渋谷駅内回りホーム&山手通りウォーク | ハンター湘南の旅ブログ

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今日は、工事後初めて渋谷駅内回りホームを利用。

15:50~16:00頃まで観察。
 
あまりの早変わりには驚かされる
 
恵比寿寄りがかなり広くなった印象。
 
埼京線ホームを見る
 
さすがに2日目だけあって、下校の小中高生らが「おおっー」と声をあげるようなシーンは無かったか。
 
まだ仮歯のような状態で、足元がガクガクするが、見えないところで少しずつ土台が出来てくるだろう。
 
 
さて、順番が前後するが、
今朝は雨のため、せっかくの代休も遠方へのお出かけは昨日のうちに断念。雨が止むのを待って都内ぶらり歩きへ。
 
さしたるネタはありません、単なる自己鍛練の記録ですが・・
 
ハンター湘南としては異例の、中途半端な8:30に自宅を出た。
 
まずは浅草へ
徐々に観光客は戻ってきているが、外国人はもちろんなく、普段の風景には程遠い。
 
中高生団体はわずかに2校確認も、東京近郊の日帰りかと思われた。

観光バス発着場は、バスも人もなかった。
 
拍子抜けしつつ、今度はバスで池袋へ移動。
 
バスの車窓で、ちょっとツボだったのが・・・
 
ウォーキングシューズ専門店
「異邦人」
あのメロディーが脳内循環
時代を超えた名曲
なぜに靴店が・・・異邦人??
 
池袋駅東口行き都バス「草63」は想定していた王子経由ではなくて、西日暮里や巣鴨経由だった。
意表をつかれたが、途中での観察ポイントは特に無くて、大勢に影響なし。
たまたま開成高校の建て替え工事の様子が一瞬見られたのは会得だった。
 
50分ぐらい乗って、豊島区役所のあった場所で降りた。
36Fの高層ビルが建ち、バス停名称は「Hareza池袋」に変わっていた。
 
 
池袋から中野坂上まで、概ね山手通りに沿ったウォーキングで、未訪問郵便局の落ち穂拾い1か所を組み込んだ。
運動のため、あえて厳格な歩行ダイヤ設定だ。
 
山手線・埼京線・東武東上線をまとめて越える
2分間待ったが、1本も電車が来ないとは、松本清張「点と線」の世界。
 
そんな中、見慣れないバスが偶然来た。
 
と、火曜日の正午過ぎにも関わらず、昭和鉄道高校・豊島学院高校の下校ラッシュ状態。
東武の北池袋駅利用は少なく、池袋へ大勢歩いているのは予想外。
ああ、でも私も文化祭の帰りは経費節減のため、池袋駅へ直接歩いたなあ。
それにしても、昭和鉄道の「臨時ダイヤ」(試験?)は予測できず、時刻表マニアとしては恥ずべきこと。
 
首都高の高松出入り口脇を通過
かつては「ヒゲ線」の行き止まり型で特徴があって、関越道(当時)の藤岡インターや相模線の「西寒川支線」同様、小学生のころから地図でよく見ていた場所。
まさか、この先地下に潜って延伸するとは、40年前は想像できなかった。
 
 
山手通りにほぼ並行する緑道を行く
一瞬、都電の廃線跡かと思ってしまうが、谷端川を暗渠化したもの。
 
西武池袋線との交差では「ラビュー」がドンピシャで来た、お互い秒単位で定刻だ。
 
新宿区に入り、聖母坂を下る
 
 
聖母大学が上智大学に買収されていたのを初めて知った。
隣接の聖母病院はそのままだったが、ビックリした。
遅ればせながら、
さようなら、聖母大学。
その影響で歩きが1分遅れ、
 
西武新宿線の「小江戸」は辛うじて遠巻きに通過を見たのみ。
 
さて、その後も信号の多い中、力行を続けた。
 
中野坂上には設定ダイヤ通りに戻して、14:15に着けた。
30秒程度の遅れだが、慌てる必要はない。
 
20代の頃の数ヵ月間、中野坂上に通勤していた時期があり懐かしい。
昼休みに二子山部屋(当時)まで歩いて往復したこともあった。
 
ちょうど大江戸線が部分開通した頃で、すでに周囲はオフィスビルが2棟ほどあったが、その後、さらにビルが増えて発展した。
 
一方、「ご近所さん」だった中野十中は統合で消えて、しばらく廃屋だったが、
新設校、中野東中の校舎が今年9月に完成し、中野坂上に戻ってきたばかりだった。
近くを通ったのに、知らなくて寄れなかった。
さようなら、中野東中旧校舎(東中野5丁目・旧三中)
 
着いて7分後、近くの私立小学校からの下校児童の列がやってきた。
中には、11月も近いのに半そでの水色の盛夏服の子も数人。
 
まさに時刻通りの到着で、まるで「おとぎ列車」の如く。
通常通り授業が行われていて、良かった。
 
さて、中野坂上からは、地下鉄に乗り換えよう。

(つづく)