方南町支線と「吹奏楽の聖地」跡 | ハンター湘南の旅ブログ

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(つづき)


中野坂上から、丸ノ内線へ。


方南町へは、本線直通便だった。

 

2番線で待っていたら、方南町行きは1番線に入ってきて違和感。


当初は、荻窪へ行こうとして間違えて、中野新橋も新中野と似ていたりするし、気づかずに間違えて方南町へ行った方も多かったに違いない。


方南町に着くと、折り返し電車を待つ男女高校生が大勢。

近くの私立は男子校なのに女子が多くて変だと思ったら、代田橋の専修大高校の生徒だった。


改めて地図を見ると、代田橋と方南町の中間に学校がある。


直通化で代田橋からかなり流れて来たようで、新たな発見だ。


他、和泉地区の住民も流れて来ているに違いない。始発駅なのは大きい。

最新の乗降客数の発表が楽しみだが、コロナ禍の影響で変化を掴み取るのは困難だろう。

 

さて、歩いて「吹奏楽の甲子園」普門館跡へ歩いて行く。

奇しくも2日前、名古屋で全国大会が行われたばかりだ。


このシーズンななると、吹奏楽雑誌の「バンドジャーナル」には、方南町周辺のグルメ情報が掲載されたりした。


渋谷行きのバス時刻を先に調べてから

よかった、そんなに減らされず毎時5本もある。


いざ、聖地へ


下調べをしてないから、どうなったのか楽しみである。


 

公園になって公開されていた!


引き続き、宗教団体の施設のため、行事が無いときに時間限定の公開。


門が、かつての建物の周りにあったレリーフを流用されていて、静かに感動。

 

中央には参道があり、左右はかつての建物の外周に沿った道があり、一面の芝生だ。

 

公園から大聖堂を眺める

こんなに広いとは

確かに、5000人収容の国内最大級のホールだったし。

 

記念碑には、

「吹奏楽の甲子園」の文字も。

48年の歴史だった。


館内にあった観世音菩薩像が遷座されていた。


 

北側の門も、あのレリーフ。


 

大聖堂への歩道橋は、普門館の分岐部分が撤去されたが、そのまま残る。



 ありし日の普門館

(2018解体前)

 

 

ああ、名演奏の数々が蘇ってきた。



さて、バス停へ戻ると

渋谷駅行きは意外にも都バスだった


今まで、普門館の「からめ手」ルートとして数回乗ったが、すべて京王であった。


甲州街道に入ると、京王線と並行するが、案外乗ってくる。


そして渋谷方面へ曲がってNHK放送センター付近を通過


渋谷スクランブル交差点を都バスで横切るとは、夢にも思わなかった。

 


念のため見直したら、間違いなく都営の車両だった。

本数的には京王7:3都営といった共管系統だった。


その後は、拡幅後の山手線ホームへ。

(ひとつ前の記事を参照)