している列車は
「ディーゼル気動車(キハ11形300番台)1両のみ」
で、しかも日中は
「1時間に1本の運転」
という、まさに
「都会の中のローカル線」
なので、おそらく大半の名古屋市民は「城北線」のことはあまり知らないのではないかと思っているのです。
では何故、名古屋市北部に「城北線」を開通させたかと言いますと、今から59年前の1962年(昭和37年)に当時の国鉄が
「中央本線と東海道本線とのバイパス路線」
として構想されたことが始まりで、当初は
「貨物列車」
だけを走らせる予定でした。
やがて1976年(昭和51年)に工事が始まったものの、トラック輸送の発達などで鉄道貨物輸送が衰退したため、やむを得ず旅客列車を走らせることにしたのですが、国鉄が分割民営化された1987年(昭和62年)4月時点では、路盤工事の9割近くが完了し、完成後はJR東海が運営する予定でした。
しかし、ここで大きな問題が取りざたされたのが、鉄道公団(現:鉄道施設・運輸施設整備支援機構)に支払う
「賃借料」
でありまして、その金額は年間で数十億円とも言われており、JR東海としては採算を取りながら運営するのは困難でした。
その莫大な賃借料のせいでJR東海は当初の電化計画を断念して
「全線非電化」
にするなど、建設計画を見直した上で、列車の運営をJR東海100%出資の子会社である
「東海交通事業」
に任せ、賃借料の返済はJR東海が肩代わりすることを決めた後、1991年(平成3年)12月1日に勝川駅~尾張星の宮駅間が開通し、2年後の1993年(平成5年)3月18日には尾張星の宮駅~枇杷島駅間が開通して現在に至っているのですが、
今でも勝川駅はJR中央本線の駅とは500mほど離れていて、しかも
「仮駅」
だそうですが、これも莫大な賃借料のせいで工事を簡略化したのかもしれませんね。
ただ、2032年度(令和14年度)に賃借料が完済する予定なので、そうなると「城北線」も様変わりするかもしれないので私としては非常に期待しています。
(おわり)
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