皆さん こんにちは。  大阪から 旧型客車に乗り継いで 夜の米子駅で下車しました。  乗って来た客車は出雲市行でしたが、次の寝床の始発駅が 米子だったので おりました。 乗って来た 835レは、米子からの勤め帰りの人などを乗せて 19時46分に発車して行きました。

 

そして 当時の米子駅からは、夜行列車が5本発車していました。  上り方面は 東京行の寝台特急 出雲といなば。大阪行の急行 だいせん。

下り方面は、 博多行 急行さんべ3号と 広島行 急行ちどり3号。

 

今晩の寝床は、 急行さんべ3号 自由席でした。

米子を21時40分に発車しました。  米子では、駅構内の待合室などで 時間を潰して ホームに入って 自由席に並びました。 しかし、予想に反して 早くから 並んでいた人はいなかったと思います。 列車は、20系B寝台車に12系客車で 指定席は1両に自由席3両。 出雲市までは、勤め帰りの人や 用務客らしい人で  半分ぐらいの席が埋まっていましたが、 それ以降は ガラガラ。 ワンボックスを占領して 体をくの字にしたりして 寝ていました。 まあ 熟睡はしたとは思えませんが。

 

翌朝は、本州の端 下関で下車。 6時前の下関は 真っ暗で 寒かった記憶が。

 

山陽本線 上りの時刻表 次に乗車したのが 小倉からやって来た 普通列車の厚東行。 厚東って どこだと 思われると思って 時刻表を載せました、宇部駅の一つ東側の駅で 一日一本だけが この駅の始終着でした。 ところで 厚東 どう読むかご存知ですか?  私も この乗り鉄で知らなかったら 読めたかどうか怪しいのですが、  厚東 で  ことう と読みます。

 

フイルム感度がISO100 明るさにこだわって シャッタースピードを遅くし過ぎてしましました。 ボケて 行き先が分かりませんが、 厚狭駅を発車した 厚東行です。

厚狭駅で 降りたのは、 美祢線に乗る為でした。

余談ですが、 上の時刻表に超有名列車が 乗っていましたが わかります? 答えは最後に。

 

当時の美祢線には、 以前話題にした 急行さんべ1号や 九州の日田彦山線経由 久大本線の天ヶ瀬と山陰を結ぶ 急行あきよし号も走っていました。

 

厚狭7時35分発の723Dに乗車。 降りたのは南大嶺駅。 1997年に廃止された 大嶺駅まで1駅の 美祢線の枝線 通称 大嶺支線に乗る為でした。 当時の美祢線は、ロングシートのキハ30が 主力で 723Dも 大嶺支線もキハ30でした。 終点の大嶺は、目の前に 山が迫る 寂しい駅で 貨物が盛んだった頃の名残か 広い構内だったと思います。 

 その後は、725Dに乗って 長門市へ。 仙崎には 向かわず すぐの730Dで折り返して 厚狭駅にに戻りました。 この時は、仙崎支線を乗ることよりも 宇部地区のローカル線の乗り潰しに向かいました。  しかし、この時から 40年以上が経ちますが、長門市には 未だ再訪していません。 このまま行かないような。。。

 

さて 美祢線の時刻表に 3本ほど 宇部新川行というのが走っていますが、 美祢線の キハ30が 厚狭駅から 山陽本線を2駅進んで 宇部駅へ そこから海側の宇部新川駅へ行っていました。

 

その 恐らく 宇部新川駅に停車する 仙崎からきた 2734Dです。 時間の関係で この列車には乗っていないはずなんですが。 美祢線を往復して 厚狭駅から 山陽本線で移動して 小野田線 宇部線の乗り潰しの途中で 撮影しました。

 

さて 超有名列車の件ですが、 時刻表 左にポツンと3駅だけ 列車が乗っていますね  門司発山陰本線経由 福知山行  普通824レ  シニア鉄道ファンの 人なら 恐らく知らない人はいないだろう 当時の日本最長距離を走る普通列車でした。  本当は、この列車に乗り通したかったんですが、 チャンスがなく 乗れませんでした。

 

御覧頂きましてありがとうございました。