第1447回('21) 近鉄山田線と参宮線を乗り鉄・降り鉄。 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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前回の続き…
 
2021年8月7日~8月10日、前年に続きコロナ禍ということで、この年もお盆休みは極端な遠出を避けて近畿地方内、主に和歌山県と三重県を目的地として乗り鉄・降り鉄の旅行に出かけました。もちろん新型コロナウイルスの感染対策を徹底いたしました。3日目を除き、『青春18きっぷ』を利用しました。
紀勢本線を中心に未訪問駅を降り鉄していきましたが、途中、参宮線や近鉄山田線にも手を出しました。台風の影響も多少ありましたが、概ね晴天でした。帰宅した後は1週間ほど雨が続いたので、早いうちに出かけておいて良かったですw 
 
今回は3日目後半の内容です。
午後は近鉄山田線の一部駅を降り鉄してから、今度は参宮線の山田上口駅以東の全駅を降り鉄しました。朝は台風9号の影響が出ていましたが、午後になっても台風の影響が残っており、予定変更を余儀なくされました。この日は伊勢市駅前で宿泊しました。
 
今回の日程 2021年8月10日  (月・祝)   【後半】   
 
明野1330(普通)1332小俣1355(普通)1357宮町1420(徒歩)1430山田上口1453(参宮線)1456伊勢市1550(普通)1605松下1636(上り普通)1643五十鈴ケ丘1717(下り快速みえ15号)1720二見浦1745(普通)1755鳥羽1820(近鉄鳥羽線→山田線)1837伊勢市   
 
【宿泊】      
 
明野駅からは13時30分発の近鉄山田線下り普通・鳥羽行きに乗車しました。車両は1259系1265F2連で、乗り込んだ後部車両は大半の席が埋まっていましたが私は空席に座り、道中は田園風景が広がる車窓風景を眺めました。そして私はすぐに到着した次駅の小俣駅で下車しました。伊勢市になる前の旧・小俣町の町名を名乗る駅ですが、同じ旧・小俣町域にある明野駅とは違い明らかに小駅で、しかも無人駅でした。駅前は住宅地で、商店は見られませんでした。
 
 

 

 
小俣駅では13時55分発の普通・賢島行きに乗車。1440系1437F2連で、後部車両は空いていたため着席し、水分補給をしながら全日本大学駅伝の最終区のポイントとしても有名な宮川などを眺めていました。そして住宅密集地に入ると電車は宮町駅に到着し、私は下車しました。隣の伊勢市駅が拡張できないため、賢島方面からの折り返し駅として宮町駅が2面3線になっていた時期がありましたが(ある程度の年齢以上の地元の方や近鉄ファンの方には、「宮町行き」列車の存在をご存知の方もいらっしゃると思います)、今は2面2線に戻りました。但し、旧3番線の遺構は残っています。準主要駅で構内がある程度広いですが、実際は無人駅で優等列車は全く停車しません。立派な西口駅舎に往時の面影を残しています。
駅を観察後は『ICOCA』を簡易改札機にタッチして出場し、駅前を軽く散策しました。宮町駅は旧・御薗村(現・伊勢市)にある駅ですが、「村」だったとは思えないほど住宅が密集していて、宮町駅周辺の住宅街は伊勢市の市街地と一体化していました。また、西側には横浜ゴム三重工場があり、この工場の存在が近年まで旧・御薗村が存続できた大きな要因だったと思われます。
 
 

 

台風の影響で駅前に駐輪している自転車が倒れていました。
 
宮町駅を下車後は一旦近鉄の乗り鉄・降り鉄を中断し、徒歩でJR参宮線の山田上口駅へ向かいます。参宮線の踏切を渡ってから市街地を西へ進むと10分ほどで山田上口駅に着きました。風格ある木造駅舎は2018年に使用停止となり、JR東海でよく見られる待合室と一体になった簡易駅舎へと改築されていました。広い駅前広場は一部が地元のごみ収集場として利用されていました。また、現在は1面1線の棒線駅ですが、かつては2面2線でした。使用停止になった駅舎と反対側のホームは残っていましたが、レールと跨線橋は撤去されていました。
 
 

 

 
少し休憩していると多気方(西側)から14時53分発の普通・鳥羽行きがやって来ました。車両は三重地区ではおなじみのオールロングシート車・キハ25形2連で、整理券を受け取って車内に入りました。車内はガラガラで、私は先頭車両で着席しました。道中は景色を眺めていましたが、ワンマン列車の運転士による「台風の影響により伊勢市で運転を打ち切る」旨の放送があり、焦りました。この日は台風9号の影響で朝からダイヤが乱れていて、乗車列車はダイヤ通りでしたが、まだ尾を引いていたようです…。このまま松下駅まで行く予定だったのですが、急遽予定変更を余儀なくされました。そして考える間もなく列車は伊勢市駅に到着し、車外へ出ました。
 
