稲沢に残されているJR貨物DD51と、その朧げな現役の頃の記録と記憶 | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

10月17日の話。

JR岐阜駅前の名鉄モ513に再会しに行く途中のこと。

JR岐阜駅に向けて何の気無しに東海道線特別快速に乗って、稲沢駅に差し掛かるところでJR貨物の

愛知機関区の構内を眺めていたら、あることに気がついた。


DD51、まだいるじゃん!

愛知のDD51は、今年3月のダイヤ改正でDF200に置き換えられて完全引退した。

これをもって、JR貨物のみならず全国のDD51の定期運用が消滅する一大転換期となった。

とっくに廃車解体されたとばかり思っていたら、まだ残っていたんだ!


…それに気づいて予定を一部変更し、モ513と再会してから一旦稲沢に戻ることに。

確かに最終目的地は愛知県稲沢市ではあったが、実際の最寄駅は名鉄名古屋本線国府宮駅だったし

感覚的には名古屋方面に戻るという感覚で稲沢駅に足を運んだ。

朝早くに向かっていたおかげで、イベントの時間までにもまだ余裕があったのが幸いだった。


いたいた!


それも、さっき車内から見た1両だけではなかった。


EF64やDE10に囲まれて、その特徴的な巨体は長い務めを終え静かに眠りについていた。


825号機。

3月の引退時には、愛知機関区所属機では最若番だったようだ。

ちなみに背後にも2両いるようだが、車番は確認できず。


後に調べてみると、最後まで残った6両は構内に散り散りながらもまだ残されているようだ。

何か新たな活用案でもあるのだろうか?

※実際、11月3日には地域清掃イベントの一環として1801号機が記念撮影用に展示されたらしい


ホームから見える位置には、DE10も3両まとめて留置…

既にDD51もDE10も全般検査・重要部検査は終了しており、このまま廃車となるのだろう。


愛知機関区構内では機関車の解体も行われるから、いつ消えてもおかしくはない。

後刻稲沢市民会館のイベントでヘッドマークや解体部品も見たけど、そこにあるものはあるうちに

(しかもまだ静かなうちに)しっかり撮っておきたいもの。

それがなによりも世の常だからである。


構内ではここでもHD300が入換…

すっかり八王子や新座で見慣れた形式になったが、着実に勢力を広げているようである。


さて、愛知のDD51、引退前に撮っていたかな…?と思って探してみたが。

残念ながら、走っている場面のカットは見つけられなかった。

名古屋駅で走っていくところを見かけた記憶はうっすらだがあるので、あまりに出会いが急過ぎて

写真を撮れなかったのではないか、というのが真実だろうか。

 

そのかわり、大宮車両所に検査入場している写真はいくつか見つかった。

いずれも、恒例の一般公開の折に撮影したもの。

愛知機関区のDD51は、貨物列車などに併結されて長駆大宮に入出場していたのだ。

 

2009年5月23日

一時期しか見られなかった「青更新」塗装。

台車もエンジンも外されてもぬけの殻状態だったが、この頃は間違いなく生きていたのだ。


この年のクレーン実演には、800番台のラストナンバー1805号機が充てられていた。

以降も愛知機関区で活躍したが、2018年6月に廃車解体された。


現在はプレート類が保管されており、こうして今回のイベントでも展示されていて…

まだこうして生きた証を残していてくれているだけ、ありがたいと思いたい。


2015年5月29日


そして、その愛知機関区のDD51の最終全検は、2015年6月の1801号機となった。

この時はその出場を前に、一般公開時に特別ヘッドマークを掲げて記念展示が行われていた。


おや?こちらの方は…w

そういやこんなこともありましたねぇ。


ちなみにDD51といえば、東日本界隈のものが少ないながらもちらほら記録がある。

25年前に高尾臨を撮ったものが一番トピックだが、その他にも八高線の貨物列車とか極少数手元に

あるようなので、それはまた機会を見て整理して出してみようかな。


定期運用は無いながらも、残るDD51はJR東日本に2両、JR西日本に8両。

撮影を巡って終始穏やかとは、もはやいかないのかもしれないが…

かつての不遇を考えると不思議ではあるが、可能な線で記録できれば御の字である。