2020年11月23日(祝)
2泊3日の高千穂旅行、最終日は高千穂から寄り道しながらの帰り道です。
前回は臼杵駅で途中下車をして、まずは臼杵城跡を訪れました。
城跡を出発したら、続いて城下町をふらふら散歩です。
城下町の町人街には街道が通り、そこは八町大路と呼ばれるメインストリートにあたります。
大友宗麟が南蛮貿易の拠点として船着場と町人街を整備する際に、街道を付け替えたそうです。
城下町時代の町並みを再現したと聞いていましたが、古い建物をチラホラ見かけます。
通りの中程にあるカニ醤油は、1600年創業と全国的に見てもトップクラスに古い味噌醤油商で、現在も創業当時と同じ建物で商売をしています。
みそソフトは、バニラ生地にキャラメルのような甘ーいソース。
臼杵の麦味噌を砂糖とみりんと鍋で煮て、練って練って作られたソースです。
上にかけられたクランチやパウダーも味噌から作られているこだわりよう。
これ、普通に美味しいです。
青と白で表現された濃淡の世界が、日本で言う水墨画みたいだなと思いました。
ルイス・フロイスが記した日本史には、臼杵は城下町に教会や修道士養成学校が築かれ、豊後国のローマと呼ばれるほど華やかだったそうです。
八町大路から一本南に逸れると二王座歴史の道で、丘陵地に武家屋敷が集まっています。
臼杵はリアス海岸の街で、阿蘇の火山灰による凝灰岩で形成された急峻な山地形に、川が運んだ土砂が堆積した地形です。
堆積した低地には街が広がり、突き出た丘陵地には臼杵城や石垣の屋敷町が築かれました。
大友宗麟の時代を色濃く残す、古い町並みの中心となるのが旧真光寺で、寺の移転に伴い町並み散策の休憩拠点とするために寺跡を市有化し修復整備されました。
確かに周りを見渡すと、立派な家がいっぱい。
大友宗麟は、臼杵城の対面にある二王座に家臣を住まわせたそうです。
中に人がいたので声を掛けると、私たちはスタッフではないよとびっくりされました。
どうやら、ギャラリースペースとしても利用され、ちょうど地元の方による竹細工の展覧会が催されていました。
地元のおっちゃんに聞きながら、目当ての風景がある部屋へ。
窓から顔を出すと、二王座歴史の道に沿って並ぶ屋敷を見下ろすことができます。
石畳の切通しが、良い塩梅の高低差を生み出しています。
さて、城下町の散策を終えたら臼杵石仏に向かいます。
事前に調べると、城下町の観光プラザからレンタサイクルで約30分とのこと。
天気もなんとか雨が降らなさそうな空模様でひと安心です。
途中で立ち寄ったはちみつ菓子工房くにみは、東京の一流店で修行されたシェフのお店。
はちみつは、養蜂家のお父さんのを使っておられるんだとか。
意図せずパンも買ってしまって、しかしチョコクロワッサンはサクサクで美味でした。
こちらが、藤村Dが紹介していた洋菓子「二王座の石畳」。
黒っぽくて暗い印象の凝灰岩も、チョコレートにしてしまえば魅力的な姿に。
ふわふわのスポンジは、あっさり食べれてしまいます。
思ったより日持ちもするので、家族へのお土産にしました。
再びペダルを漕ぎ出し、山の方へと入っていきます。
レンタサイクルは電動でないので坂道を心配しましたが、ほとんど平坦だったので杞憂でしたね。
誰がどのような目的で磨崖仏を造営したのかはっきりしておらず、今もなお多くの謎に包まれています。
全て回るのに、1時間弱といったところでしょうか。
反時計回りに歩いて、最初に「ホキ石仏第二群」です。
まず出会ったのが、9体の阿弥陀如来像で九品の弥陀像と呼ばれる作品。
隣で話すガイドさんの説明にちゃっかり聞き耳を立てていましたが、ほとんど内容を忘れてしまいました。
欠損が激しく、彩色も残っているのが僅かとのことですが、平安時代の作品が風化せずによく現代まで残っていたなというのが率直な感想です。
隣にいらっしゃるのが阿弥陀三尊像。
中尊の阿弥陀如来像は無愛想気味ですが、貫禄のある姿です。