 

 
松下駅へ行くには1本後の鳥羽行き列車まで待たねばならないのですが、この時間を利用して私は当初予定していなかった伊勢市駅を観察・撮影する事にしました。最初にホームを撮影しました。そして改札を出る際、駅員に次の鳥羽行き列車が運転される事を確認してから、山田上口駅で受け取った整理券を提出して精算、一旦外へ出ました。その後はJR側の南口駅舎と駅前を撮影後、駅西側の踏切を通って近鉄側の北口駅舎と駅前を撮影しました。
 
 

 
撮影後は北口から入場しようとしましたが、北口には近鉄の自動券売機しかありません。「なんで無いの?」と思い駅員に尋ねると、乗車駅証明書を渡されました。どうやら北口からJRに乗る場合は無人駅扱いのようです。一方、南口には近鉄の自動券売機どころか特急券発売窓口まであり、近鉄の設備の方が充実しています。伊勢市駅の利用客が近鉄に偏っている事を、身をもって感じました。入場後は長い跨線橋を渡ってJRホームへと戻り、既に入線していた15時50分発の普通・鳥羽行きに乗車しました。キハ25形2連で、車内は超ガラガラでした。私は2両目に乗り込みましたが、他に客はいませんでしたw この状況ですと伊勢市~鳥羽が運休になっても影響は少ないなぁと思いますね……。ちなみに伊勢市~鳥羽のデータイムは普通列車と快速『みえ』が毎時1本ずつ運行されていて、『みえ』につきましては多くはないものの、それなりの利用者がいます。ただ、私は松下駅を降り鉄したかったため、通過してしまう『みえ』に乗れなかったという事で1時間待ちました。
鳥羽行き列車の道中は車窓風景を眺めました。途中、五十鈴川を渡った際は、離れた位置に廃止された三重交通神都線の橋脚を確認できました。そして夫婦岩で有名な二見浦駅を過ぎると急に山がちになり、トンネルを抜けてしばらくローカル風景の中を走ると目的地の松下駅に到着しました。私は近鉄の伊勢市駅で渡された証明書と運賃を投入して下車しました。松下駅は山あいの田園地帯にある1面1線の小駅で、当然無人駅です。盛土上に駅があり、ホームからは南側の山間部にかけて広がる松下の集落が見えました。秘境駅ではないものの、どこか秘境ムードが漂う駅でした。
 
 

 

 
松下駅からは伊勢市方面へ戻り、駅訪問者の常とう手段であるジグザグ降り鉄をしていきます。乗車したのは16時31分発の上り普通・松阪行きでしたが、台風の影響による遅れを引きずっており、列車が来たのは5分遅れでした。車両はキハ25形2連で、先ほどの鳥羽行き929Cの折り返しでした。車内は空いていて、私は先頭車両で着席しました。道中は先程と反対側の車窓風景を眺めました。二見浦駅では地元客や観光客が乗り込んで、半分ほどの席が埋まりました。そして私はもう1駅先の五十鈴ケ丘駅で下車しました(到着も5分遅れ)。下車客は私だけでした。田園地帯にある1面1線の無人駅で、こちらも駅舎がありませんでした。南側の丘に三重県立宇治山田商業高等学校がありますが、この丘が「五十鈴ヶ丘」なのでしょうか? また、近鉄の五十鈴川駅は丘の反対側にあり、五十鈴ヶ丘駅とは3km少々離れています。駅前を軽く散策後は古びたホームのベンチで休憩しました。
 
 

 
五十鈴ケ丘駅では17時16分発の下り快速『みえ15号』に乗車して二見浦駅を目指します。1分遅れで列車がやって来ました。夕方の快速『みえ』は伊勢市~鳥羽の各駅に停車します。車両は転換クロスシート主体のキハ75形2連でした。ロングシートのキハ25形ばかりに乗ってきたので、やたらと豪華な感じがしましたw 車内は空いていたため2両目の転換クロスシート窓側席で着席しました。道中はこの日3度目となる同じ区間の車窓風景を楽しみましたが、車掌がやって来ないまま列車は次駅の二見浦駅に1分遅れのまま到着し、下車時に車掌に整理券と運賃(現金)を渡しました。1区間だけの乗車ですが、車掌は五十鈴ヶ丘駅から乗車した私の顔と格好を覚えているはずで、キセル乗車を疑ったりする事はありませんでしたw また、車掌は慌ただしく全ての下車客からきっぷを回収していましたが、このような姿も全国的には珍しくなりましたね。私が東海地方に居住していた幼少の頃は、名鉄で車掌が走り回る場面をよく見ましたが、駅集中管理システムやワンマン列車の導入などで見られなくなりました。今はJR東海の飯田線などローカル線のツーマン列車で見られるくらいで、車掌は体力勝負だと思いました。そのせいか、飯田線などは男性車掌ばかりでしたが。
 
