長岡鉄道 槇原から 東京都區内ゆき | 菅沼天虎の紙屑談義

菅沼天虎の紙屑談義

交通機関を利用する為の切符・・・一般の方々にとっては使い終わってしまえばタダの紙屑で、最後は係員に渡して終わりになるモノです。
そんな紙屑に夢中になってしまった大馬鹿モノの戯言にお付き合い下されば幸いです。

昭和31年2月に長岡鉄道(当時)槇原駅で発行されました、「槇原から 東京都區内ゆき」の国鉄線連絡乗車券です。

 

 


JPR/してつ赤地紋券となります。

 

地紋から、拙ブログの2021年11月5日のエントリ「JPR/してつ地紋」でご紹介いたしました、「中澤印刷株式会社」で調製された券と見受けられ、「東京都区内」の「區」には旧字体の活字が用いられています。

 

「長岡鉄道」は「越後交通」の前身会社の1つで、この券が発行された約4年半余り後の昭和35年10月1日に、「栃尾電鉄」、「中越自動車」と合併して「越後交通長岡線」となっています。

 

「越後交通長岡線」は、拙ブログの2021年8月3日のエントリ「(越後交通) ○新 大河津から 東京都区内ゆき」で申しましたように、国鉄線との接続駅は信越本線来迎寺駅、越後線大河津駅、西長岡から自動車線を介して信越本線長岡駅の3駅が接続駅となっておりましたが、この乗車券の経由は「長岡・渋川経由」となりますので、西長岡から自動車線を介した信越本線長岡駅接続の券と考えられます。