 

 
二見浦駅は観光地の駅で広い島式ホームと大きな上家を有しており、無人駅ながらも北側(海側)には夫婦岩を意識したようなデザインの立派な駅舎を有しています。駅前も主要駅と比較しても遜色ない広さで、しかも二見浦地区は近鉄と競合していないため観光客の姿も見られました。但し、コロナ禍ゆえに夏休みシーズンにもかかわらず閑散としていましたが…。
 
 

 
駅前散策後はホームに戻り、17時45分発の普通・鳥羽行きに乗りました。今度は「いつもの」ロングシート車キハ25形2連でしたが、三重地区ではこの車両ばかりに乗っているため、この車両が当たり前になってしまい、ガッカリもしなくなりましたw ワンマン列車で、数人の高校生グループに続いて先頭車両の後部扉から乗り込みましたが、私が列の最後尾だったため、車内に入ると車内保温のために半自動の「閉」ボタンを押して扉を閉めましたが、その結果、整理券発行機が止まってしまい、結果として高校生グループのうちの最後の1人と私は整理券を受け取れませんでした。私が整理券を受け取ろうとしている時、同じく整理券を受け取れなかった高校生が運転士に事情を説明しに行っていて、その後、その高校生がグループと合流してからグループ内の1人が、既に受け取っていた整理券を私に「どうぞ」と言って渡してくれました。申し訳ないので「いいんですか?」と確認すると「いいですよ」との事で、折角のご厚意なので、有り難く受け取りました(賛否両論あるかもしれませんが)。見ず知らずの者に親切に対応できる若者もいる事を実感し、まだ日本も捨てたものじゃない、と思いました。私も整理券がなかったら運転士に事情を説明していたはずですが、本当に感謝です。あと、JR東海には整理券発行に際して半自動扉が影響しないように改善してほしいです。運転士の開閉動作のみに連動するようにしてくれれば、今回のような事は起きずに済むはずです。
 
私はガラガラの2両目に移動し、道中は車窓風景を眺めました。先ほど下車した松下駅を過ぎると海沿いも走りました。途中、廃駅になった池の浦シーサイド駅はホームが残っていました。
 
 

 
最後は近鉄鳥羽線と並走し、17時55分に終点の鳥羽駅に到着しました。JRの鳥羽駅は頭端式ホーム1面3線ですが、北側の切欠部根元にある0番線は使用停止になっていました。また、無人駅になっていた事にも驚きました。1975年に完成した2階建ての立派な駅舎は残っていて、2階の店舗も営業していました。しかし、JRは駅も駅前も閑散としていました。
 
 

 

 
18時を過ぎ、暗くなり始めました。あとは宿泊地である伊勢市へと戻るのみですが、折角なので復路は近鉄に乗る事にしました。実は伊勢市駅までの運賃はJR240円、近鉄330円と、近鉄の方が90円も高いです。所要時間もほぼ同じです。また、本数自体は特急を除いても近鉄の方が多いのですが、データイムは近鉄(特急を除く)、JRとも2本ずつで同じです。しょっちゅう移動するとなるとJRを選択するでしょうが、今回は1回きりなのであえて近鉄にしました。『ICOCA』で入場して、18時20分発の鳥羽線上り普通・伊勢中川行きに乗車しました。1259系1265F2連で、乗り込んだ先頭車両は半分ほどの席が埋まっていました。
道中は車窓風景を眺めましたが、近鉄線からも海が見えました。池の浦駅手前からはJRと離れて内陸の山間部を走りました。山間部を抜けると五十鈴川駅、宇治山田駅と主要駅に停車し、私は18時37分に到着した伊勢市駅で下車しました。まだ明るさが残っていたのでホームを撮影してから改札を出ました。
 
 

 
これでこの日の乗り鉄・降り鉄を終えて、コンビニで買い出しをしてからホテルにチェックイン。入浴を済ませてテレビを観ながらスマホを操作していると、21時30分頃に寝落ちしていました…。
翌日の最終日も乗り鉄を続けました。
 
 
(つづく)
 
 
今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません  
 
 
(参考:Wikipedia)